出会い~シェイス~
変態シェイスとルーシアの出会い編。いつもより長いですが、分けるのもどうかと思いましたので頑張ってお読みください。
「愛している、か。こいつにとってその言葉ほど嘘くさいものはない」
膝枕をしながら髪を梳く母に、息子は首を傾げた。こいつと呼ばれた義理の父親は、母の膝を独占して気持ちよさそうに眠っている。
「シェイス殿は母上を心の底から愛していらっしゃるのでしょう?」
傍目から見て可哀相なほど素っ気なくされているにも拘わらず、めげずにアタックしている父親の姿を息子はある種の尊敬を抱いている。たった一人に愛を捧げる父親は、自分の実の父親と違って格好いい。なんせ、父と来たら母を差し置いて年中他の女の尻を追いかけ回しているのだ。仕事は出来るが家庭を顧みない父親を彼は嫌っている。それを母上に告げればあっさりと離婚しそうで、もしそうなったら彼は父親に引き取られるだろうから絶対口にしない。(数年後には父親と母親の奇妙な関係を知ることになるのだが、現時点で彼は知らなかった)
「愛にもいろいろある。例えば私はお前を愛している。それは親が子に注ぐ愛情だ。他の父親達もそれは変わらないだろう?」
彼はこっくりと頷いた。彼には上に4人の異父兄がいるが、どの父親も平等に子供たちを愛してくれている。
「こいつの愛情は何というか、ひどく歪だ。愛にもそれぞれあるが、これほど捻くれた愛も珍しいだろうな」
辛そうに目を細める母上は、瞬きしてそれを隠す。それは、彼が産まれる少し前の話だった。
ルーテイシアとシェイスが初めて会ったのは、戦場だった。後にシェイスがドーランの英雄と呼ばれることになるドーラン戦争。元々ドーランとは、国境沿いにある大きな街でスオード領の一部だった。12歳だったルーテイシアは嫡子として、侵略してきた隣国を掃討するために戦場へと駆り出された。
シェイスはスオード家の分家筋の次男坊だったが、実の両親に疎まれて産まれて直ぐに公爵家の騎士を務めていた叔父へと預けられていた。才能があったのだろう、剣の腕は齢17にして、騎士団にこの人有りと言われた叔父を凌ぐほどだった。シェイスは強かった。だが、心は空虚だった。シェイスは環境のせいか愛を知らない子供だったのだ。叔父は常々後悔していた。育ての親らしい愛情を注げなかったことに。叔父は戸惑っていたのだ。元より子供に好かれる性格をしておらず、彼の人生は剣に捧げていたから。兄から半ば押しつけられるようにして引き取った子供にどう接すればいいのか分からなかったのだ。
「剣は人を守るものだ。そして傷つけるものだ。自分が守りたいもののためにだけ剣を振れ」
叔父がシェイスに教えた心構えだ。シェイスは理解できなかった。そんなシェイスを察したのか、叔父はぽんと頭を撫でただけでそれ以上言おうとはしなかった。結局シェイスが理解する前に、突然隣国が攻めてきた。
叔父もシェイスも騎士だ。当然真っ先に戦場へ向かった。そこは覚悟も何もない若者には地獄だった。戦場を目の当たりにして、シェイスは初めて恐れを知った。生きるか死ぬかの世界。鍛錬のように寸止めなどしてくれない。ここに来てシェイスは自ら剣を振るうことが出来なかった。人の命を奪う、その重さに耐えられなかったのだ。恐怖に怯える騎士を逃す敵兵ではない。死を目前にしながらも身体が動かなかった。来る衝撃を覚悟したシェイスだが、寸前でそれは来なかった。代わりに、彼の前には剣を突き刺された叔父と倒れる敵兵の姿があった。
「……んで。なんで俺を庇ったんだよ!あんたなら避けられただろう」
「はは……。親らしいことを全然してやれなかったからな。最後くらい……いいじゃないか」
「訳分かんねーよっ!」
傷の具合を見て、もう助からないと悟る。なぜか分からないが悔しかった。とっくの昔に忘れていた涙が地面に染みを作る。
「なぁシェイス。俺は幸せだったんだ。こんな無愛想な息子だったが、ごほっごほっ。……いいか、よく聞け。お前に愛って言っても分からないんだろう?だったらお前のために泣いてくれる人間のために剣を振るえ。それならわかるだろう、いいな?」
シェイスが頷くのを確認して、痛いほどシェイスの腕を掴んでいた腕は力無く地に落ちた。いつの間にか敵兵がいなくなっていることも今の彼には気づかなかった。
