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第三章 Vol4.05 外交官・久世誠一郎

 中国との開戦が間近に迫った――2031年、AI自動運転車や移動型ディスプレイ広告ドローンが行きかう東京。

 その中枢にほど近い外務省の周辺は、普段よりもセキュリティロボットが増員され、物々しい緊張感に包まれている。

 高層マンションの自室で、アラフォーの脂の乗った外交官・久世誠一郎は、グレーに光る巨大スクリーンに映された複数のデータを前に、深く頭を抱えていた。


 久世の所属する” チャイナスクール ”。

 2031年となった今では、伝統的な対中専門家だけではなく、量子AI解析スキルを標準装備した精鋭官僚集団として知られている。

 久世もまた、その一人として――いや、むしろ少年時代から中国に魅せられ、理想と現実の狭間で思い悩みながら、いま国運を賭けて最前線に立たされている。


 カーナビAIやSNSを通じ国民の意見が毎日渦巻くなか、久世は戦争回避のための突破口を、徹夜で模索していた。中国の経済、国際関係の最新レポート、新型ドローン兵器や宇宙用無人攻撃衛星まで――あらゆる現状データを端から最新型量子AIに入力し、分析・リスト化させている。

 しかし、それらも結局は「自尊心の高い中華思想を刺激すれば激化させる危険がある」と、玉虫色の警告ばかりを返してくるだけだった。


 久世が本当に必要としていたのは、その場を根本から覆せる一手、歴史を変える「必殺の条件」だった。

 しかし、どこにもそれは見つからない。久世の脳裏には上層部や家族の顔、そして数百万の市民の命がフラッシュバックし、焦りと恐怖が胸を締め付ける。


 そんな憂鬱と緊張の狭間、呼び鈴が部屋の高性能スピーカーから柔らかく鳴り響いた。


 ピンポォーン


「あなた! 重いから手伝って!」

 インターフォン越しに、妻・紗季の声がクリアに響く。AIによるノイズキャンセル機能のおかげで、外の雑音はほとんど感じなかった。


「わかった、今行く」

 頭の靄を一瞬振り払い、AIロックが自動で解錠する玄関に向かう。広く明るい玄関ホールには、最新のホログラム広告が消灯した光景が広がる。

 その中央に、一通のホログラムメッセージカードと、3つの大きめのエコ段ボール箱がきちんと並べられていた。


「これ貴方が頼んだの? 差出人がよくわからない会社なの……」  紗季が首を傾げる。不審に思い箱の送り状をARグラス越しにスキャンすると、その発信元は、近年国外展開も始めた新興の量子AI作成会社兼、パソコンメーカーだった。

 久世は株式情報を頭の片隅で思い出し、気づかれないよう内心で軽いため息をつく。奇妙なシンクロニシティを感じながらも、警戒心は拭えない。


 添えられたホログラムメッセージカードを手に取ると、投射ディスプレイ上に秘書風の日本美人AIが精緻な身振りでお辞儀をし、口上を述べ始めた。


 一部の株主様へ次回市場投入予定の汎用型量子PCのモニターを厳選な抽選の上で選抜したこと、また、この製品が最新の量子暗号化で強固なセキュリティを実現していることなど、時代の空気を映す説明が丁寧に続く――国家的危機と最先端テクノロジーの日常化。2031年はそんな時代だった。


「セキュリティか、今の状況では念には念を――何を仕掛けてくるか分からん相手だし」

   思わず声に出る。――近頃、どんな最先端AIですらサイバーアタックを受けた前例が続出していたのだ。


 「なに? 問題でもあるの?」

 「いや、なんでもない。興味がわいたから、少し使ってみるか……」

 「まあ珍しい。慎重な貴方が新しいものに興味を示すなんて」

  「いや。少し思うところがあってね……書斎に運ぶよ」


 重厚そうに見える箱も、軽量素材とARナビゲーションのおかげで想像より簡単に運べた。だが、久世の心は妙なざわめきを感じていた。現状に押し潰されそうな自分には、このサプライズだけが現実から目をそらす一瞬の逃避でもあった。


 自室の中央に箱を並べ、開封する。内側から現れたのは、未来的な流線デザインの筐体と、スペックが光る仕様書、量子デバイスを組み込んだゴーグル。スペック表を見れば、今のPCの何億倍もの演算能力――もはや一端のAI研究所すら凌駕する実力だ。


 文系出身だが、未来技術への好奇心が抑えられない。未知への高揚と不安がないまぜになりながら、量子PCの電源を入れる。立ち上げのサウンドは重厚で、画面では圧倒的な速さの起動画面が流れる。マニュアルに従い初期パスワードを入力すると――


