次から次へと
親子が部屋を出て行ったあと、アグネッタはリリアーナを探した。彼女は物陰で崩れ落ちるように座り込み、身体を壁に預けて眠っていた。
……それとも、意識を失っていたのかもしれない。
「リリアーナ、帰られたわよ」
そっと声をかけると、リリアーナはゆっくり顔を上げた。
「……寝てました?」
「おそらくね」
リリアーナは立ち上がり、うーん、と体を伸ばした。その様子に、アグネッタは柔らかく微笑んだ。
「お疲れ様みたいね。大変だったのかしら?」
「はい。初めての試みでしたから。とても緊張しました。でも、出来る限りのことは、したつもりです」
──初めてで、あんな芸当ができるのね。
アグネッタは胸の内で半ば感心し、半ば呆れながら肩をすくめた。
「…どこまで、出来たの?」
アグネッタは、言葉を選ぶように慎重に問いかけた。
「原因と思われるものは、出来るだけ取り除きました。でも……きちんと治癒できたかまでは、まだわかりません」
リリアーナは答えながら、そっと視線を床へと落とした。
「そう。最善を尽くしたのなら、あとは祈るしかないわね……」
アグネッタは静かに言い、それ以上は何も言葉を重ねなかった。
その手紙が届いたのは、処置から三週間が過ぎた頃だった。
あの日以来、少しずつ動き始めていたという男の子の手足は、今ではすっかり不自由さが消え、他の子どもと何ら変わらないほどに回復した──そう、母親から喜びに満ちた報告がアグネッタの元へ届けられたのだ。
そしてその手紙と共に、立派な木箱に詰められた礼品がアグネッタのもとへ運び込まれた。箱を開けると、見たことのない形と香りを放つ、他国の希少な薬草が丁寧に梱包されていた。大商人らしい、価値も実用性も十分すぎる贈り物だった。
アグネッタは礼品を手に、王妃のもとへ報告に向かった。
「なるほど……薬草、ね。財宝でもよかったのに……」
王妃はやや名残惜しそうに呟いた。
するとアグネッタは、どこか誇らしげに微笑んで言った。
「商人らしい、実に良いお礼の品ですわ。これ以上ないほど、役に立つ宝物ですもの」
王妃は肩をすくめつつ、アグネッタの満足げな顔に苦笑を返した。
アグネッタは王妃の下から下がった。
「リリアーナ、お礼の品を王妃が下賜してくださったわ!」
弾むような声でそう告げられ、リリアーナは思わずきょとんとした表情を浮かべた。
……何を貰ったのかしら? 師匠がこんなに喜ぶなんて。
アグネッタは箱を開けると、リリアーナの前に薬草をひとつひとつ丁寧に並べていく。それぞれの特徴や効能を、まるで宝物を扱うような手つきで説明していった。
……すごい。本で知識としては知っていたけれど、まさか実物を見られるなんて。
リリアーナが感嘆のまなざしでアグネッタを見ると、ちょうどアグネッタもこちらを見ていた。二人の視線が合い、思わず微笑み合う。
"最高だわ"
"最高ですね"
………二人の胸に満ちる高揚は、声に出さずとも十分に分かち合えていた。
またある時は、こんな事もあった。
アグネッタは、部屋へ入ってきた初老の男性とその付き人を見て、わずかに目を見開いた。
……どう考えても、王族にしか見えない。南の隣国の王族に特有の髪色——そうとしか思えない色よ。あの指輪、宝石の大きさから、あれだけで豪邸を買えるわ。しかも、両手の指に7つも。付き人は警戒心を隠そうとすらしていないし、初老の男性は場にそぐわぬほど落ち着き払っているし、この二人は……。
その初老の男性が口を開いた。
「初めまして、アグネッタ殿。もう老い先短い身なのだが、家族がどうしても診てもらえと、毎日のように言うのでね。こうして伺わせてもらったよ」
この場所に入れるというだけで、王妃がよほどの重要人物として扱っている証だ。それだというのに、初老の男性はどこまでものんびりと構えていた。
「どのような症状なのですか?」
アグネッタは慎重に尋ねた。
「見た方が早いかな」
初老の男性はそう言うと、ゆっくりと袖をまくり上げた。露わになった腕には発疹が浮かび、皮膚は部分的に厚く盛り上がったり、逆に凹んだりしている。皮膚本来の弾力は失われ、色もどこかくすんでいた。
「痒みとか、痛みはありますか?」
アグネッタが問うと、男性はすぐに答えた。
「とても痒いな」
「ほかにも症状はありますか?」
「……関係しているかはわからないが、時々目がかすむのだ。光が眩しく感じることもある」
「……目を見てみます」
アグネッタは初老の男性の顔をのぞき込み、そっとまぶたを押し上げた。白目の部分に、はっきりとした充血が見て取れた。
「これは、我が国では時々見られる病気なのだが、この国では少ないのかな?」
初老の男性が静かに問いかけた。
「少なくとも、私は初めて見る症状ですが……書物で読んだ記憶があります。やがて失明に至るのでは?」
アグネッタが答えると、初老の男性は目を細めた。
「……よく知っているな。そのとおりだ」
「そんな悠長に言わないでください。大切なお身体なのです!」
堪えきれなかったように、付き人が口を挟む。
男性はそれに苦笑しつつ、重い口調で続けた。
「我が国では、治療薬がなくてな。薬で痒みを紛らわすことはできるが、完治することはないのだ」
……確かに書物で読んだことはある。だが、この病は治療法がなく、皮膚が瘤のように変質し、やがて視力まで奪っていく厄介なものだ。どうすればいいのか——アグネッタは真剣に悩んだ。
ふとリリアーナへ視線を向ける。ベールに隠されたその表情は、今どうしているのか読み取れない。
少し迷ったのち、アグネッタは意を決して口を開いた。
「身体の様子を確認してもよろしいでしょうか? 助手も手伝わせます」
その言葉に、リリアーナの身体が一瞬びくりと震えた。アグネッタは気づいていたが、あえて見なかった振りをした。
……師匠、駄目です。私はこの病についての書物すら読んでいません! きっと何も分かりません!
師匠の出番です——。
リリアーナの心は叫んでいたが、声にはできなかった。




