第10話「同じ手口」
萌月十八日。朝から曇り空だった。春の陽気に慣れた体には、風が冷たく感じる。黒パンと薄い粥で朝飯を済ませ、外套を羽織った。今日は歩き回る日になる。
「レーネ、今日は二手に分かれる」
「了解っす。あたしはどっちすか」
「商業区の周辺で聞き込みだ。アシュガル商館の近くに出入りしている職人や商人で、最近道具や品を盗まれた人間がいないか探れ。特に魔導具に関係する品だ」
「わかったっす。先生は」
「港区に行く。前の件の続きを当たる」
レーネが出ていった後、しばらく考えてから事務所を出た。
港区。ユルゲンの魔導具が盗まれた場所だ。萌月の初めに来た時と比べると、河岸通りの船の数が増えている。交易シーズンが本格的に動き始めたのだろう。荷を運ぶ人足の声が通りに響き、潮と魚の匂いが混じった風が吹いてくる。
七番倉庫の周辺から聞き込みを始めた。あの時の水夫を雇った「レーベン訛りの男」について、改めて当たるためだ。水夫は「中背で、帽子を目深に被っていた。顔はよく見えなかった」と言っていた。特徴は少ないが、聞く相手を選べば何か出てくることもある。
倉庫番の老人は覚えていた。
「ああ、あの頃な。萌月の初めに何度か、見かけない男らがうろついていたよ。覚えてるのは大柄な奴だ。外套のフードを被っていた。船乗りには見えなかったな。歩き方が違う」
「歩き方?」
「船乗りは揺れに慣れてるから、陸でも少し揺れるんだよ。あの男は、陸の歩き方だった」
陸の人間。レーベンの住人か、少なくとも地元に長くいる人間だ。——大柄。だがユルゲンの水夫は、自分を雇った男を「中背」だと言っていた。体つきが違う。別の人間か。
河岸通りの屋台で魚のフライを買った。揚げたてが油紙に包まれて、指先が温かい。白身の魚に粗い塩が振ってある。港区の飯は安くて量が多い。歩きながら齧る。
午前中いっぱい港区を回ったが、大きな収穫はなかった。「帽子の男」を見たという人間は倉庫番の他にもう一人いたが、新しい情報はない。顔を覚えている者はいなかった。帽子を目深に被る理由は、顔を見せたくないからだ。当然といえば当然だが。
昼前に港区を出て、商業区に向かった。商人ギルドの近くにある安酒場——「三本槍」という、名前の割に平和な店だ。ここの常連に、ブルーノという男がいる。商人ギルドの下っ端で、荷の検品と帳簿の突き合わせが仕事だ。仕事柄、品物の出入りに詳しい。耳も早い。酒を奢れば話す。
店に入ると、案の定ブルーノがカウンターにいた。昼間から薄い麦酒を飲んでいる。小太りで額が広く、目がよく動く。人の話を聞く商売の目だ。
「よう、仲介屋。珍しいな、こんな時間に」
「情報が欲しい。奢るから付き合え」
「太っ腹だね。何が聞きたい」
麦酒を二杯頼んで、向かいに座った。
「最近、この街で魔導具に関係する品が盗まれている話を知っているか」
ブルーノの目が一瞬止まった。それから、杯を口に運んで、ゆっくりと置いた。
「……まあ、噂はあるよ。ギルドの中でも話題にはなってる」
「詳しく聞かせてくれ」
「おれが知ってるのは、この一月くらいの間に、変な品がいくつか動いてるって話だ。工学派の道具——計測器とか、探知用の小物とか。それだけじゃない。祈祷派の品も動いてるらしい」
「祈祷派?」
「ああ。浄化用の聖杯の素材だとか、強化用の護符の土台になる金属板だとか。セレナード系の品を扱ってる商人が、倉庫からいくつか消えたって愚痴ってた」
工学派だけではない。祈祷派の品も。
両方の体系に関わる品が、同時に動いている。
「盗まれた先は? つまり、どこに流れているか」
「そこまではわからない。ただ——外壁区の方で、品を集めている男がいるって話は聞いたことがある。顔は知らない。ギルドの連中の間でも、具体的な名前は出てこないんだ」
