陽子と現実、登紀子と院長の過去
前回よりペース上げました。
内容が重い!
陽子の病室。
ログアウトした登紀子は自発呼吸の停止によって酸欠を引き起こしていた陽子の姿を見る。
即座に担当医師へと連絡をする。
心臓が停止したのはその数分後で運よく医師が到着する僅か前。
その瞬間彼女の心の傷が表面化し、半狂乱となりかけた。
担当医は即座に登紀子の席を外させて応援を要請する。
その手際の良さが今回の陽子の峠を越えさせたのだ。
あわただしかった時間は過ぎ、心電図の音と人工呼吸器の稼働音だけが響く室内。
私服に着替えた登紀子は陽子の枯れ枝のような手を握り、やさしく頭をなでている。
職務が手に着かないと院長自らが暫くの間暇を出したのだ。
登紀子自身も今の精神状態ではどのようなミスを犯すかわからないため、素直に従った。
「陽子さん……みんな心配してるわ……」
規則正しい心電図の音はまだ陽子が生きていると知らせてくれる。
だが、意識が戻らなくてはそれも空しいだけだ。
「ごめんなさい……ごめん……な……さい……う、うう……ふううう……」
登紀子が悪いわけではない。
むしろゲーム内で異変を察知したがために対応が早かったのだから命が助かったのは登紀子のおかげともいえる。
だが、彼女の論点はそこではない。
楽しかったのだ。
娘と同じような陽子と共に冒険するのが。
言葉を交わし、歩むのがうれしかったのだ。
それが彼女の目を狂わせた。
もっと注意深く観察していれば事前に兆候は気づけたかもしれない。
陽子自身もいつからか少しだけ息苦しさを感じていたのだ。
陽子もまた、あの世界の楽しさゆえに本来の身体の様子をないがしろにしていた。
それが今回の悲しい事態を引き起こした。
身体の不調を陽子が登紀子に伝えていれば。
ちゃんと登紀子が陽子を見ていたら。
全ては「たられば」の話。
ぽろぽろと流れ落ちる涙をぬぐう事すらなく、ただただ彼女の意識が戻るのを願って手を握る登紀子。
陽子が自由に動けるあの世界に行こう。
陽子の帰りを皆が待っているあの世界に行こう。
そう願いながら数日が過ぎた。
登紀子は休暇を出された日から欠かさず陽子の病室に足を運んでいる。
「起きて……陽子さん……」
「……っ」
「陽子さん!?」
果たして願いは通じる。
うっすらと目を開けて目線をさまよわせたあと、登紀子の声を聴いてそちらに視線を向ける。
涙でグシャグシャになった登紀子をみた陽子はニコリとほほ笑んだ。
「……っ……っ」
「ちょ、ちょっとまって! 今ワープロ持ってくるから! あと先生に連絡をしてくるわ」
慌てて登紀子は病室を出て行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「茨戸さんのVRの使用を停止させようと思う」
「何故ですか!? 検査の結果は問題なかったのでしょう?」
ゲームが陽子に影響を与えたのではない。
それは検査で分かっている。
「お願いです! もっとしっかりと私も気を付けますから!!」
「……茨戸さんの容体は既に限界まで来ています……それは看護師であるあなたもわかっているでしょう?」
陽子はもう人工呼吸器がなければ延命すら危ういであろう。
それほどまでに進行している患者。
彼女の両親の遺産で賄いきれなくなった入院費を出している祖父母もこれ以上苦しむ陽子を見ていたくないと機械の停止を視野に入れ始めている。
「まだ……彼女の意識があるんですよ!? 意識がないなら決定権は彼女にあるはずです!」
「確かに、今回は意識が回復した。
本人の意思がある以上は消極的安楽死の可否は彼女自身が決める事だ……。
だが、ご家族の方は次に意識を失う事があるならばその時は……とのことだ」
「そんな……だったら……だったら尚更彼女からあの世界を取り上げるべきではありません!!」
「そういう問題ではないのだ……彼女は被験者。
VRが身体機能不全の患者にどのような影響を及ぼすかのテスト。
彼女はもうテスト以前の状態なんだ……」
脳波のデータは取れる。
半身不随の人間が僅かに動かせるようになったというデータも今回のテストで結果が出ている。
だが、陽子は違う。
あそこまで進行してしまったのではもはやテストどころではない。
むしろ改善せずに進行してしまったのだから陽子のケースでは効果があまり出ないという結果になる。
「テストの……打ち切り……」
つまりはそういう事である。
「私としても続けてもらうのは構わないんだ……一人の患者に対して入れ込むのはどうかとも思うが……最近の生き生きとした彼女が以前のようになるのは私も見たくない……」
「だったら!」
「言っただろう? そういう問題じゃないんだ。
新しくVRを増やすことはもうできない、全国的にテストが行われているんだ。
それも最新機器、数が足りない。
使いまわすしかないんだよ、今は」
「それは……」
ローズが消える。
そういう話だ。
「もし、彼女からVRを取り上げたらと考えたら私も秋霧さんと同じ答えを出すだろう。
だが、院長の口添えでもどうにもならないんだよ……こればかりは」
担当医が苦い顔をして言う。
院長よりも上の方からの指示ゆえにどうにもならないのが歯がゆい。
「……買います……」
「え?」
「私の分と陽子さんの分、両方とも私が買い取ります!」
「いや、だから数が……」
「話は聞いたよ」
