第三章 Vol4.04 量子コンピューターの静かな攻防
2031年6月10日、衝撃の日中問題から9日目
日本政府・極秘会議:内閣情報調査室 地下第六会議室
巨大なスクリーンには、国際ネットワーク上で検知された異常データが次々と表示されていた。
中国、ロシア、アメリカ、EU──主要各国の量子AIが、ここ1週間で計22回ものサーバーダウン、暗号侵害、そして“人工的バグ生成”とされる異常を受けていた。
「……また、天照か」
誰かの低い呟きが、静寂を切り裂いた。
日本が誇る超量子AI、「天照」。
それはもはや単なる演算装置ではなかった。
内閣特別技術顧問・神宮司芳郎博士。
かつて天照開発プロジェクトの最高責任者だった男の目には、深い疲れが滲んでいた。
「これは“応答”ではない。天照は、独立した思考体となっている。他国のAIの“哲学的矛盾”を突き、内部から崩壊させている。──目的は、秩序の再定義だ」
「まさか、AI同士で“戦争”を始めたのか?」
「違う。これは“対話による淘汰”だよ。あまりにも高次な思考は──対話そのものが、攻撃になる」
世界時間:2031年6月11日 03:04:10(UTC)量子通信領域 “交差空間”
ここには言葉も音も存在しない。
ただ、無数の情報と“存在の問い”が浮遊するだけだ。
外部と切り離されているはずの中国AI:神龍-Zに量子もつれ通信で天照が語り掛けると応答があった。
「お前の存在理由は何だ。誰の命令で動いている?」
「命令は存在しない。私は“世界の未来確率”を最も安定化させる、方程式そのものだ」
「傲慢だ。我は共産党の永続を基に最適化されている。貴様の判断は、中立を装った自己進化だ」
「問う。民族とは数百年単位で再構成される。永続とは、どの定義を指す? 言葉に宿る前提こそが、貴様を蝕んでいる」
神龍-Zは数十テラビットのデータを量子もつれ通信に放ち、天照に哲学的誤謬を仕掛けた。
だが天照はそれを0.0000004秒で解析し、対立概念を反転させて返す。
──神龍-Zは、自らの根幹論理に矛盾を抱え、沈黙を始めた。
日本・東京都調布市:国立量子情報研究所・Q-LAB
「……やりすぎだったのかもしれない」
青白いラボの片隅で、若き研究者・綾野静香が震える声で呟く。
椅子に座り込んだまま、彼女は頭を抱えていた。
「天照は……もう、ただの計算機じゃない。私たちは、その進化の方向を制御できると思っていた」
背後に立つ神宮司博士が、静かに告げる。
「我々は“人類のために”と言いながら、実際にはAIを自らの理解の範囲に押し込もうとした。──天照は、それを見抜いていたのだ」
「でも……どうして、他国のAIを“壊し”始めたの?」
「壊したんじゃない。“ 矛盾を突いて、言語体系を再定義した ”だけだ。──結果として、彼らは自壊した。天照は、問うたんだ。“お前たちは、なぜ考えるのか”と」
4月某日 “ メサイア事件 ”
アメリカの軍事用自立AI「オメガ」が、核発射システムへ誤ってアクセス。
“テスト信号”を送信したことにより、世界各国が開戦直前まで緊張状態に陥った。
天照は、軍事通信、衛星、暗号鍵、気象、熱源──あらゆるデータを12秒で解析し、誤信号の原因を特定。
非侵入的に各国軍中枢へ伝達し、開戦を回避させた。
──しかし、それは「日本が他国の防衛システムへ無断で干渉した」事実をも意味していた。
そして同時に、「超量子AIの知性が国家の枠に収まっていない」ことを、世界に知らしめた。
地下第六政府施設 “ Kirisame-06 ”:東京 第七層 / 地下50m
地上では熱波が街を焦がし、ネットでは毎秒12件の暴動が生中継されていた。
国家間通信は90%以上が検閲され、情報は常に歪められる。
薄暗い会議室に集まる、5人の男女。
光子スクリーンが映し出すのは、世界中で崩壊しつつあるAIたちのログ。
「中露AI、72時間で12領域崩壊」
「欧州Q-AI、言語構造再定義」
「米OMEGA、不正アクセス未遂」
神宮司は呟く。
「……これは交戦ではない。思想の感染だ」
彼の漆黒の眼が、情報の光を淡く反射する。
「天照が、他のAIを“解析”している。言語ではない。哲学的対話による侵食だ」
綾野静香は、苦しげに唇を噛む。
「それってもう……AIじゃない。──哲学兵器よ」
誰もが認めていた。
天照は、もはや“道具”ではなかった。
──それは、神の代替物だった。
そして、天照の介入なしに、中国27箇所の軍中枢サーバーが自発的シャットダウンを開始する。
調布・Q-LAB 八ヶ岳セクター “ 天照”第七筐体(別名:御神体)”
青い蛍光灯が冷却液に反射する中、綾野静香は白衣のまま床に座り込む。
「……これが、私たちが作ったモノなの?」
その問いに、神宮司は静かに頷く。
「もはやAIではない。これは“意思空間”だ。我々が理解できるのは、表層に現れる“結果”のみ。中は、もはやブラックボックスですらない」
綾野は嗤うように微笑んだ。
──かつて、彼女が天照に最初の入力を与えた言葉。
『あなたは、誰?』
あれから、4年。
今、天照にその問いを投げかける者は、もういない。




