勇者、コンビニへ行く
翌朝。
グリーンハイツドラゴンの共有スペースには、穏やかな空気が流れていた。
窓から差し込む朝日がテーブルを照らし、どこかで蝉が鳴き始めている。
有斗はソファに座りながら、昨夜借りた雑誌を眺めていた。
文字は読めない。
だが写真を見るだけでも十分面白かった。
現代という世界は、まだ知らないものだらけだった。
その時だった。
葵が財布をテーブルの上へ置く。
「有斗」
呼ばれて顔を上げる。
「なんだ」
「コンビニ行こう」
有斗は少し考えた。
昨日はショッピングモール。
今日はコンビニ。
知らない言葉がまた増えた。
「こんびに?」
「現代人の生命線」
「よく分からないな」
「行けば分かる」
葵はそう言って立ち上がった。
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十分後。
二人は近所のコンビニへ来ていた。
ガラス張りの小さな建物。
入口の上には見慣れない看板。
駐車場には数台の車が停まっている。
有斗は店の前で足を止めた。
視線の先には自動ドアがある。
人が近付く。
開く。
人が通る。
閉じる。
有斗はしばらくそれを眺めていた。
再び人が近付く。
開く。
通る。
閉じる。
「……」
真剣な顔だった。
葵は嫌な予感がした。
「何してるの?」
「見ている」
「何を?」
「扉だ」
どうやら興味を引かれたらしい。
有斗は再び開閉するドアを見つめる。
魔法陣もない。
詠唱もない。
なのに勝手に動いている。
不思議だった。
「魔法か?」
「違う」
「魔道具か?」
「近いけど違う」
「便利だな」
それだけは同意だった。
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店内へ入る。
有斗は思わず周囲を見回した。
飲み物。
お菓子。
弁当。
雑誌。
文房具。
洗剤。
電池。
棚のどこを見ても商品が並んでいる。
「何だここは……」
思わず声が漏れる。
「コンビニ」
「商人ギルドか?」
「コンビニ」
「王城の倉庫か?」
「コンビニ」
有斗は理解を諦めた。
どうやら現代にはコンビニという便利すぎる施設が存在するらしい。
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店内を歩いていると、有斗がある棚の前で立ち止まる。
おにぎり売り場だった。
三角形の食べ物が綺麗に並んでいる。
「これは何だ」
「おにぎり」
「何が入っている」
「色々」
葵は棚を指差した。
鮭。
梅。
昆布。
ツナマヨ。
有斗は順番に眺める。
知らない言葉ばかりだった。
「つなまよとは何だ」
「説明が難しい」
「またか」
「食べた方が早い」
有斗は少し考えた後、鮭のおにぎりを手に取った。
そして真剣な顔で包装を見つめる。
裏を見る。
横を見る。
また表を見る。
「読めない」
「日本語だからね」
「文字が違うな」
その声は少し悔しそうだった。
戦う力はある。
だが文字は読めない。
異世界に来た実感がそこにあった。
「今度勉強しよう」
葵が言う。
有斗は静かに頷いた。
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その頃。
グリーンハイツドラゴンでは、それぞれが自由に過ごしていた。
しおりは自室へ戻っている。
理由は単純だった。
「寝る」
そう言って消えた。
たぶん本当に寝ている。
瀬玲奈は近所を散歩中だった。
現代の街並みを見るのが楽しいらしい。
そして莉愛奈は。
アパート前で腕立て伏せをしていた。
百五十二回目。
汗を流しながら黙々と鍛錬を続けている。
通り掛かったおばあちゃんが声を掛けた。
「偉いわねぇ」
「鍛錬です」
「若いって素晴らしいわ」
「ありがとうございます」
会話が成立していた。
数日前まで異世界にいたとは思えない。
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一方その頃。
コンビニでは会計の時間がやってきていた。
有斗はレジをじっと見つめている。
店員は笑顔で接客していた。
ただそれだけだ。
だが有斗には少し不思議だった。
「どうした?」
葵が聞く。
有斗はレジを指差す。
「金を払うのは理解した」
「うん」
「だが」
真面目な顔だった。
「何故あの者は武器を持たない」
「持たないから」
「防具もない」
「ないね」
「危険ではないのか」
葵は少し考えた。
そして笑う。
「平和だから」
有斗は店員を見る。
客を見る。
誰も争っていない。
武器も持っていない。
確かに平和だった。
「良い世界だな」
その言葉に、葵は少しだけ返事に困った。
良いことばかりではない。
だが少なくとも、魔王軍に怯える必要はない。
それは事実だった。
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買い物を終えた二人は近くの公園へ立ち寄った。
木陰のベンチ。
吹き抜ける風が心地良い。
有斗は早速おにぎりの包装を開く。
中から現れたのは黒い海苔だった。
しばらく見つめる。
「黒いな」
「海苔だからね」
「食べられるのか」
「食べられるよ」
有斗は恐る恐る口へ運ぶ。
ゆっくり噛む。
味わう。
そして飲み込んだ。
しばらく沈黙が続く。
葵は少し不安になった。
「どう?」
有斗は真顔のまま答える。
「美味い」
即答だった。
「そんなに?」
「美味い」
もう一口。
「美味い」
「分かったから」
有斗は満足そうだった。
どうやら気に入ったらしい。
「米は偉大だな」
「それは同意する」
葵は思わず笑った。
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風が吹く。
公園には子供たちの声が響いていた。
穏やかな時間だった。
昨日まで。
有斗は魔王軍と戦っていた。
命を懸けて剣を振るっていた。
それなのに今は、公園のベンチでおにぎりを食べている。
不思議なものだ。
「葵」
有斗が呼ぶ。
「ん?」
「助かった」
葵は少し驚いた。
有斗はおにぎりを見つめたまま続ける。
「まだ状況は理解できていない」
それは正直な言葉だった。
「だが、昨日よりは落ち着いている」
異世界へ帰る方法は分からない。
これからどう生きるのかも分からない。
それでも。
昨日より前を向けている。
有斗はそう言いたかったのだろう。
葵は少しだけ笑った。
「それなら良かった」
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その時だった。
道路の向こうを、一人の男が歩いていく。
背の高い男だった。
スーツ姿。
整った顔立ち。
どこか人目を引く雰囲気がある。
有斗は何となく視線を向けた。
ほんの一瞬だけ。
なぜか少し気になった。
だが理由は分からない。
男はそのまま人混みへ消えていく。
有斗も深く考えなかった。
気のせいだと思ったからだ。
まだ誰も知らない。
運命の歯車が、少しずつ動き始めていることを。




