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3章 傍(そば)にいる理由 ①

随分長いことお休みしてしまいました。


ぼちぼち再会しますので、またゆるゆるとお付き合いいただければ。

 上懸高校周辺で起きたガス管の爆発事故から数日。不審者の存在が示唆されたことにより、学校側も管理体制などを見直すなどの対応に追われたが、逆に言えば、その程度の責任問題で済ませることができ、依然捜査中、という形で、地元のニュースでももうほとんど見かけなくなった。


 そんな平穏を取り戻しつつあるこの町の夜を、男はおぼつかない足取りで進んでいた。


 男の名前は小鹿(おじか)帯十(おびと)。この町に住む高校生だ。


 彼の家は医師の家系だった。祖父はその昔、とある都市の大きな病院の院長をしたほどの人物で、父親は現在も市内の病院に勤務しながら、時折近くの街の病院に呼ばれては活躍するほどの、実力ある医者であった。

 彼もまた、幼いころから学校で好成績を収め、将来は医者を目指していくものと、本人含め、誰もが思っていた。


 しかし、中学に上がって、勉強内容が本格的になっていくにつれ、彼は壁にぶつかっていった。いや、そう思っていたのは本人ばかりかもしれない。

 彼の成績は少しずつ、本当に少しずつだが、低迷していった。

 とはいえ、せいぜいが上の下程度になっただけのこと。勉強が難しくなったために下がったように見えるだけで、彼自身に才能がない、と断じる理由はないと、教師も親も思っていたのだ。


 気にしていたのは、本人ばかり。彼は、これから頑張れば、それでいいのだと、そう当然のように考えることができなかった。

 誰かが上にいる、というプレッシャー。彼のプライドはそのほんの少しの差を許容できなかった。


 元々、彼に友人は少なかった。孤独を好んでいたわけではない。ただ、少しだけ、自分の家を鼻にかけて周りを見下していた。

 そのままであれば、誰も反発することなどなかったろうに、帯十はその苛立ちを、遂には言葉と態度で示してしまった。彼が周囲から疎まれるようになるまで、そうはかからなかった。

 故に、彼の中学時代の後半は鬱屈としたものだったが、それでもまだ、ちっぽけなプライドに支えられていた彼は、向進高校――――市内の進学校で、偏差値も高め――――へと進学した。これは、一定以上まで成績を落とさなかったことになるのだから、やはり帯十は優秀と言っていいと考えられるのだが、そう言ったところで、彼は満足しなかっただろう。


 両親は彼に自由に道を選ぶことを望んでいた。特に父親は、自分が父親の名をプレッシャーとして青春時代を過ごしたため、医者にこだわる必要はないと心から思っていたのだが、彼らの問題は忙しさを理由に、向き合わなかったこと。それはもはや、無関心と大差なかった。彼の自由を尊重する、というお題目で、彼に好きにさせてしまったのだ。


 進学校での授業が一般の高校と極端に違うわけではない。しかし、必然、そこに集まるのは、意欲も能力も高い生徒たち。授業の難度も上がり、帯十は相対的に成績が下がってしまう。彼の多感な時期の心は、本人の自覚なく、ボロボロになった。もはや、プライドだけが彼の心を保っていた。

 訳もなく周りを見下して、自分はそこにいるべきではないのだと、帯十は次第に登校しなくなっていった。

 同級生たちは気にしなかった。帯十を知る中学時代の同級生も数人いたが、それとは関係なく、彼らは自己の向上を目的としていたため、積極的な交流を図らなかった。この場合の積極的とは、交流のない人物と自分から交流していくことであり、友人や友好的なクラスメイトなどとはむしろ当然、積極的に交流していた。つまりは、周りを拒絶していた帯十に関わろうとする者などいなかったのだ。

 教師たちはもちろん保護者へと相談したが、ここでも忙しさを理由に、きちんと話がまとまることはなかった。それどころか、帯十の歪んだ心は、遂には両親とも軋轢を生みかけていた。