「「院長……」」
「登紀子くん、君は今いくら持っている?」
「……円です」
「ふむ……最新二台分だと少し足りないが型落ちならば問題ないだろう」
「院長!」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、私も調べていてね。
パーソナルデータをあのゲームの開発元で保管してもらえるから新しいハードに移し替えることは可能のようだ。
何らかの原因でVRギアが壊れた時の救済で月額がかかるがな」
「では……」
「最新VRギアはもちろん型落ちでも注文待ちだそうだ。
それが届くまでは病院のを使うといい。
なに、最新は半年待ちだが型落ちなら1ヵ月で届くだろう。
それくらいは使っていても問題ないように何とかしてみよう」
「あ、ありがとうございます!!」
深々と頭を下げた登紀子は居ても立っても居られないと即座に部屋を出て行った。
今頃は注文に走っていることだろう。
「院長……」
「君も私を甘いと思うかね?」
「……ええ」
「……彼女がだれなのか知っているか?」
「……いえ」
「だろうな。
……秋霧誠司、私の親友で優秀なジェネラリストだった男だ」
「ジェネラリスト……」
担当医がごくりと生唾をのんだ。
「彼はどの科目においても類まれな知識を持ち、優秀な外科の腕を持っていた」
「ですが、病院には……」
「おらんよ。
彼は知識と経験を積めるだけ積んだ後開業して町医者になったのだから」
「な!?」
「あれはいつだったか……私がまだ現場でメスを振るっていたころだったな……」
院長……芦谷兼続がライバルで親友だった秋霧誠司と袂を分かち、兼続は出世の道を、誠司は地域の人と過ごす道を選んだ。
始めは大変だったが誠司はその名前の通り誠実な診察を続けて町の人の信頼を得ていった。
看護師だった登紀子と出会ったのはこのころ。
人手が足りなくて助手の募集をしたところ、やってきたのが登紀子だ。
毎日あくせく患者と接して働いているうちに登紀子は誠司のその人柄に惚れこむ。
やがて二人は結婚して子供をもうけた。
順風満帆だった。
だが、そんな折に娘が交通事故で死んでしまった。
登紀子がほんのわずかによそ見をした隙に車道に飛び出したのだ。
登紀子は自分を責めた。
目を離さなければ、もっとしっかり手を握っていれば。
そんな後悔ばかりだった。
誠司は一言もそれを責めなかった。
登紀子としては責められた方が良かったかもしれない。
だが、ただの一言すら彼女を責めるような発言を誠司は発さなかった。
その代わり何かに憑りつかれたかのように仕事をこなした。
休診日をなくし、忙しくすることで心にできた隙間を埋めようとしたのだろう。
ある日、そんな誠司のもとに町の人が助けを求めてきた。
誠司の診療所から車で10分ほどのところの峠道で落石があり、巻き込まれた人が重体なのだと。
救急車の手配はしている。
だが、到着まではどんなに早く来れても30分はかかってしまう。
一刻も早く応急処置をしなければ確実に命を失う危険がある以上誠司が動かないわけがない。
到着した誠司は車の中に取り残された患者を助けるために奮闘した。
患者は落石の影響で飛び出した車の部品に体を貫かれていたために引きずり出すにはそれをどうにかしなければならない。
「……結果として患者は助かった。
だが、無理がたたった誠司は車内から出るのが遅れ再び起きた落石に巻き込まれてしまったんだ……」
「……秋霧さんは?」
「彼女は妻であり助手だ……目の前で自分の旦那が残る車が押しつぶされるのを見ていたよ」
「……そんな……」
「病院に運び込まれた誠司はまだ辛うじて生きていた。
だから私も全力で救おうとしたんだ……」
「け、結果は……」
「言わなくても分かるだろう? 死んだよ……遺言を残してな……」
「遺言……ですか」
「ああ。
『登紀子の面倒を見てやってくれ、あいつは自分のせいだと自らを責めるだろうからそんな暇もないくらいこき使ってやってくれ』そう言われた」
「……」
「最後まで自分より他人だったな……あいつは……『カルテに全て書いてあるからそれも全部やる、俺の診療所の患者の面倒もできれば見て欲しい』……馬鹿だよな……私は未だにその遺言を守っているんだ」
「……その診療所は?」
「私の信頼のおける部下だった男を後釜に据えた。
繁盛しているようだ……あいつの診療所は守れたが……あいつの大切なものは今にも壊れそうなほどに危うい」
「秋霧さんですか……」
「依怙贔屓だろうと職権乱用だろうと、子供と旦那を失い絶望している彼女の顔を見た時には何があっても私の権限の及ぶ限り誠司の遺言を守ろうと誓ったのだよ」
「……」
「その結果がこれだ……私も愚かなのだ……こんな人間が院長に納まっているのだからな……愛想が尽きたのなら離れても構わんのだよ? 開業するなら資金をこっそり援助してもいい」
「……いえ、医者も人間です。
ただ患者を治すだけなら機械でいい……医者が診るのは患者の心ですから……私は院長の事を尊敬しますよ」
「……君も大概だな……」
「人間味があると言ってください」
その言葉に院長の頬を一筋の雫が伝っていった。
こう言った話や医療についてのアレは変なところがないか心配ですね。
一応調べつつ進めていますが……。
これにて第二章は終了です。
次回より第三章になります。




