第12話
バタフライミッション三番目の指令が届いたのは、助川佑とスーパー銭湯に行ってから二週間ほど経ってからだった。
僕とカデンは、僕の部屋でせんべいをかじりながら日本茶を飲んでいた。
銀色のワンピースをまとった未来からやって来たガイノイドが正座して日本茶をすすっているというのが、なんともシュールというか、ミスマッチな絵柄だった。
せんべいを食べていたカデンが、突然、指令が届いた旨を僕に告げたのだ。
僕はせんべいを喉につまらせかけた。
二週間、未来から何のアクセスもなかったので、僕はバタフライミッションのことを忘れかけていた。
このまま何事もなく、普通に高校生活を送れるのではないかと漠然と期待していたのだが……、その淡い期待はもろくも打ち砕かれたというわけだ。
僕は大急ぎでお茶を飲み込んだが……、
「あぢいいいいーーーーーっ!!」
入れたてのお茶はとても熱かった。
つまりかけたせんべいを流すことはできたけれど……。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というけれど、僕の経験によればあれは嘘だ。
喉過ぎたって熱いものは熱い。
熱いお湯が食道を通過する――熱い。
熱いお湯が胃に到達する――熱い。
胃に達してからも、熱いお茶は、しばらくの間熱かった。
「……」
僕はじっと耐え、熱さが収まってからカデンにたずねた。
「で、三番目のバタフライミッションは?」
飲み込んだ熱湯と、僕が文字通り熱い戦いを繰り広げている間、カデンは湯飲みを持ったままずっと正座して戦いが終わるのを待っていた。
「はい、愛藤姫乃さんという女の子と映画を見ろというものです」
「な、なにーーー! 愛藤姫乃だと?」
「ご存知なんですね?」
「ご存知も何も……、うちの高校の「彼女にしたい女子ランキングベスト五」の内の一人だぞ!!」
「そうだったんですか。それはちっとも知りませんでした」
「そりゃ、カデンは知らないだろ。いったい、どういうやつなんだよ! 毎度毎度僕にこんな無茶振り指令を出してくるやつは?」
「あ、ちょうど、今回は挑夢さん宛に指令のメッセージも届いているんです。ご覧に入れますね。指令の映像を流します」
「そ、そうなの? どれどれ、どんなやつなのか、しっかと見てやるぞ!」
カデンは、両目をプロジェクターのようにして映像を部屋の壁に映し出した。
映像に映っているのは、黒メガネをかけた初老の男だった。
「誰これ?」
「私たちに未来から指令を出している担当者です」
「やあ、挑夢君、今日も元気かね」
黒メガネの男は言った。
元気かねじゃねーよ。
俺の高校生活はおかげさまで滅茶苦茶だっつーの。
「今回のバタフライミッションは、愛藤姫乃と映画を見ることである。日時は次の日曜。映画の内容は不問。なお、これを果たせない場合、世界は荒廃し、滅亡への道を歩むことだろう。健闘を祈る」
映像は終わった。
「……」
例によって滅茶苦茶だ。
愛藤姫乃と今度の日曜に映画に行かなければならないだなんて……。
それにたしか、うわさでは愛藤姫乃には彼氏がいると聞いている。
学年1コ上の、イケメンの高相聖斗先輩だ。
「今回は、どうして映画を見に行かないといけないんだ? また、誰かが僕と愛藤姫乃が映画に行く様子を見て、変な薬を開発しなくなるとか、映画館入場何万人目ですというのに当たるとか……、そういうのがあるのかな……?」
「……」
僕の問いかけに対し、カデンは無表情で座っているだけだった。
「カデン?」
カデンはぼうっとしているように見えた。
「カデン?」
僕は繰り返しカデンを呼んだ。
カデンは、焦点の定まらない目で黙って座っている。
どうしたんだ?
なにか、メカの異常?