 結果、家からも様子見をされるようになってしまった彼は、街に繰り出しては、無為に時間を潰すようになっていった。彼らに会ったのは、そんな時間にも慣れてきた頃だった。


「なんだよお前、エリート学校のやつが何うろついてんだか……」


 きっかけは、道でぶつかったこと。むしゃくしゃしてると言わんばかりの目つきで突然殴られた。その拍子に懐から飛び出した生徒手帳を見て、その男は言ったのだ。

「……ふん。暇してんのか、てめえ。……なら来い」

「……どうして」

「いいから来い。いい目は見させてやる」

 背を向けて歩く男と、それについていく男。帯十は、特に行き先があるわけでもないから、と2人についていった。いや、それは建前で、殴られた時の恐怖がぬぐえていなかっただけだった。


 何をさせられるのか、と怯えながらたどり着いたのは、とある工事現場。というより、工事現場になりそうな場所、と言った方が正しいだろう。

「バイトだ。荷下ろしとかそんなやつ。固定給だが、何人かいてもいいっていうんでな。人手が多けりゃ早く終わるだろ。バイト代は出るんだから、せいぜい楽させろよ」


 そして、帯十は働いた。アルバイトなど人生で初めてだったが、難しい仕事でもなかったから、失敗などしなかった。……ただ、力仕事ばかりで、まともに鍛えてこなかった体には、ややキツく、時間が、どんどん過ぎていった。

 そう、終わって、振り返ってみれば、あっという間だった。手には、家から貰う小遣いほどではないが、それなりのお金。楽しい時間ではなかった。けれど、あっという間に過ぎたと感じるなら、それは充実した時間だったのだろう。本人は気付かなかったが。


「やりゃあできんじゃねえか。じゃ、その金でなんか食いに行くか」


 彼らとの付き合いはそうして始まった。最初は、なんとなく一緒に行動するだけの関係だったが、少しする頃には、帯十は男――――原田(はらだ)(ごう)――――を兄貴、と呼んでいた。

 誰かと時間を共有するのはほとんど経験がなかった帯十にとって、勉強の絡まない関係は心地よく、彼らと過ごすうち、帯十は自分を出せるようになっていった。……自分のプライドを、卑屈さを。

 剛がムカつくやつを殴るたびにテンションを上げ、すごいぜ兄貴、と彼を称える。

 彼らが望まなくても、帯十は自分から金を出し、財布になった。


 しかし、二人は気付かない。剛を兄貴と呼ぶのは、彼を尊敬しているから、ではない。そも、彼の評価基準は、頭の良さに由来している。だから、2人を尊敬など、しようがなかった。


 それは、『力』への憧れに近い。


 帯十にとって、暴力という解決手段は自分の中になかったものだ。彼は、自分にそれほどの力がないと知っていたから。彼のプライドは、その知能に()っていたから。

 だから、自分を知能で貶める者たちに優位性を見せつけるために、他人の力を使うのだと。使ってもらうのだと、そんな媚びた態度が、彼の行動の源泉。彼に知性など感じていないが故、彼の上に立とうとする必要もない。喜んで下になろう、と。

 皮肉にも、帯十は、自分のプライドを満たすため、自分のプライドを捨てられたのだ。


 さらには、もう1つ。2人の知らないことがあった。


 2人と働いた少し後の事。偶然にも、とある男と再会していた。

 その男は、以前祖父の病院で医師をしていたが、医療ミスで辞めていったと聞いていた。

 帯十とは幼少期に何度か話をしたことがあったが、気のいいオジサンくらいの印象だった。

 だからだろうか。それを受け入れてしまったのは。




「あれを……、くれよ……。カネならさぁ……、ほら、あるからよぉ……」

「わかったわかった。どのくらいだ?」

「うるせぇ! まずはオレの分だぁ!」

「……ほらよ。まったく、これだから中毒者(ジャンキー)は……」

 男は、すぐに使うと踏んでいたのか、用意してあった1回分のクスリを帯十に渡した。帯十の要求は意味が繋がっていないのだが、男はこういう手合いに慣れているようだった。


 帯十がそれを使用している間に、先程渡してきたお金を数える。この後の取引をスムーズに行うためだ。

「はぁ……、はぁ……、はぁ……」

 辺りには人気がなく、カネを数える音と、荒い息遣いばかりが響く。


 男は、かつて帯十にクスリを勧めた男とは違う。その男にも以前クスリを売っていた、クスリを使用していない少し上の売人だ。帯十に勧めた男が今どうしているかは、2人は知らない。捕まったか、壊れたか……。いずれにせよ、2人はそんなどうでもいいことを頭に浮かべるような思考回路をしていなかった。

