思わぬ助っ人と思わぬ妨害
大抵の場合、「俺は怪しい奴じゃない」という奴ほど信用ならない。だがそんなことに構っていられるほどの余裕が、私達にはなかったのだ。
《思わぬ助っ人と思わぬ妨害》
はあ。何ですか貴方は。今私の顔には、その疑念と驚きだけがありありと浮かんでいるはずだ。だが男はニコニコ、いやニヤニヤに近い笑みを浮かべたままでいる。
沈黙する小学生2人にどこかのモデルの如き風貌の男は優しく語り掛けた。ひょろ長い体をやや丸め、私達の目線に合わせて。
「生きてる?」
「それはちょっと正確に答えるには難しい質問ですねぇ」
反射的に皮肉な答えを返した私に男は嬉しそうな顔をした。
「おぉ、ってことはやっぱりお前らが今回のチャレンジャーなんだな。良かった良かった、人違いかと思ったぜ。ん?何“意味プーさん”みたいな顔してんだよ。……あいつから俺様の説明されてないのか?」
私と弟は困惑して顔を見合わせた。あいつ、とは天使のことだろうか……それにしてもこいつ、俺様、挙げ句の果てには意味プーさん……だと?チャラいにも程が――いや、今はそれはどうでも良い。
今知るべきは彼の正体だ。私達は精一杯胡散臭げな顔をして首を横に振った。お前さんのようなチャラ男が、私達の崇高な試練に関わってくるなんてこれっぽっちも聞いちゃいません。
男は大袈裟な溜息をついた。
「マジかよ〜、面倒くせえな。ちゃんと説明しとけっつうんだよ、あの頭に蛍光灯女が」
やはり天使の知り合いのようだ。私達は若干警戒を解き彼に詳しい説明を求めた。
彼はよほど説明がめんどくさいらしく、一言こう言った。
「要するに俺様は、非力なお前らに代わってターゲットを仕留める為にここにいんだよ」
「なるほど………」
穏やかではないがそれは有り難い話だった。確かに、私達小学生2人の力で成人男性を殺すのは難しいだろう。それに、自分が生きる為とはいえ、この手で人を殺すのはやはり躊躇われる。
私は胡散臭い男をもう一度確認した。背が高く痩せ形で、やや猫背。髪は真っ黒でバサバサ、それを無理やり一つに束ねている。そして何よりイケメンだ。やや目つきがキツいがやっぱりイケメンだ。だが私にはイケメンを前に舞い上がる可愛げもなければ余裕もない。今は彼を頼るしかないだろう。
私は下から男を睨み上げ、低い声で凄んだ。我ながらデカイ態度だ。いや、いつもはこんなことしないよ?もっと上目遣いで可愛くブリブリお願いするよ?そう、こんな命かかった精神崩壊ギリギリの状況でなければね。
「しくじったら許さん。奴を殺してくれ」
「え、なんか怖いね。ってゆうかターゲットだいぶ通り過ぎちゃったね。俺様接触しないと相手殺せないんだけど」
私は「のおおおおお(それを先に言えよこの役立たずが)!!」と叫び、私達はプリンのおじさんを追って走り出した。人にぶつかり謝りながら通りを走り抜ける。どんくさく図太さの足りない弟は途中で人混みに流され見えなくなった。でも私は立ち止まれない。立ち止まれないのだ。
アーケードの出口が近付いてくる。その出口付近に、トラック――そしてそれに乗り込もうとするプリンおじさんの姿が見えた。
私の口から緊迫感のない言葉が飛び出す。
「ちょっとぉぉぉ!!レシート落としましたよぉぉぉぉぉ!!」
だったら何だ。レシートくらいくれてやるわ。私の中の冷静な自分がプリンおじさんの立場から自分にツッコミを入れる。
そんなこと言わないでよ。受け取って☆私の愛とともにこのレシートを――――やあ、わざわざありがとうお嬢さん。何?僕の命を狙っていると?ははは、仕方ないなあ☆レシートの恩だ、大人しく殺されるとしよう――――――
ブオオオオン。
なんてことになるはずもなく、プリンおじさんは私の声に気付きもせずに嫌になるくらい颯爽とトラックに乗り込み走り去っていった。ちくしょう、かっこいいな。働く男はかっこいいなコラ。
「あ〜…行っちまったなあ」
私の隣でチャラ男が気抜けしたように呟く。遠くなり、最終的に角を曲がり見えなくなったトラックの後部を見送りながら。アーケードの出口で、レシートを握り締め地面にへたり込んだ小学生と、その隣に立つイケメンチャラ男は良くも悪くも民草の注目を集めているようだった。
だが私は立ち上がれなかった。無念さと脱力感のあまり立ち上がる気力さえ湧かなかった。やっと、やっとターゲットを見つけたのに―――何だって、こうも私はツいてないんだ。
ふと、水滴が私の頬を濡らす。顔を上げると、いつの間にか空が随分暗くなっていた。少し早いが、夕立だろうか。遠くから響く地鳴りのような雷鳴が、鼓膜を揺らす。
雨が強さを増し始めた。不意に誰かが後ろから私の腕を引く。遅れて来た弟だった。彼もまた私と同じく暗い表情をしている。私の様子から、ターゲットに接触出来なかったことを悟ったのだろう。私達は、何も言わずにとぼとぼとアーケードの屋根の下に戻った。