「――あ、すみません。今、未来のデータベースにアクセスしていたのですが……。私がアクセス可能な範囲には、それに関する情報がありませんでした」
「歴史への影響を抑えるため、必要最小限な情報にされているっていう、例のアレ?」
「そのようです」
「じゃあ、理由も分からず、ただ僕は、愛藤姫乃を映画に誘わなければならないのか」
「……」
またまた、カデンが沈黙している。
「カデン?」
「――あ、またまた、すみません。未来のデータベースにアクセス中でした。どうやら世界が滅ぶ可能性については間違いないようです。挑夢さんが、愛藤姫乃さんと映画に行かないと、結局のところ、将来、世界は滅びます」
「世界が滅ぶって――、それじゃ、未来は無いじゃないか」
「そうですね」
「おかしいだろ、それ? だって、現にここに、未来から来たカデンがいるっていうのに」
「そのあたりの矛盾は、可能性が確定した段階で解消されます。つまり、挑夢さんが愛藤姫乃さんと映画に行かないことが確定した瞬間に、世界の滅亡が確定。未来は無くなることが確定。私も消滅します」
「いったい、どうすればいいんだよ……」
ガックリと肩を落とす僕。
「正攻法で頼んでみたらどうですか?」
「頼む? どうやって」
「愛藤姫乃さん、今度の日曜日、僕と映画デートしてくださいって」
「またかよ……。真咲のソフトクリームや、佑の風呂のときと同じじゃないか。それで『はい、いいですよ』って、引き受けてくれれば苦労は無い。それに今度ばかりは、真咲のほうからソフトクリームなめさせてくれたときのように向こうから映画に誘ってくるということは、絶対、絶対、ずえ~~~~ったい無いぞ。だってもう彼氏がいる子なんだし、そもそも僕は愛藤姫乃と面識も何も無いんだから」
「じゃ、ともかく頼んでみましょうよ」
「僕の今の話聞いてた?」
「もちろんです。でも、行動を起こさないことには始まりません」
「あのな……、問題は断られたらどうするかだよ」
「そうしたら、また頼んでみるとか」
「しつこく誘って、ストーカーとか思われたら僕の人生が終わるだろ」
「はあ」
「それに、先輩の高相聖斗に目をつけられたりしたら面倒じゃないか」
「はあ」
「だから、どうしたものかと……」
「挑夢さん、さっきからうまくいかなかった場合ばっかり言っていますよ」
「う……、それはたしかに……」
「どうせ、うまくいかなかったら世界は滅ぶんです。当たって砕けてみてはどうですか?」
「砕けたら困るだろ! 本当に砕けたらどうするんだよ! 砕けたら困るから――、世界が滅んだり、当たって砕けたりしてほしくないから悩んでいるんだろうが!」
「あ、そうでしたね、すみません」
「……」
「そうだ、挑夢さん、いいこと思いつきました」
「なんだ、いいことって?」
「練習するんです」
またか……。
バタフライミッション指令が届くと、カデンの言うことは決まっている。
まず、やってみろという。
次に、練習してみろという。
たしかに、前向きだし、その通りだと思う。
人生における、あらゆることはそうだろう。
やる前から、ぐだぐだ言わずにやってみるのが大事。
そして、やると決めたのなら、それがうまくできるように、練習を積み重ねるのが大事。
分かっている。
分かっているけど……。
「じゃあ、やろう」と簡単にできるのなら、誰も苦労はしないではないか。
人間、「分かっていてもできない」からみんな苦労しているんだ。
「練習か……」
「はい、私を愛藤姫乃さんだと思って、映画に誘ってみてください」
カデンは、自由に姿を変えられるからな。
真咲や佑の時もそうだったけれど、リアリティのある練習ができる。
やらないよりはましか……。
「じゃあ、やってみるから、頼むぞ」
「はい、よろしくお願い致します」
カデンは、一瞬で愛藤姫乃の姿になった。
今、僕の部屋に、高校の「彼女にしたい女子ランキングベスト五」の内の一人、愛藤姫乃がいる。