皇都から派遣された援軍を連れて駆けつけた時にはひどい有様だった。老若男女関係なく、見つけ次第片っ端から屠ったのだろう。中には赤子や陵辱されたと思われる死体もあった。こみ上げる吐き気を堪えて、ここまで運んでくれた騎竜兵に礼を言って地に降り立つ。腐臭や焦げ臭い臭いが鼻を突いた。上から見た限り、戦況は圧倒的にこちらが優性。今日中に決着がつくだろう。
「姫様!こちらへ」
護衛の兵士に導かれるまま即席で張られた天幕へと入る。そこには今回の責任者であるアドス大将と、先だって派遣した公爵領の騎士団長ディテウスが待っていた。ディテウスの方は驚いている。
「ルーテイシア様!?なぜ貴方がここへ……」
「状況は?」
「敵方に魔術師がいたようで少々手こずっておりますが、間もなく追撃に転じます。騎士団の者達がよく持ちこたえましたな」
魔術師が一人いるだけで、一般兵の十人分の働きをすると考えれば、今回の大規模な進軍によく持ち堪えられたものだ。さすがに一地方の私兵だけで国を相手にするのは難しい。
「……騎士団の損害は?」
「死者四千名、負傷者一万五千名に達すると思われます」
公爵領が抱える私兵の総数は三万。内一万は、今回の侵略を機に不穏な動きが出ないよう各所で見張っている。相手は十万もの大軍と考えれば奇跡とも云える数だろう。援軍として十万、しかも魔術師や騎竜を連れてきていることを鑑みれば、勝利は間違いない。
ルーテイシアは湧き上がる激情を抑えて淡々とやるべき事を紡いだ。時折もたらされる情報を整理しながら指示を飛ばしていく。
戦局は予想通り、僅か一日で収束した。公爵の名代として、終わってからの方が仕事は沢山ある。街の被害確認及び復興支援、住人の補償、死んだ者達の弔い、軍の駐屯手配など多岐に亘る。その合間を縫って、騎士団へと顔を出したルーテイシアは、広がる無数の死体を前にして立ちつくしていた。それでも震える膝を無視して、一つ一つ顔を確認していく。
騎士団に混じって訓練していたルーテイシアとは顔見知りの者も大勢いた。中にはルーテイシアと同じ年頃の子供を持つ者もいて、嫡子であるルーテイシアを可愛がってくれた。侵攻を拡大させないために命を落としていった者達。隣ではディテウスが肩を震わせて泣いている。
あの時ああすればもっと生き残る人間がいたのではないだろうか?などと後悔が渦巻く。しかし、動揺を見せるわけにはいかなかった。まだやることがある。彼等の死に報いるために動かなければならない。
ルーテイシアは足を止めた。そこには、一人の若い騎士が亡骸の前で微動だせずに座っていた。その亡骸はルーテイシアのよく知る人物であった。スオード公爵が抱える騎士団でも一、二を争う程の腕を持ち、分家の名を持ちながら一介の騎士として働いていた寡黙な人。
「お前は彼の親族か?」
答えを求めてはいなかった。常になく安らかな顔で眠っているのを見て、満足して逝ったのだと判った。
「ドニスは私の剣の師匠の一人だった。ジルは宿屋の息子で、よく昼食を一緒に食べた。トー二はいつも息子自慢ばかりしていた。アビーは顔に似合わず花が好きだった。コニットは爺と同じくらい口うるさかった。ロドニー、サーエ、トリット、モガブ……すまない」
感傷だ。全てが終わるまでは我慢するつもりだった想いがここに来て決壊する。気を張っていてもまだ子供だ。大人でさえ目を背けるような血生臭い光景を目にしながらも、冷静に指示を出す姿に、周囲が心配していることをルーテイシアは知っていた。名代として、毅然と振る舞わねばならないことも。知らない人間だったからこそ、彼女は緩んだ気持ちを吐露できたのだろう。
「雨?」
シェイスは初めて顔を上げた。雨だと思ったそれは、風で流れてきた少女の涙だった。遠くを見つめながら静かに涙を流す横顔を美しいと思った。
「何で泣く?」
声をかけられた少女は吃驚したようだ。安全とはいえ年端もいかない少女がなぜいることに疑問はさしてなかった。
「大勢の人間を亡くしたからと本来なら言うべきだろうが、私はそこまで聖人ではない。身近な人間を亡くしたら悲しい。それだけだ」
少女は叔父を知っていた。叔父の死を悼んで泣いている。シェイスの脳裏に叔父が最後に残した言葉が蘇った。
叔父は彼女を守るために剣を振るったのか?
