10:王女は語る
冒頭以外、セリス王女主観です。
「はぁ……」
物憂げな表情で少女は机の先の窓から見える景色を見て今日も溜息を吐く。
肩ほどで切り揃えられクルリと外側にカールした綺麗なブロンドの髪。目尻の下がった大きな可愛らしい目に、ぷっくりとした唇の小さな口。北欧系の幻想的な雰囲気を醸し出す可愛らしさに、その姿を見た者は誰もが息を呑むという。
やや高い椅子に座っているせいか、床に少し届いていない両足が小柄な印象を強くする。最近は外に出る事が多かった事が幸いしたのか、若干成長の兆しが見えてきたのが少女の希望らしい。
セリス・アルテミア・ハイランド。この国の第二王女であり、16歳という若さで高位の魔術を修め今世魔王を討伐した勇者一行の一員である。勿論、生きる英雄としての名声を内外に轟かせている。
しかし、今この場で垣間見えるその陰鬱な雰囲気が、彼女の魅力を半減させてしまっている事を身近な人々は心配していた。終始溜息を吐き目には気力の欠片も感じられず心ここにあらずといった有様。
現在も向かっている机の上には、担当する祭事に関する書類が投げ出されてはいるが、どれも手を付けられた形跡無く、読まれたかすら定かではない。
「はぁぁぁぁ……」
本日も既に数え切れない数に達した溜息を吐きながら、抜けていく空気に同調させて机に突っ伏して頭だけ横に曲げ、目線をその手先に走らせる。そこには一枚の紙切れが握られていた。掌サイズのその紙には細かい文字と少年の絵が描いてある。
王宮に出入りする画家でも描け無いであろう精密な写実画。ボサボサの黒髪に、見たことが無いデザインの黒い服を着た、少女の記憶よりも若干幼い少年の絵。口を真一文字にして、緊張の面持ちの少年をジーっと見つめる。
「どうして……」
誰に言うでもない問いかけを呟きながら机に臥せってしまった。
部屋の片隅で待機していたメイドは、そっと近づいて震える肩を優しく叩いてやる事しか出来なかったという。
◆
最近何をやっても上手く行かない。昼間の祭事でも有ろう事か祝詞の途中がスポンと抜けてしまった。幸い経典が手元に有ったので大事には至らなかったけど、お母様にはバレていた様でとても怒られた。気持ちを入れ替えているつもりだけど、このままじゃいけないとは思う。
夕飯を終えて自室で今日の反省をしていると、アリスお姉さまがやってきた。乱暴にドアを開け、少し苛立っているのが私からでも一目瞭然だった。言いたそうな事には心当たりが有るけれど、そこはこちらも同じ事。
「セリス、貴方また縁談を断ったの?! 私の方に先方からの使者が来て、それはまぁ嫌味ったらしく言いたい放題でしたのよ?」
どうやらそのやり取りを思い出したらしく、投げつけるように手紙を渡された。中の書面を取り出し差出人を見ると、想像通りの名前が記してあった。
「アレン様ですね、確かにお断りしましたが何か問題が?」
「『問題が?』じゃないですわ、これで何件連続で断ってると思ってるの。もう成人したのだから、いい加減婿を迎えなさい!」
「あら、お姉さまの方が先に迎えれば宜しいのではないですか?」
「私にはラザリス様がいらっしゃいます。問題は有りません」
「ラザリス様? あの方は魔王討伐以来、魔術塔に篭りっきりではありませんか?」
「え、ええ。魔術の深遠への研究をなさっていますね。でも、研究が終わった暁にはきっと私を迎えに来てくれますわ」
うんうん、と頷いて取り繕うお姉さまには悪いが私は知っていた。あの夜、ソウジ様が帰ってしまった日、意識が戻るまでラザリス様に着きっきりでお姉さまが看病をしていた事。そしてラザリス様が目覚めるとすぐに求愛してキッパリ断られた事。その時に、やれ水持ってこい、薬を買って来いとこき使われた馴染みのメイドから聞いたので間違いは無いはずです。
「とにかく、何故断ったのかを言いなさい。先方に謝罪をしなくてはならないのですから」
「……何か違うな、と思ったからです」
「何て曖昧な……先の戦でも活躍なされた方々をこうも次々と断るなんて、何が不満なのよ?」
顔が段々と紅潮し、言葉遣いも素が出てきたお姉さまを見て、最近多くなった溜息が出てしまった。早く忘れる事が私の為と言いながら、最初の縁談を持ち掛けてきたのがあの日の翌週だっただろうか。塞ぎこんでいる私を心配してくれたと思って了承したけれど、断ってしまった。その後も何度か紹介された。でも、回数を重ねる毎に段々と私の為で無く、お姉さま自身の自己満足の為に薦められている様な気がするようになった。
「もうすぐ半年経つのよ? ソウジだって『こちらで幸せを見つけて欲しい』と言ってましたわ。その願いを叶えようとしている私の身にもなって! なんて嘆かわしい」
