後編
『……ラ』
『……シェーラ』
『シェーラ!!』
泣いている少女の声を聞いて、シェーラは目を覚ました。
重い瞼をゆっくり開けると、そこには見覚えのある姿が見えた。
「シェ……リー?」
金髪で藍色の瞳をしている少女に見間違いはない。
羨ましいと思っていたシェリーだった。
アレ?
と、いう事は、今の私は何なんだろうか?
今までのは夢?
シェーラは目を擦り、左手首を見た。
切り傷はない。
やはり、夢か。
そう思ってシェリーを見れば、左手首に包帯をグルグルと巻いていた。
アレが夢だったとしたらリアルだ。
今まで自分が会っていた彼女は、包帯など巻いていなかったからだ。
「シェーラ、ありがとう!! ありがとう!!」
シェリーがグズグズに泣きながら、抱きついてきたのだ。
礼を言われる様な事をしただろうか?
首を傾げていると、シェリーの後ろには夢で見た、叔父サガンが佇んでいたのだ。
「良く分からないけど、私は生きてるの?」
そもそも、そこが問題だ。
自分は倒れた筈。なのに、今はどこも痛くないし苦しくもない。
良く周りを見れば、見知った壁紙が貼ってある広い部屋だった。
明らかに知っている修道院ではない。
「生きてる。生きてるのよ!! ごめんなさい。ごめんなさい」
お礼を言ったり、謝ったりするシェリーに困惑しつつ、シェリーの叔父サガンを見た。
「遽には信じられんが、お前がこの手紙を寄越したのか?」
怖そうな侯爵が、複雑そうな表情をして歩み寄って来た。
そして、シェリーと入れ替わっていた時に書いた手紙を手渡された。
「え? あぁ、そうです。良かった、夢ではないのね。シェリーは救われたのね。ありがとうサガン様」
彼がここにいて、シェリーが嬉しそうに泣いている。
あの父達がいる気配はない。
それで、すべてが繋がった。
私は、元の身体に戻ったのだろう……と。
「貴女のおかげよ。シェーラ。貴女が私を救ってくれた」
シェリーはさらに泣いていた。
だが、悲しい涙ではない、嬉し涙である。
その表情を見た途端に、シェリーはやっと救われたのだ。そう思えた。
「ココは?」
もう何処だかは分かっている。
だが、聞かない訳にはいかなった。どうして、ココにいるのか分からなかったからだ。
「私の……叔父様のお屋敷。侯爵家よ」
シェリーが言えば、シェーラはやっぱりと納得した。
やはり、見た事があるこの部屋は、侯爵家のどこかの部屋だ。
「でも、どうして?」
「貴女が修道院で倒れたのを"知った"から、侯爵家に連れて来たのよ」
どう知ったのだろう、なんて聞かなくとも分かる。
私がシェリーになっていた様に、彼女もシェーラになっていたのだろう。いつ、どこで戻ったのか分からないが、シェリーが修道院に行き自分を救ってくれたのだ。
「そうなのね。ありがとう」
侯爵家にまで連れて来た理由は分からなかった。
だが、生きているのなら、もう修道院に帰ろうとベッドから降りようとした。
したのだが、シェリーに止められた。
「何処に行くつもりなの?」
「え? 修道院に帰ろうかと」
「なんで? 貴女は私の命の恩人よ? ココにいていいの!!」
当然の様に言うシェリーに、シェーラは眉を寄せた。
命の恩人と言う程の事はしていないし、自分を命の恩人と言うのなら彼女も私の恩人だ。
それで、おあいこではないか。
「いてもいいって……」
困惑した様子で侯爵サガンを見ると、彼も複雑そうな表情をしていた。
「悪いが、この手紙の一部を同じ様にココに書いてくれないか?」
そう言って、シェーラに紙とペンを渡した。
シェリーに入れ替わりの話は聞いたのだろう。だが、信じられないサガンは、自分宛てに来た手紙の筆跡を見て確かめたいらしい。
自分宛てに来た手紙は、シェリーの筆跡ではなかった。
ならば、シェーラに違いないと考え、同じか確認したいのである。
シェーラは頷くと、一瞬躊躇い、ある一言だけをサラッと書いた。
『あの男の股間を、もう一回潰しとけば良かった』
