蒼城蓮司という男
喫茶店の中は静かだった。
休日の昼下がり。
窓の外では人々が行き交い、夏の日差しが街を照らしている。
だが有斗の意識は目の前の男に向いていた。
蒼城蓮司。
そう名乗った男だ。
スーツ姿の実業家。
落ち着いた話し方。
敵意もない。
それなのに、有斗の胸の奥ではずっと違和感が鳴り続けていた。
初めて会ったはずなのに。
なぜか知っている気がする。
その感覚だけが消えない。
「どうした?」
蒼城が苦笑する。
「さっきから怖い顔をしているぞ」
有斗は少し眉をひそめた。
「お前を見ていると落ち着かない」
正直な感想だった。
蒼城は笑わなかった。
むしろ納得したように頷く。
「そうか」
「何だその反応は」
「いや」
蒼城はアイスコーヒーへ視線を落とす。
「それなら正常だと思っただけだ」
意味が分からない。
有斗はますます警戒する。
隣では葵も首を傾げていた。
蒼城はしばらく黙っていたが、やがて窓の外へ目を向けた。
「いい世界だな」
突然そんなことを言う。
有斗は眉をひそめた。
「話が見えない」
「そうか?」
蒼城は小さく笑う。
「少なくとも魔物はいない」
「戦争も少ない」
「夜道を歩いていても命の心配をする必要がない」
その言葉に有斗の表情が変わった。
魔物。
その単語を現代人が使うことはない。
少なくとも普通は。
葵も同じことに気付いたらしい。
視線が蒼城へ向く。
蒼城はそれに気付いていた。
だが誤魔化そうとはしない。
むしろ少しだけ困ったように笑った。
「失言だったな」
その笑顔だった。
有斗の心臓が大きく跳ねる。
忘れていたはずの記憶が頭の奥で揺れた。
見たことがある。
確かに見たことがある。
だが思い出せない。
どこで。
いつ。
何度も考える。
蒼城の顔。
声。
笑い方。
どれも記憶のどこかに引っ掛かっている。
「お前……」
有斗は思わず呟いた。
蒼城が顔を上げる。
その瞬間だった。
記憶が繋がる。
燃え盛る魔王城。
剣を握る自分。
傷だらけの仲間たち。
崩れた玉座。
そして。
目の前の男。
有斗の呼吸が止まった。
あり得ない。
そんなはずがない。
だって自分たちは戦った。
命を懸けて。
世界を救うために。
そして最後に。
確かに魔王を倒したはずだった。
「……嘘だろ」
かすれた声が漏れる。
葵が驚いたように有斗を見る。
だが有斗は気付いていない。
視線は蒼城から離れなかった。
蒼城は静かに有斗を見つめている。
逃げる様子もない。
誤魔化す様子もない。
ただ、どこか懐かしそうな表情だった。
「やっと思い出したか」
その一言で確信する。
全身の血が冷えるような感覚だった。
「なんで……」
有斗の声が震える。
「なんで生きてる」
葵は二人を見比べる。
何が起きているのか分からない。
だが普通ではないことだけは理解できた。
蒼城は小さく息を吐く。
そして静かに立ち上がった。
「その話をする前に訂正しておこう」
落ち着いた声だった。
有斗は無意識に拳を握る。
蒼城はそんな様子を見ても動じなかった。
「蒼城蓮司という名前は本物だ」
そう言って少しだけ笑う。
「だが、それは今の名前だ」
喫茶店の空気が張り詰める。
有斗は一歩も動けなかった。
蒼城は真っ直ぐ有斗を見つめる。
そして静かに告げる。
「昔はゼルグラードと呼ばれていた」
その名前を聞いた瞬間。
有斗の頭から音が消えた。
喫茶店の客の声も。
食器の音も。
何も聞こえない。
世界から自分だけ切り離されたようだった。
ゼルグラード。
ノクスフィアを恐怖に陥れた魔王。
勇者パーティーが命を懸けて倒したはずの存在。
その男が今。
目の前で平然と立っている。
「久しぶりだな」
ゼルグラードはそう言った。
まるで旧友に再会したような口調だった。
だが有斗は言葉を返せない。
頭の中が混乱していた。
なぜ生きている。
なぜ現代にいる。
なぜ社長をやっている。
聞きたいことはいくらでもある。
それなのに何一つ言葉にならなかった。
ただ一つだけ分かる。
グリーンハイツドラゴンで過ごしてきた穏やかな日々は。
今この瞬間、大きく動き始めた。