「外壁区か」
「おれが知ってるのはそこまでだよ。あんまり深入りしたくないしな」
ブルーノが杯を空にして、立ち上がった。
「もう一つ。これは噂の噂だから、あてにしないでくれよ。集めてる男は一人じゃない——一人は集める役で、もう一人は別にいるって話もある」
「誰に聞いた」
「忘れた。おれは忘れっぽいんだ。特に、面倒な話はすぐ忘れる」
ブルーノが店を出ていった。面倒を避ける嗅覚は鋭い。そこが信用できるところでもある。
店を出て、中層区に向かった。午後の曇り空は低く垂れ込めていて、通りの色が薄い。風が石畳の上を走る。
商業区を抜けて、中層区への坂道にさしかかった時だった。
背中に、視線を感じた。
すぐには振り返らない。歩調を変えず、通りの角で自然に方向を変えた。道の反対側にある金物屋の硝子窓に目をやる。映り込みは不鮮明だが——後ろの通りに、一人の人影が見えた。二十歩ほど後ろ。こちらが角を曲がると、少し遅れて同じ角を曲がった。
尾行だ。
距離の取り方が上手い。近すぎず、遠すぎず。人通りのある通りでは間に人を挟み、少ない通りでは距離を開ける。素人の仕事ではない。
振り切ることはできる。路地の多い中層区なら、角を二つ三つ曲がれば見失わせられる。だが——今は泳がせるほうが得策だ。振り切れば、こちらが気づいたことを知らせてしまう。泳がせれば、相手の動きが見える。
歩調を保ったまま、わざとらしくない程度に遠回りをした。中層区の大通りを歩き、市場を抜け、事務所の近くまで戻る。尾行者は忠実についてきた。
事務所の近くの路地に入る手前で、屋台の焼き栗を買うふりをして立ち止まった。尾行者が視界の端に映る。中背。帽子を目深に被っている。外套は地味な灰色。顔は見えない。
帽子を目深に被った中背の男。
中背——こちらは港区の大柄な男とは体つきが違う。だが顔を隠す癖は同じだ。ユルゲンの水夫を雇った男も中背だった。こいつの方が近い。
焼き栗の紙袋を受け取り、歩き出した。路地に入って事務所の前を通り過ぎ、さらに先の通りに抜ける。振り返った時——尾行者の姿はなかった。外壁区の方角に続く路地の角を、灰色の外套の裾が一瞬だけ翻って、消えた。
事務所に戻った。窓から通りを確認する。人影はない。
レーネが夕方に戻ってきた。
「先生、聞き込みの結果っす。商業区のセレナード系の道具を扱ってる店で、先月、祈祷用の銀杯の素材が倉庫から消えたって。届出は出してないらしいっす。金額が小さいし、評議会に言っても面倒になるだけだからって」
「他には」
「外壁区に近い方の職人街で、護符用の金属板を作ってる老人がいるんすけど、その人も先月、注文品の一部が消えたって言ってました。やっぱり届出は出してないっす」
やはりだ。工学派の品だけではない。祈祷派の品も狙われている。しかも、届出を出していない——つまり、衛兵にも評議会にも記録が残っていない。盗む側がそれを見越して、小さな被害に抑えている可能性がある。
「レーネ、明日は外壁区の周辺を当たってくれ。廃倉庫や空き家で、最近になって人の出入りがある場所がないか」
「了解っす。——先生、何かあったんすか。顔が険しいっすよ」
「尾行された」
レーネの表情が変わった。
「誰にっすか」
「わからない。中背で、帽子を目深に被っていた。距離の取り方が上手い。素人ではない」
「……それって」
「ああ。ユルゲンの水夫を雇った男と背格好が似ている。ただ、港区をうろついていたのは大柄な別の男だ。一人の仕事じゃないかもしれない」
窓の外で、夕暮れの風が通りの砂埃を巻き上げていた。曇り空のせいで、夕焼けはない。灰色の空が、そのまま灰色の夜に変わろうとしている。
誰かが俺の動きを見ている。つまり、俺が近づいているということだ。