お姉さまはそのまま泣き崩れるように壁によろけてしまった。それを言われると確かにその願いに答えられないのは私が悪いのだろうかと思う。本当に彼がそう願ったのなら……嘘で有って欲しいと何度思った事だろう。でも実際にソウジ様は帰られてしまった、私は捨てられたのだ。この数ヶ月で何回同じ思考を繰り返したのか覚えてすらいない。現実は変わらず私は独りだ。
「すいません、お姉さま。もう少し……時間を下さい」
受け入れられない現実とまだ折り合いが付かない。心が落ち着くまでもう少し時間が欲しい。そこに遠慮なく入ってくるお姉さまに対して、最近少し辛く当っていただろうか……私はいつからこんな意地の悪い人間になってしまったのだろう。私の考え過ぎであって、お姉さまは私を心底心配していてくれて、尚且つソウジ様の願いを叶えようと努力なさっているかもしれないのに。
「……良いでしょう、ですが新年の祝賀の際には伴侶と共に国民に顔見せ出来る様になさい。兵士達も年内に戦後処理が終わる様に身を粉にして働いています。年が明けたら、新しい道が始まった事を国民に示す義務と思いなさい」
「年明け……はい、判りました」
残された時間は四ヶ月程、短いと反論しようとしたがお姉さまにとっても最大限の譲歩であろうと心に止めた。国民に対して希望を。それも王族の役目なのだと自分に言い聞かせる。
お姉さまが帰り静かになった室内で、自分の机に向かう。鍵のかかった引き出しを開けてソウジ様から貰ったガクセイショウを手に取る。初めて会った時と同じくらいの幼さの残る顔を眺めながら、決して返事をする事の無いその顔に問いかけ続けて夜は更けてゆく。
どれくらい経っただろうか。城の正門の方が俄かに騒がしくなった。どうしたのだろうと机の横の窓から外の様子を伺うと、兵士達の怒号が聞こえてきた。戦いの音、何故こんな場所で。
確認しなくてはと部屋から出ようとすると、廊下に待機していた歩哨とは違う兵士の人が血相を変えて入ってきた。驚いて咄嗟に持ちっぱなしだったガクセイショウを服のポケットへと仕舞い込む。
「何事ですか!」
「ノックもせず、無礼をお許し下さい! 只今、正門に魔族が襲来。現在城に駐留する兵士で対応しておりますが、思った以上に手強く……姫様に援軍の要請を仰せつかって参りました」
「な……」
余りの報告に愕然としてしまった。ソウジ様によって頭を討たれたというのに、この王都深くに攻め込んでくるような勢力がまだ残っていたという事が信じられなかった。
「判りましたすぐに向かいます。正門に向えば宜しいでしょうか?」
言いながら慌てて身支度を整える。着替えている時間は無さそうなので、長杖だけを手にとって報せに来た兵士へと振り返る。
「ハッ。ご指示がこちらの書状に書かれておりますので、ご覧下さい」
そう言うと一枚の折り畳んだ古い羊皮紙を差し出して来たので受け取る。
「これは?」
「打開するための作戦が有るそうなので、その詳細が。ささ、中をご覧下さい」
何を悠長な事をと思いつつも、一刻も惜しい事態なので折り畳まれたソレを良く考えずに開けてしまった。もう少し良く考えれば良かったと今でも思う。
開いた羊皮紙には、黒い線で描かれた高密度の入り組んだ模様が描かれていました。一瞬見ただけで頭がクラクラと揺れて、不味いと思った時には既に手遅れだった様で、視界の隅の伝令の兵士を名乗った男の姿が陽炎の様に揺らめいているのだけが辛うじて見えました。
『神術の姫、容易いな……』
聞き取り辛い何重にも重なった声が聞こえ、黒い霧のような手が近づいてくるのを最後に、ここから暫くの間、私の時間の感覚は消えてしまったのです。
◆
何も無いような有るような、曖昧な空間で優しい笑顔のソウジ様が私に問いかけてきました。
「『勇者召還』の反対の術ですか? 私の知る限りでは『勇者送還』だけかと。あ……後は呼出した勇者の性格に難がある場合に限り『勇者強制送還』の指輪を使えば戻せます。王家の血筋の者のみが立ち入る事の出来る場所で管理されてますので、通常は先程の二種類ですね」
ありがとうと、言いながら頭を撫でて貰えました。
お役に立てて何よりです。
笑顔でそう答えるとまた質問されました。
「勇者以外を送る方法ですか? それは分かりませんね。神剣様から頂いた術の理屈は私にはとてもとても手に負えるような物では有りませんから。え? その理屈を聞きたいと? ソウジ様ならもしかしたら判るかもしれませんね」
そう言って、神剣様から教えられた『勇者送還』『勇者召還』の術についての知識を全て話してみます。ソウジ様は時々頷いたり驚いたりしている様子で、もしかしたら理解出来てしまったのでしょうか。最後にありがとうと言ってまた頭を撫でてくれました。
それからどれくらい時間が経ったか判りませんが、またソウジ様に質問されました。
「ソウジ様がこちらの世界に残した物でソウジ様の世界の品物が無いかですか? 着ていらした服等は王宮に保管されています。王宮にはもう行けないから何処かに無いか? そうですね……あ、そう言えばガクセイショウが私のポケットに入っていますね」