客もいつの間にか引いている。私達は3人でひっそりと暗い空を見上げていた。傘?お金?無論持っていない、私に計画性を求めないでくれ。そして小学生の経済力をなめるな。
きゅうーん。
…あ、いや、私の腹の虫じゃないですよ?じゃあ何、ということで下を見ると、びしょびしょの濡れ鼠ならぬ濡れワン公が私を見上げしっぽを振っていた。もうびしょびしょ過ぎて犬種わかんないよって話。にしても、ちくしょう、可愛いな。私を慰めてくれるっていうのか―――私はワン公に手を伸ばし、
「よっしゃ、じゃあ次は●×運送本社に行くか」
ガブッ
「ギャアアアアアア!!いてえええええ!!」
と、がっつり食い付かれた。チャラ男が私に話し掛けてきた瞬間に、びっくりした濡れワン公に、右手の手のひらを半分ほどね、ええ、半分ほど。そりゃあ痛いですとも。普通に絶叫しましたとも。
「ちょっ、いてえっ!!マジいてえ!!マジびっくりんこじゃ貴様あああああ!!ってゆうか放さんかい!!千切れる!!千切れるよ指いいいい!!」
「あ?何だよ、噛まれたのかよ。うっせえなもう」
チャラ男はギャーギャー喚く私を迷惑そうにみやり、その長い(おそらく自慢であろう)足で「あちょっ」と妙に気抜けする掛け声とともにワン公の頭に踵落としを食らわせた。ってゆうかこの状況で「あちょっ」って何なのさ、やっぱり駄目だ、こいつと私のテンションはいついかなる時も噛み合わない。いや、ここは敢えて合わない、としておこう。頭蓋骨中央が陥没しかけたワン公はキャイン、と跳ね上がり後ろに飛び退いた。
ワン公はまだ私達を威嚇している。だがそれには構わず、私はチャラ男に食って掛かった。赤く染まった右手を震わせながら。幸いにも指は一本ももげていない。チャラ男の後ろで弟がやや青ざめややにやけている。
「お前が驚かすからだろうがこのバカ!!」
「聞いてた?次は●×運送本社に行こうって話」
「何でだよってゆうかお前が驚かすからだろうがこのバカ!!」
「だってさっきのトラックに●×運送って書いてあったし。ナンバープレートも覚えたし」
「でかしたこのバカ!!」
私は痛みと喜びでおかしなテンションのまま一回転して左手でグッドラックサインを出した。バカ丸出しだ。だよね、普通チャラ男みたいにナンプレ覚えて追跡しようとするよね、私って探偵には向いてないみたいだわ。しかし私は自分のバカさ加減にうんざりしながらも、希望に顔を輝かせずにはいられなかった。よし、そうとなれば早くプリンおじさんの職場に――――
「ああああっ!!大丈夫かいそこの君!!」
行きたいなぁ、行けたら良いなぁ、ははは。
私は嫌な予感を感じつつも凍り付いた笑顔でバカデカイ声のしたアーケードの出口の方を振り返った。だってねえ、ツいてない日はとことんツいてないって言うじゃん?だからこのタイミングで出てくる人間は、間違いなく私達の崇高で難解な試練を邪魔してやろうという悪意があるに違いないよ。いや、本人にその自覚がないとしても!!
そして案の定、慌てた様子で雨の中からこちらに向かって走ってきたのは、人のよさそうな濡れ鼠ならぬ、濡れお巡りさん―――だった。ああ、もう。
私は即座にやるべきことを理解した。私はお巡りさんを見て苦い顔をした弟に、ゆっくりと手を振った。
行け、弟よ――――
弟は驚いた顔をした後に、悲愴な面持ちで頷いた。
わかったよ、姉さん―――絶対、絶対追い付けよ―――
私は優しく微笑み返した。そして、弟はチャラ男のベルトをひっつかみ脱兎のごとく後方に走り出した。私は気配で(正解にはチャラ男の「脱げるぅぅぅ!!」という声が遠ざかっていくのを聞いて)二人が遠ざかっていくのを確認し、ほっと溜め息をついた。さて、問題はこれからだ。私は前方を見て、覚悟を決めた。
雨を抜け、私の目の前に立った屈強な男は
私の血塗れの右手を見て大袈裟に嘆いた。そう、嘆いたのだ。まるで舞台の上の王子のように。そして、私の前に片膝をついた。そう、片膝をついたのだ。私の左手をがっちり両手で握って。ああ、もう駄目だ。もう私は逃げられない。握られた左手の関節が控え目にミシミシと悲鳴を上げている。この厳つい熊男が弟達に気付く前に、彼らを逃がしておいて正解だったな。
お巡りさんが真っ直ぐに私の目を見て震える声で言った。
「なんということだ…私の相棒の犯した過ちは、私の罪でもある…!!是非償わせてくれ!!」
おそらく私の相棒=濡れワン公、償う=病院に行こう、ということだろう。
私はにっこりと微笑みダメ元で返した。
「結構です」
「ははは、遠慮することはない!!さあ、行こうか!!★◆病院はこの雨の先で我々を待っている!!」
…………待ってねえよ。そして、病院は貴方が指差した方とは逆にありますよ、お巡りさん。
こうして私達姉弟は、思わぬ助っ人と思わぬ妨害によって、悲しくも二手に引き裂かれてしまったのだった。全くもって、どうなることやら。