俺が彼女を守るために剣を振るったら、俺のために泣いてくれるのか?
その泣き顔を俺にくれるのか?
「あんたは俺が死んだら泣いてくれる?」
シェイスは本気だった。訝しげな少女は探るように見ていた。
訳が判らない。
見知らぬ人間に、死んだら泣いてくれると聞かれて即座に答えられる人間などいるだろうか?からかっているのかとも思ったが、本人に至っては真面目な様子。
「多分泣かないだろうな。先程も言ったが、知らない人間に泣くほど出来た人間ではない」
泣く振りは立場上出来るが、彼が求めているものとは違うだろう。
率直に答えただけなのだが明らかに若い騎士は落胆していた。人形のようだと思ったのは錯覚で、実は表現豊かな奴だったのか。
「なぁ。だったらどうすれば泣いてくれる?俺はあんたの泣き顔が欲しい」
……新手の変態か?
ルーテイシアがそう考えるのも無理はなかった。
蔑むような眼差しもいいな……ではなく、こういう時どう伝えればいいのか判らない。
あの綺麗な泣き顔を手に入れたい。初めて彼は欲した。
「なんて言ったかな、叔父貴。えーと、うーん。そうだ!愛、だ。俺があんたを愛したら、あんたは俺のために泣いてくれる?」
叔父の言葉は、見事に曲解されていた。
ルーテイシアは絶句し、本気で彼のおつむを疑った。何かが違うというのはルーテイシアでも判る。一方的な愛を捧げられたところで、捧げられた側が迷惑だったら寧ろ清々するのではないだろうか。ある意味では喜びに泣くかもしれないが、違うだろう。
頭が痛くなってきた。
「決めた。俺はあんたを守るために剣を振るうよ。あんたを愛すると決めたから、もう迷わない。だからあんたは俺のために泣いてくれ」
嫌な予感がする。ルーテイシアが逃げようとするよりも、相手の方が速かった。足元に仄白い魔法陣が展開される。
『我シェイス・スクオーツは汝を唯一の主と定め、いかなる時も汝の剣と化し、汝の敵を屠ることを誓う。汝に我が愛と忠誠を捧ぐ』
それは己が主へと忠誠を捧げる騎士の魔法契約。この魔法契約は一生続き、契約を違えれば待つのは死のみ。それ故、この契約は重い。こんな軽々しく行っていいものではない、はず。
「嘘、だろう?」
自分の手首を見れば、確かに契約の印が刻まれていた。同様に、彼の手首にも同じ印がついているだろう。
「本気。ということで、これからよろしく。俺はシェイス・スクオーツ。あんたは?」
シェイスを知る者ならば生き生きとした姿に誰もが驚くだろう。しかし彼の変化を、会ったばかりのルーテイシアが知るはずもない。
この後、帝国は隣国への出兵が議会で承認され、正式に宣戦布告が成された。報復をするために総指揮にスオーツ公爵が抜擢される。幼い嫡子は、戦場の最前線へと自ら志願。傍らには忠実な若き騎士があった。若き騎士は、同胞と共に目覚ましい活躍を上げる。ドーランの英雄の誕生だった。
「ええと、つまりシェイス殿は母上の泣き顔を得るために愛したと?」
「な。おかしいだろう?私は未だにこいつが何を考えているのかよく判らん」
「全部ルーシアさんのことしか考えてないよ、俺は。きっとあの時俺はあなたに一目惚れしたんだ。その愛が暴走して結果的にああなったの」
上体を起こしたシェイス殿は飲み物を作りにいき、僕は母上に手招きされて母上の隣に座る。
「この話はルカと私だけの秘密だぞ」
二人だけの秘密。母上と秘密を共有できることが嬉しくて、僕は大きく頷いた。
歴史の教科書を捲っていた僕は当時を思い出して苦笑した。今にして思えば、必要なことだったのだ。陸軍総司令が、国や皇帝以外に忠誠を捧げてるなんて許されないことだから。
「母上ほどの立場だからこそ余計、だろうな」
もしかすれば皇帝以上に権力を持っている母上。露見すれば謀反有りとして最悪内乱に発展するかもしれない。
母上の手首の秘密は二人だけのものだ。
うーん、予想以上にまともな出会いに。もっと奇天烈な感じにしたかったんですけどね。兎に角シェイスの思考はぶっ飛んでいる、ということで。