それは僥倖と言って、私の服からソウジ様がガクセイショウを取り出して下さいました。何故か動かない手のせいで自分で差し出せなかった事を謝りましたが、気にするなと笑顔で返されてしまいました。やはりお優しい方です。そう言えば、いつもはガクセイショウは机の引き出しに入れていたはずですが、何故持っていたのでしょうか。
また暫く時間が空いて、今度はソウジ様にお願いをされました。
「こちらのガクセイショウと繋がった気配を『勇者召還』の要領で感じ取れば良いのですね? まあ……一緒に探して頂けるのですか、嬉しいです」
ソウジ様と手を取り合って意識を飛ばします。真っ暗な空間の中、遥か遠くに手元のガクセイショウから伸びた細い線を辿り飛んで行きます。長いのか短いのかすら判らない時間の感覚の中、ソウジ様を終点へと導きました。
そこは野山でしょうか。見晴らしの良い山々に囲まれた中で、少し開けた場所が見えました。線はその中央に居る人物に向って伸びていました。後姿だったので顔は見えませんでしたが、ソウジ様にそっくりだったので驚きました。その事を伝えようと傍らのソウジ様を見ると、とても喜んでいらっしゃいました。今まであんなに心の底から笑うソウジ様を見た事はありません。私はちょっと誇らしくなりました。
意識を元に戻して帰ってくると、すぐにソウジ様がお友達の方を呼んで来て、再度お願いをされました。
「あの場所に行きたいのですか? でも、そういった術は覚えて居なくて……すいません。え、術を作られたのですか?! 凄いです!」
神剣様のお作りになられた術の理屈を理解して、同じ様な術を作り出したなど流石としか言えません。しかも一定範囲の全員で渡る事が出来る様に改良されたとか、ソウジ様には魔術の才能も有ったのですね。
そのまま新たな術の手ほどきを受け、実際に使ってみる事になりました。初めての術で不安がっていると、ソウジ様が励ましてくれました。これは失敗等出来ません。呼吸を整え、精神を集中し、細心の注意を払って術を行使しました。
「この地より彼の地へと、我と同胞を誘い給え。『魔軍侵攻』!」
いつもの神様とは違う方を根源とする術らしいのですが、今まで感じた事の無いドロリとした黒い力が流れ込んでくるのを感じました。とても歪んだ、吐き気のする力でしたがソウジ様が大丈夫と言っていましたし信じましょう。
パリンという軽い音がして、目の前の空間が割れて黒い空間より染み出してきたような黒い手に掴まれ、私達は運ばれて行きました。体の中に流れ込んでくる異質な力のせいでしょうか、私の意識はすぐに無くなってしまいました。
◆
パチパチと薪の爆ぜる音が、静かになってしまった空間に響いています。私達が避難所にしていた横穴の外は少し白みがかっています。もうすぐ夜が明けるようです。
「そこからは、マリーさんと一緒ですね。体内に定着する前だったのか黒い力……恐らく魔族の使う術の根源、邪神の力でしょうね。それが抜け落ちて意識がハッキリした時には既にマリーさん達はこの姿でした」
すると神妙な表情で聞き入っていたソウジ様が、震える声で一言言いました。
「その……セリスを騙して魔族の術使わせたのはどいつだ!!」
鬼気迫る表情で、剣を構えマリーさん達を睨んでいました。こんな怒っているソウジ様は初めて見ましたが……正直怖いです。気圧されて震えるマリーさんに変わってミネルバさんが説明をしたいと申し出ました。
「すまないが、マリーの証言だとそいつはもう居ない。ちなみに名前はモルスゴッグ、脳筋魔王の参謀だったそうだ。実体を持たず、幻やら人心操作の術に長けた魔術型の高位魔族だったらしい。純粋な魔族だったためだろうな、私のデュラハンと同じ様にこちらに出た途端、断末魔を上げながら霧散して消えてしまったそうだ。証拠はそこに有る」
目線だけで指し示した方向に2つの黒くて丸い水晶が転がっています。魔族を討伐した者なら誰でも見た事のある、魔族の核。しかも見た事が無い程の大きさでした。
それを見るとソウジ様は近寄って行って、持っていた剣で叩き割りました。破片を何度も何度も踏み砕いて、聞いた事の無い位の罵詈雑言を浴びせていました。途中でミネルバさんがデュラハンの分も壊されて少しヒヤリとしたと言うと、顔面蒼白になって謝っていました。
それで落ち着いたのでしょうか、座りなおしてこちらを伺ってきたので私としての方針を提示しましょう。
「そんな訳なので、私もマリーさんと同じ境遇です。どう扱うかはお任せしますね」
言い終わると同時に、ソウジ様が顔を真っ赤にして可愛いと言ってくれる笑顔を添えます。やっぱり私は随分と強かになってしまったようです。
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