銀色のワンピースと髪に散りばめられたいろいろな形の飾りはあいかわらずそのままで、まあ、正体はカデンなんだけれど。
正体が分かっていても、姿が愛藤姫乃だと緊張するなあ。
「では……、えー、あの、愛藤さん。もし、よろしければ、今度の日曜に、僕と映画に行ってくれませんか?」
「はい、よろこんで!」
「……」
「……」
「あのなあ」
「はい?」
「毎回毎回言っていることなんだけれど、それじゃ意味無いだろ」
「どうしてですか」
「そんなに簡単に、『はい、よろこんで』って言ってもらえたら、誰も苦労しないよ! 誘って断られたら困るから悩んでいるんじゃないか」
「あ、そうでしたね」
「もっと、こう……、断ってくれよ。それを、どう説得するかという練習なんだから」
「分かりました」
「じゃ、いくぞ」
「はい」
「あ、あの……、愛藤さん、僕と映画に行ってください」
「いやです」
「そこをなんとか、お願いします」
「はい、よろこんで」
「だからあ!!」
「はい?」
「なんで、そうなるんだ? そんなに簡単にいけば苦労しないって言っただろ」
「ちゃんと、一回断りましたよ」
「そんで、もう一回誘ってオッケーだったら、何の苦労も無いだろうが。何回誘っても、駄目だったらどうするかの練習なんだから。二回や三回誘ったくらいでオッケーじゃ駄目なんだよ」
「じゃあ、四回目にオッケーします」
「いや、もういい」
「えーー、どうしてですか?」
「四回目にオッケーになるって分かっていたら、誰も苦労しないだろ! 何回目にオッケーになるか分からないから苦労するんだし、もしかしたらオッケーしてもらえないかもしれないから苦労するんじゃないか」
「ああ、そうですよね……。でも、オッケーしてもらわないと、世界が滅んじゃうんですよ」
「うう……、それはそうだが」
「ここは一つ、百回断られようと、千回断られようと、誘い続けるしかないのじゃないでしょうか」
「く……」
「では、また私がランダムに回数を設定しますから、その回数に達したらオーケーを……」
「いい! カデンは、本当に百回とか千回とかいう設定をするから……」
実際、こないだの佑の風呂のときだって、千二十四回という人間離れした回数設定をしてくれたし。
「それにさカデン。現実問題として僕の場合、百回どころか十回だって断られたら、もう心が折れて、それ以上誘うことなんかできないと思うよ。今の時代、あんまり繰り返ししつこく誘うとストーカーとも思われかねないしね」
「挑夢さんのおっしゃることは、全くもって、いちいちごもっともです」
「……。でも、やらなければならないと言うんだろ?」
「はい。何が何でもオーケーを勝ち取らなければならないのですから。そうでなければ――」
「分かっている。世界が滅ぶんだよね」
カデンの言うことは分かっている。
理解している。
もし、映画に一緒に行くことがかなわなかったら、ひと月以内に世界は滅ぶ。
僕も愛藤姫乃も、いや、全世界すべての人間の人生が終焉を迎えるのだ。
人間だけじゃない。
未来から来たガイノイド、カデンもまた、自分のいた未来を失うことになり、存在が消えるのだ。
それに比べれば、たとえ一万回断られようが一億回断られようが、僕は愛藤姫乃を映画に誘うしかないのかもしれない。
「理由を説明してはどうですか。愛藤姫乃さんと映画を見ないと世界が滅ぶのでお願いしますって」
「それは言っていいんだっけ?」
「『バタフライミッションに取り組んでいる』ということを言わなければいいんですけど……、ちょっと微妙ですかね? もしかしたら、ギリギリアウトかも……」
「ぎりぎりセーフだったとしても……、誰がそれ信じるんだよ」
「ですよねえ」
「カデンがアンドロイドだってところを見せれば少しは信じてもらえるかもしれないけれど、それも禁止事項なんだろ」
「ですよねえ」