 2人にとって、考えるべきことは……、


「この額ならこのくらいか。そら、持っていきな」

 男は今帯十が使った1回分を除いた、金額相当の量の物を鞄につめて、帯十の傍に置いた。ちなみに、中に入っているのは帯十が渡した額の分より少なめだ。差額をチョロまかしたことに、気分が高揚している帯十はもちろん気付きはしない。

 取引自体はこれで終わり。男はそのまま去りたいところだったが、上からのもう1つの指示(オーダー)を果たすべく、帯十に質問をした。

 それは、帯十に売らせた物について。


「さて、あまり(とど)まりたくないから、とっとと答えろ。『クラッカー』、お前が言ってた奴に流したんだろ? どうだった?」

 前回の取引で、男は帯十に『クラッカー』を2つ渡した。1つは何人かの顧客に使わせろ、という上からのお達しで、帯十にその場で飲ませた物。もう1つは、能力を手に入れた帯十が、どうしても、と言うので、1つだけ提供したものだ。

 飲ませたい人が1人いる、と。

 上からは、そのことでお叱りはなかったが、相手や結果などは確認して来い、と言われていた。

 男としては、警戒が厳しくなっている中で、長々と客に会っていたくはなかったが、仕事は仕事。なるべく早く済ませよう、と思っていた。

 しかし、残念ながら、無駄な努力となる。


「動くな! 両手を上げろ! 現行犯だ。拘束させてもらう!」

「包囲は済ませた。もう逃げようがないぞ! おとなしくしろ!」

 

 暗がりの中から現れ、警察手帳を見せつつ銃口を向ける影。

 男は彼らが用意したらしいライトに照らされ、一瞬目が眩んだものの、県警の麻薬対策チームだと気が付くと、ゆっくり両手を上げつつ、心の中で毒づいた。

(こいつ、尾行(つけ)られやがったな! しかし、包囲されるまで気付かなかった……? 俺が?)

 尾行された当人は、急な光にすっかりおびえた様子でうずくまっている。


 男は知る由もないが、今回対策チームが包囲するにあたって、1人の追跡者を除き、他のメンバーは一定距離を保って態勢を整え、現場を俯瞰する追跡者の指示の下、気配を殺しつつ素早く包囲を行っていた。逃げられないよう、周囲の通り道にその場で人員を配置し、突入のタイミングを支持する人物の存在が、近くに隠れて隙を伺う一手間を省いていたため、このような稼業で警察の気配にそれなりに敏感だった男の感覚を狂わせていた。


 男が光に慣れてきた頃、突然、光の後ろに誰かが降り立つように見えた。

 それはゆっくりとこちらへ歩いてきて、銃を構えた者たちの前に出た。

 男にはそれが誰なのかわからなかった。少年のように見えたが、刑事が動かないことから、チームリーダーのような立場だと考えた。

(だが、なんだあの格好は……?)

 その少年の格好は、およそ警察の実働チームのようには見えなかった。


「よぉ」

 少年は、うずくまる帯十に気軽な調子で声をかけた。

 帯十はその声に顔を上げ、少年を見る。

 その声にはうっすらと覚えがある。その顔は、酩酊する思考も吹き飛ぶほど、印象付けられている。

「捕まえたぜ、おぼっちゃん」

 緩やかな風にマントの裾を軽く揺らし、指先を露出させた手袋を付けた手で腕組みをする、アニキを倒した、名前は知らないあの男。


 少年の名は、御劔(みつるぎ)在人(あると)と言った。


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