リリアーナとエドモンドの時間
リリアーナ達が北の領地へ到着した翌日の午後。リリアーナもエドモンドも少し手が空いて一緒に休んでいると、エドモンドがどこか甘えるような声音で言った。
「久しぶりに、リリアーナのリュートを聞きたいな」
……無理です。王都にいる間、全っっ然触ってません。指がもう石みたいに固まって動かないに決まってます……。
この状態で弾けと……?
リリアーナはそっとエドモンドの表情を盗み見た。そこには期待に満ちた、きらきらした瞳。
「……あ、あの……少し練習してからでも……良いですか?」
おずおずと答えるリリアーナ。
「練習の時も聞いていたいな」
エドモンドは優しく、だが逃がす気ゼロの声で言った。
……嫌です。絶対に下手になってます。
初心者みたいな音を聞かせるなんて耐えられません……。しかしリリアーナには、それを口にはできなかった。
「で、では……時間が合ったら……」
誤魔化すように言葉を濁すと、
「リュートなら、リリアーナの部屋に置いてあるよ。今から練習するの?」
エドモンドが追撃してきた。
「……ソ、ソウデスネ……」
声が完全に上ずった。
「じゃあ、一緒に行こうか」
こうしてリリアーナはエドモンドと共に移動した。
部屋に行き、リュートを手に取って弦に触れた瞬間、わかった。案の定、指が思うように動かない。
「……っ、動かない……」
焦りながら試しに音を鳴らそうとするが、ぎこちない音が部屋に響く。
そんなリリアーナの奮闘を、エドモンドは暖かい微笑みで見つめていた。まるで、「その時間さえ愛おしい」と言わんばかりに。
リリアーナはリュートをそっと膝に置き、深く息を吐いた。
「やっぱり……もう少し練習してからでないと、人前では弾けません」
勇気をふりしぼって言うと、エドモンドは一瞬だけ残念そうに目を伏せた。でも、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「……わかった。無理はしなくていいよ。リリアーナの弾きたい時に聞かせてくれたら、それで十分だ」
その優しい声に、リリアーナの胸がきゅっと熱くなった。指が思うように動かず落ち込んでいた気持ちが、すっと軽くなる。
「ありがとうございます……」
控えめに礼を言うと、エドモンドは「そろそろ戻ろうか」と手を差し出した。
王城から戻ったばかりだが、、夕食前には明日からの予定を皆で打合せすることになっている。リュートは部屋に置いたまま、二人で広間へ向かうことにした。
廊下を歩きながら、リリアーナはふと横目でエドモンドを見た。
彼はさっきの残念さなど微塵も見せず、ただ穏やかに横を歩いている。
……こんなに優しい人と、これから先も一緒に歩んでいくのだ。
そう思うと、リリアーナの頬は自然と緩み、二人の歩調はぴたりと揃っていった。
そんな穏やかな時間は、部屋に入った瞬間、跡形もなくかき消えた。
そこには、わずかに縮こまったオルフェウスと、その前に仁王立ちするマルグリットの姿があったのだ。
……一体、何が起きたの?
リリアーナとエドモンドは思わず顔を見合わせた。
マルグリットは、ふたりが戻ってきたのに気づくと、にこやかに振り返り、まるで何事もなかったかのように言った。
「リリアーナに、明日からお願いすることを相談していたのよ」
……お願い?リリアーナは嫌な予感に肩をすくめた。
「……お願いとは……?」エドモンドが慎重に尋ねる。
マルグリットは一息に答えた。
「まず第一に、甘甘草を植えてある庭の管理ね。次に、城の外の一区画の世話。それから、身体づくりとして、兵士の訓練には毎回参加してもらうわ」
さらりと言うマルグリット。その口調は穏やかなのに、内容は容赦がなかった。
……それくらいなら、どうにかなる……?
リリアーナは胸をなでおろし、ほんの少しだけ安堵したのだった。
「それから、城の外の区画は――リリアーナ、あなたが“管理者”として甘甘草の成長記録をつけること。ついでに、他の者への指導もお願いするからね」
マルグリットは、まるで当たり前のことのように言い切った。
その言葉に、オルフェウスが眉をひそめる。
「俺たちの指導を……リリアーナがするのか? それは、どうなんだ?」
マルグリットは、ゆっくりとオルフェウスへ視線を向けた。目は半分ほど細まり、笑っているのか怒っているのか分からない表情。
そして、低い声で短く告げた。
「……この試策は、絶対に成功させたいのです。遊びではありません」
その一言には、反論を許さぬ迫力があった。オルフェウスは言葉を飲み込み、リリアーナはまた一つ仕事が増えたことを悟って、そっとため息をついた。
「父さん、リリアーナが教えてくれるのだし、きっと大丈夫だよ」
エドモンドは、場の空気を和ませるように穏やかな声で言った。しかしオルフェウスの胸には、別の思いが渦巻いていた。
――リリアーナと自分たちは、根本から違うのではないか。
治癒の力を持ち、魔力を注いで植物を育てる才まであるリリアーナ。それに対して、自分たちは魔力を扱えるとはいえ、同じことが本当にできるのだろうか。そもそも、この試み自体が無謀なのではないか――。
喉元まで上がってきた言葉を、しかしオルフェウスは飲み込んだ。目の前にいるマルグリットが、これ以上ないほど真剣な眼差しを向けていたからだ。
「我が領地に新しい産業が出来れば、領は必ず潤います。……リリアーナ、期待していますよ」
マルグリットの声は固く、しかし深い願いが込められていた。
その重さを受け止め、リリアーナは固まった。そして、一言かろうじて言った。
「……はい。頑張ります」
……すっごく大変なことを言われた気がするのだけど。でも、出来ませんって言えません。
「エドモンド、あなた達も手を抜かないように」
マルグリットは、容赦なく言った。




