親子との対面
ある日、アグネッタとリリアーナは、一組の親子と対面した。
まだ年若い女性と、きっとカタコトでしか話せない年頃の男の子がいた。
平民の装いではあるが、生地の質も縫製も明らかに上等──身元を隠したいが、隠しきれていない富裕さが滲み出ていた。
アグネッタはその姿を一目見ただけで、内心で大きくため息をついた。
数日前、王妃から告げられた言葉が脳裏に蘇る。
「今度は、幼い子供を診て欲しいのよ。怪我は治ったのだけど、右手右足が不自由になったのですって」
王妃の声音は軽く、まるで天気の話でもするようだった。アグネッタは即座に答えた。
「それは、明らかに調合師の扱う範囲ではありません」
身体が自由に動かない──それは、治癒師の領分である。しかし王妃は、困ったように肩をすくめた。
「でもねぇ、その子の祖父は国を越えて取引している“大商人”なのよ」
暗に告げられる──“治せれば国にとって利益が大きいのだ”と。アグネッタは王妃の思惑を察し、深く深くため息をついた。
「怪我をした、とは具体的にどういうことなのです?」
王妃は思い出すように言った。
「高い階段から落ちたそうなの。母親が手を繋いでいたけれど、ほんの一瞬、手が離れたらしいわ。その瞬間、子どもが落ちたとか。階段下で見つけた時は手足が変な方向に曲がり、意識も失っていたらしくて……大層な騒ぎだったそうよ」
アグネッタは眉をひそめた。
「手足は……治癒師が治したのですね」
「えぇ、そう聞いているわ」
王妃ははっきりと頷いた。
……その結果が「手足の不自由」なら、かなり厄介な状態だ。
アグネッタは再び胸の内でため息をつき、今目の前にいる親子へ視線を向けた。
まだ年端もいかぬ子どものはずなのに、こちらを睨みつけるような不機嫌さを隠そうともしていない。
「こんにちは。少し質問してもいいかしら?」
柔らかい声で問いかける。しかし、男の子はぷいと顔をそむけ、完全に無視した。
アグネッタは微笑みを崩さないまま、内心で小さく舌打ちする。扱いづらい相手だ。
「少し、触りますね」
男の子の許可など待たず、アグネッタはそっと手足に触れ、動きを確かめた。
外見上はどれも綺麗に治っている。骨の歪みも、皮膚の異常もない。かなり良い治癒師に治してもらったのだろう、とアグネッタは推測した。
しかし、男の子はアグネッタのされるがままで、指先ひとつ動かそうとはしない。
──これは調合師の手に負える問題ではない。そう結論づけながらも、アグネッタは表情には出さず、静かに言った。
「少し用意をしてきます。ナナ、全身をほぐして」
そう指示を残し、アグネッタは調合室の奥へと下がった。
リリアーナは男の子のそばに膝をつく。
男の子はアグネッタの時以上にあからさまな不機嫌さで、リリアーナを見た。母親は
「見てもらうのだから、良い子にしてね」
と男の子に話しかけた。けれど男の子は、返事をしなかった。母親は一瞬眉を寄せたが、リリアーナに対して
「お願いします」
と少し声を震わせて言った。。
その言葉を聞いて、リリアーナは、淡々と仕事を始めた。そっと小さな手に触れ、順番に優しくつつむように筋肉をほぐした。同時にそっと魔力を流し込む。
穏やかだが確かな魔力の流れが、少年の体内へと広がっていった──。
……身体にはまったく異常が感じられない。
筋肉も骨も全て、魔力の通りは正常そのもの──。なのに、どうして動かないの?
リリアーナは眉を寄せ、魔力をさらに細かく、糸よりも細い粒子へと分解して流し込んだ。それでも、男の子の身体は普通の人間となんら変わりない反応しか返してこない。
……階段から落ちたのだから、首とか、頭が……?
そんな仮説が浮かび、リリアーナは今度は首から頭部へと魔力の流れを移した。
その瞬間だった。
「……え?」
男の子の頭部、魔力が触れたその奥に──
そこにあるはずのないものを、リリアーナは“見つけて”しまった。
ぞわり、と全身が粟立つ。
あってはならない。
生きている人間の脳の中に、こんなものが存在しているはずがない。
……これが原因。きっと…。
でも……どうすれば?頭には頭蓋骨という骨がある。これを、切り開いて取り出す、なんてできるはずがない。リリアーナは判断した。
…………無理。
頭の中なんて、到底できない――。
リリアーナは強く唇を噛みしめた。そして顔を上げた先に映ったのは、男の子を案じて寄り添う母親の姿だった。
目の下には深い隈が刻まれ、荒れた爪や肌が不安の積み重ねを物語っている。揺れる瞳には、ただひたすら息子を想う色だけが宿っていた。
……このまま諦めて、いいの?
胸の奥を締めつける罪悪感に押されるように、リリアーナは再び魔力を流し込む。
頭の内部を探るように、確かめるように、細心の注意で魔力を細く伸ばした。
……やっぱり、身体と違う。
頭の中の魔力の流れは、どこまでも繊細で厄介だ。
そして、気になる一点。先ほど気がついた存在。まるで――そこに“血の塊”でも作っているかのような感触……。
そう思った瞬間、リリアーナの指先がぴたりと止まった。
………血の塊?