侯爵家当主となったサガンは、それを読んだ瞬間に目を見張り、そして小さく笑っていた。
あの時の事を知っているのは、あの場にいた人間だけだ。
手紙と同じ文言を書くよりも、真実味があったに違いない。
「それは言えている」
そう溢していた。
「お前が手紙を書いて寄越さなかったら、私達はシェリーの境遇など、ずっと知らずにいただろう。感謝する」
サガン侯爵はそう言って、シェーラの頭を優しくクシャリと撫でてくれた。
親にも撫でられた事のないシェーラは、不思議な気持ちになっていた。
だが、イヤではない。むしろ、なんかこそばゆかったのだ。
「姉とはな……性格がどうも合わなくて、何年も疎遠になっていたのだよ」
恥ずかしいが、当主の座を取られたのも気に入らなかったと、苦々しく口にしていた。
だが、そう言った後のサガン侯爵の表情は、実に穏やかだった。
姉に苦手意識は持っていたが、嫌っていた訳ではない様だ。
現に、姪のシェリーをサガン侯爵なりに大切に支えてくれている。
「娘を助けてくれたのは、サガン侯爵です。ステラ様も絶対に感謝していると思いますよ」
でなければ、余程性格が捻くれている。
「お前に慰められてもな」
サガン侯爵は苦笑いしていた。
確かに小娘に慰められても嬉しくはないだろう。
「あぁ……お前の病気だが、医師に診せたら、薬を飲んでいれば2年程度で落ち着くだろうとの事だ」
「え?」
「養子に迎えるつもりはないが、この先次第ではシェリーの筆頭侍女に雇ってやる。しばらく休養した後、キビキビ働け」
サガン侯爵は、もう一度だけシェーラの頭をクシャリと撫で回すと、険しい表情に戻り部屋を後にしたのであった。
どうやら、気を失っていた時に、良い医師に診せてくれた様だ。
しかし、どういう事だろうか?
雇う?
シェーラはまだ頭が働かなかった。
「貴女がいいって言うなら、一生修道院でもいいけど。私は貴女と過ごしたいの。貴女が側にいれば頑張れる気がするから」
「うん?」
「私と一緒にいるのはイヤ?」
何も答えないシェーラに、シェリーが泣きそうな表情をしていた。
どうやら、自分を救ってくれた私と、一緒に暮らしたいと言っているみたいだった。
その表情はズルイなと思う。
庇護欲をそそるその表情。
あの義妹とは違って、可愛らしい顔をしているからまたズルイ。
シェーラはわざとらしく溜め息を吐いた。
素直に頷くのも、負けた気がしてイヤだったのだ。
「シェーラ」
そう悲しそうに呼ぶ声もまた、ズルイ。
「侍女だっけ?」
「うん」
「特別扱いしないのなら、いいわよ」
シェーラは苦笑いした。
シェリーに特別扱いされて甘やかされたら、義妹みたいに勘違いするかもしれない。そんな未来は嫌だった。
他の侍女達同様に厳しくしてくれるなら、もしシェリーに捨てられても他で役に立つかもしれない。
シェーラはそう思ったのだ。
「ありがとう!! シェーラ!!」
シェリーは再びシェーラに抱きついた。
こんなにも力があるのかと思うくらいに強くだ。
お礼を言いたいのはシェーラの方だ。医師に診せて貰えたし、生きる希望も見えた。オマケに働き口も見つかったのだから。
「その代わり、今度こそ強く生きて、イイ結婚相手を探すのよ?」
シェーラは笑って言った。
その命を、2度と捨てない様に……。
そう思って言ったのだがーー
「シェーラもね?」
と返されシェーラは苦笑いした。
「はいはい。先ずはシェリーお嬢様が先ね?」
「2人の時は、シェリーって呼んで!!」
「はいはい」
「ハイは一つよ?」
「は〜い」
2人は顔を見合わせるとプッと吹き出し、声を上げて笑ったのであった。
この時、案外わがままなお嬢様なのかもしれないと、シェーラが思ったのは内緒である。
あの日、2人が入れ替わったのは奇跡だった。
それは、神様の気まぐれか悪戯だったのかもしれない。
だが、確かに2人は入れ替わり、そしてーー。
ーー2人の命は救われたのだ。
数奇な運命が重なり合い、2人は互いを思い助け合い、幸せと輝く未来を手に入れたのであった。
〜Fin〜