第20話 病と献立(後編)
王宮の厨房――。
いつもより静かな空気の中、湯気の立ち上る鍋の前に鷹也は立っていた。
「火、少しだけ弱めて」
「了解。香草、もう入れていい?」
フィーネが小さな束にした香草を持ち上げる。セリに似た香りが立ち上がり、淡いスープに溶け込むように広がった。
「もう少しだけ待って。香りが強すぎると、王妃様にはきついかもしれない」
「……繊細なのね、本当に」
火の調整はフィーネの魔法で行っていた。炉の周囲に設置された魔導石が、彼女の指示に合わせて微細な火加減を保つ。
だが、味見も香りの確認も、最終的な塩加減も、鷹也の五感に頼る作業だ。
「スープは穏やかで優しい。それが基本。でも――ただ優しいだけじゃ、心に残らない」
そう言って、鷹也は鍋の縁に数滴のレモンのような果実汁を垂らす。
香草と柑橘のかすかな香りが、最後にふっと花開くように広がった。
「……完成だ」
器に盛られたのは、ガルム鳥と野菜の滋味深いスープ。
透き通る黄金色の液体の中に、刻まれた根菜とほぐした肉。
仕上げに浮かべた香草が、控えめに春のような香りを添えていた。
――――――――――――――――――――――
その日の午後――。
王妃の居室には、白と銀を基調とした穏やかな空気が流れていた。
椅子に寄りかかる王妃は、透き通るほどに白い肌と、翡翠のような瞳を持つ静かな女性だった。
「本日は、新しい料理人がお作りした特別なお食事です」
侍女の言葉に、王妃はわずかに目を細めた。
「……そのような……お気遣い、恐れ入ります」
侍女が慎重にスープの器を王妃の前に置く。
王妃は少しだけ首を傾け、立ち上る湯気に目を細めた。
「……これは……?」
「ガルム鳥と香草のスープです。王妃様のお身体に負担がかからぬように、とのことで」
王妃は黙ってスプーンを取り、ひと口、そっと口に運んだ。
数秒の沈黙のあと。
「……やさしい……」
小さくつぶやくその声に、侍女が安堵の息をついた。
「お口に合いましたか?」
「はい……優しくて、でも……ほんのりと、香りが心に残るような……。まるで……」
ふと、王妃の表情に懐かしさのようなものが浮かんだ。
「幼い頃に、母と庭で摘んだ花の香りのよう……」
その言葉に、背後で控えていた医師がそっと頷いた。
「これほど口を動かされたのは、ここ最近では珍しいですね」
王妃は静かにスープをまた一口、口に運んだ。
鷹也は離れた位置からその様子を見ていた。
王妃の唇の動き、手の震え、瞳の揺らぎ――そのすべてが、彼にとっては言葉以上の「答え」だった。
“料理は、心と体の薬にもなりうる”
異世界で、彼の信念がまた一歩、確かに根を下ろし始めていた。




