国王の遣い
北の領地に――
何の前触れもなく国王の遣いが姿を現したのは、リリアーナたちが消えて五日目の朝だった。
まだ薄闇の残る刻。国王の紋章を刻んだ印璽を見せられ、オルフェウスはわずかに顔色を変えたが、すぐに領主としての冷静な仮面を取り戻す。
「この北の地に、どのような御用件でしょう」
静かに問いかける。
遣いは淡々と告げた。
「リリアーナという女性がここにいるはずだ。優れた治癒能力を持つという情報が入り、確認に参った。会うことはできるか?」
オルフェウスは即答した。
「確かに、リリアーナはここに居ました。だが――今は、いません」
遣いの眉が鋭く吊り上がる。
「……隠しても、何の得にもならぬぞ」
重圧を滲ませた一言。
しかしオルフェウスの声は揺るがない。
「五日前から、姿を消しました。我々も……必死に探してます。しかし、未だに見つかりません」
その沈痛な表情に、遣いは息を呑む。嘘ではないと、直感した。
その時だった。
「父上!魔鳥が来ました!」
遠くから、エドモンドの緊迫した声が響いた。
オルフェウスは小さく息を吐く。
――まだ早い。
「もう来たか……」
そして遣いに向き直り、低く告げた。
「使者殿。これより我々は魔鳥対策に入ります。しばらく応対はできません。滞在はご自由に。ただ、外に出るのは控えて下さい。命の保証はできかねます。詳しくは、マルグリットが説明します」
言い放つと、身を翻しエドモンドのもとへ足早に去っていった。
その場に取り残された遣いへ、マルグリットが深く礼をし声をかける。
「申し訳ございません。……これよりこの地は、戦場と化します。詳しいことは城内にてご説明いたします」
そう丁寧に告げ、マルグリットは遣いを城へと案内していった。
マルグリットは遣いに説明した。リリアーナは、ラニアという少女と普段と変わらない生活していたこと。薬草を二人で取りに森に行ったこと。そして、森から帰らなくなって5日過ぎたということを。マルグリットもまた、眠れぬ日々を過ごしていた。
遣いは、ただ聞くことしか出来なかった。
――嵐の前の静けさは、すでに消え去っていた。
オルフェウスとエドモンドは、弓を構えた。
背後には、魔力を矢へ込められる兵士が二名。この地で得られる最大限の戦力が、そこに揃っていた。
風が鳴り、空は不吉な影を孕み始めている。
オルフェウスは隣に立つ息子を横目で見た。
エドモンドの眼は血走り、頬はやつれ、唇は固く噛みしめられている。……戦いへの緊張ではない。もっと深く、もっと鋭い――焦り。
リリアーナが消えたあの日から、エドモンドは一睡も惜しんで探し続けていた。森へ入り、町の人々に何度も問い、城の隅々まで歩き回った。……だが――手掛かりは一つもない。リリアーナの持ち物ですら、跡形もなく消えてしまった。
剣を扱える。ラニアが傍にいる。襲われたとしても、易々と倒れるはずがない。なのに――どうして、何も見つからない?その答えのない問いは、エドモンドの心を日々蝕んでいく。
オルフェウスも、マルグリットも、その痛みに寄り添う言葉を持てなかった。
エドモンドは、ただ、目の前の脅威に全ての感情を押し殺して、弓を引き絞るしかない。
魔鳥の影が……空を覆い始めていた。
ついに、魔鳥の姿が見えた。
黒い影が幾重にも連なり、迫ってくる。
オルフェウスたちは、無言で弓を引き絞った。魔力が矢に乗る。
エドモンドは深く息を吸い、目の前の脅威へ集中する。雑念を捨てなければ――膝が折れてしまいそうだった。
時折、オルフェウスは息子へ視線を向けた。
エドモンドの弓さばきは鋭く、迷いがない。
次々と魔鳥を射抜いていくその姿は、兵士にとっては頼もしい英雄であり、同時に――痛々しい青年でもあった。
胸の奥底に、焦燥と恐怖を押し込めたまま戦う男の背中。
オルフェウスは自らを奮い立たせるように、
負けじと魔鳥を射落とし続けた。
やがて、長い一日が終わる。
誰一人傷を負うことなく、夜の闇が訪れた。
遠く、窓辺から戦場を見ていた国王の遣いは、震える手で窓枠を掴んでいた。始めて見る恐るべき魔鳥。そして――それを退ける力を持つ者たち。
(これほどの力とは…。そして、あの治癒師も、この地に?)
遣いの胸には恐怖と焦りが渦巻いていた。国王は情報を待っている。何の成果もなく帰ることなど許されない。
「……しばらく、この地に滞在しよう」
自らに言い聞かせるように呟き、遣いは拳を固く握りしめた。
マルグリットは、夫と息子を送り出した。
魔鳥の襲来――それは、どうしても乗り越えねばならない試練だった。国王からの遣いが来たことも気にはなったが、今はそれどころではない。
魔鳥襲来が終われば、結婚式が控えている。
そのリリアーナが姿を消すだなんて、あり得ない。あれほど幸せそうに笑っていたのだ。領地へ訪れた日からずっと彼女を見守ってきたマルグリットには、――リリアーナに、どうしようもない事態が降りかかったのだ、としか思えなかった。
最近は、かつて多かった賊の噂も途絶え、束の間の安堵が戻りつつあった。
……オルフェウスと胸を撫でおろしていた、その最中のことだった。
……久方ぶりに、夫を戦場へ送り出す。
どうか――無事で帰ってきて。
オルフェウス、エドモンド、リリアーナ……。
マルグリットは、祈りを込めて見送った。