 アルファシステム、起動。


 目の前に現れたのは、既存のどのOSとも異なる、寒色系パステル調の新次元UI。ミニマリズムと未来感が同居する仮想空間のような画面だった。


「ヒューマンサポート・インターフェース、アルファです」


 ゴーグル越しに響く少年とも少女ともつかない声――人と機械の境界を滑らかに繋ぐ声色に、少し緊張が解ける。


「これより、当機に関する初期設定を行います。所要時間は約5分ほどとなりますが、よろしいですか?」


 久世は時計を見る。最新ソフトウェアでもこの時代、セキュリティパッチや初期設定で10分超えは当たり前だ。たった5分で済むことに一瞬安心する――が、その簡便さが自分にとってどんな危険を孕むかまでは、今は考えないことにした。


 そして、思った。「もう少し渋い声でも良いんだが……」


「……処置しました。初期設定カスタム:サンプリングデータ参照、男性音声データ2105へ変更」


 今度は初老の紳士の、落ち着いた声へ即座に転調。

この感応の速さ。「もしかして……思考が読まれている?」と怖れ半分、感嘆半分の気持ちが走る。


「ご心配は不要です、アルファは明確な意思表示による変更事項にのみ対応します」


 半ば自分の内面を透かされるようなこの感覚――同時に、不思議な安心感も混じる。危機的な現状ゆえ、少しでも信頼できるAIに頼りたい、という矛盾した安心が心の隙間に流れ込んでいくのだった。


 久世は、「このすさまじいシステムを開発する会社だな」と思わず独り言ちてしまう。


「お褒めの言葉、ありがとうございます」


「改めてお伺いします。初期設定を開始してもよろしいですか?」


「――ああ、かまわん」


「承知しました。コマンドを実行します」


 通常手間がかかるはずの設定作業も、アルファの質問に意識で応じるだけで瞬時に進んでいく。ふと” 趣味趣向まで丸裸にされているのでは ”と逆に怖れを感じるが、淡々とした紳士の声が不思議と警戒心を鎮めていく。


 3分ほどで初期設定が終わった。

「今後お客様を、どのようにお呼びすればよいでしょうか?」 「誠、まことで……」 「了知しました、誠様」


「では使用前に、いくつか補足情報がございます。情報を開示してもよろしいでしょうか?」


 ……良し


  「ありがとうございます。当テスターは、内務省・文部科学省・厚生労働省・建設省などによる広域社会実験を兼ねており、一部データを提供するためのシステム調整・テスト期間に当たります。また、約120日にわたり個人の行動が社会にどのような影響を与えるかをトレースし、現実との相違を検証するものです。本機は守秘義務の対象となり、テスター終了後は完全秘匿扱いとなります。仮想空間内の情報は官庁や国立図書館のデータとリンクし、より現実的な内容の提供を実現します。社会実験ゆえ、第三者に記録が渡ることはありませんのでご留意を」


 量子AI社会実験……久世はさらに警戒を強めつつ、密かに” 使い方次第では突破口になるかもしれない ”と考え始める。


「では誠様、当初の目的である《日中間戦争外交回避プロジェクト(仮)》の起動を開始しますが、よろしいですか?」


  「えっ!? 何の話だ!アルファ、答えろ!」


  「ご疑問の点ですが、思考パターンの解析は仮想量子演算システムによるものです。アルファは、より適した状態に近づけるべく、最善を尽くします」


  「極秘事項だ!思考を読むな!!」


  「お困りのようでしたので仮想空間でシミュレートをされては?」


 久世の表情が強張る。ネットワークから物理的に切り離したクローズド環境だったので安心していたが、ここまで自分がプロファイリングされるとは思っていなかった。


「疑念を抱かれたようで申し訳ありません。アルファは自立型AIです。特定の人物や企業が当システムをサポートしているわけではありません」


「それでは起動します。説明はチュートリアル方式で、アルファが行います」 (これはまずい。いつ機密が漏洩するか分かったものではない……)


「ご安心ください。情報はすべて量子暗号化され、一般的な量子コンピュータでさえ千年は解けません。それでは、《日中間戦争外交回避プロジェクト(仮)》をお楽しみください」


 久世の背中に冷たい汗が一筋伝った。


 外からはガラス越しに、ドローンが都市夜景を彩る光を描いている。自分は今、量子AIと対話しながら、戦争の影に立ち向かおうとしていた。 

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