執行
森の中から、アルベ司祭の祈祷の声が洩れ聞こえる。何しろ、森の中。ゴブリンの巣穴は目の前なので、大声で唱えるわけにもいかないようだ。お披露目と人気取りが終わった後の単なる手続きとして無難にこなそうとするのが見て取れた。
司祭の目の前に、拘束されているロジー。その周囲を、修道騎士の扮装をした傭兵が固めている。
儀式が済んだら、害獣駆除組合がロジーを巣穴へと誘導する手順になっている。こうして、人の世に相応しからざる害獣を、相応しい世界へと帰す事で駆除とする。滅多に無いが、組合の重要な任務だ。だが、今回は司祭側の要望で違った形になる。ロジーを誘導する組合員を、さらに傭兵達が囲むのだという。騎士達に、異端者の最後を見届ける栄誉がどうとか、こうとか。随分と強引な司祭側からの申し入れがあったようだった。本当に、完全に、司祭はこちらの事を信用していないのだ。
確かに、助けようとするなら、儀式終了から巣穴までの間はまさに好機といえる。組合側が逃がす気なら、確実に逃がせるだろう。少なくとも、そこは封じてきたというわけだ。なにより、ここに最低限一人、ロジーを助け出そうとしている人間がいるのだからその警戒は正しいと言わざるを得ない。
「……主の前を離れ出で、楽園の東なる地に住めり……」
早口の祈祷が終わり、魔除けのためにロジーに聖水が振り掛けられる。ロジーは両腕を体の後ろで縛られて、膝を付いている。足が自由なのは、自分で歩いて巣穴に入って行かなければならないからだ。祈祷が終わると、組合員に取り囲まれて、ロジーは森の奥へ、ゴブリンの巣穴へと向かっていく。さらに、その周囲には司祭側の傭兵達。その現場から少し離れた位置で取り囲むように、警備担当の組合員が配置されている。たまたま、昼間に起き出していたゴブリンに備えるため。或いは、その他の獣達に一連の儀式と手続きを邪魔されないように。司祭側の言い方を借りるならば、異端者が害獣の助力を得て逃亡しないように、ということだ。
ロジーは、抵抗することなく暗い巣穴の中へと歩いていく。僕とジロラが何がしかの手を講じるまで、ロジーには生きていてくれるのを祈るばかりだ。いや、彼女は僕に「異端の処刑」についての話をする時に「対策が取れる」と言っていた。ロジーがこの厳しい拘束下で、どんな対策を取れたのかは分からない。しかし、恐らく命がけの行動を取る事になるであろう、僕のために。僕に、命を賭けるような指示を出さなければいけない事になるジロラのために。何とか、生き延びていて欲しい。せめて、埋葬するのに充分な大きさの遺体の一部でも残っていてくれれば……。
僕が弱気になっていくのを感じたのか、僕の背後で守られていると言う体裁をとっていたジロラが、一歩前に出て僕に並んでいる。そして、肘で僕の腕を突いた。彼女は鳥の仮面越しに僕の目をじっと見つめてから、小さく頷いて見せてくれたのだった。
異端者の処刑は、滞りなく終了した。警備網にも、幾らかの獣の気配が感じられたというものの、襲撃は起こらなかったようだ。特にゴブリンは、あの独特の悪臭さえ感じられる事はなかった。今回の組合側の指揮を執っていたデビ隊長は、独特の痘痕面に精一杯の愛想笑いを貼り付けて司祭を煽てていた。
「流石の、アルベ司祭ですな。あらゆる害獣を退ける功徳がおありになる。組合も廃業かも知れませんなぁ」
それに気を良くしている司祭も、笑顔でそれに応じる。
「いやいや。全ては神の御加護と勤勉なる組合員の皆様の御協力のお陰です。あとは、異端の住処を捜索して、かの害獣の全貌を明らかにすれば……」
司祭は、隊長の耳に顔を近づける。本人は、内緒話のつもりなのかも知れない。しかし、信徒への説教の癖のためなのか、どうも声はあまり小さくならないようだった。
「あの住処にあった機材、書籍だけでも一財産ですぞ。なにより、辺境伯はこれらの証拠は公開されるわけには行かない。よって、買い取るのは断れないはずですからな」
「ははぁ。そんなにありましたか」
「ここだけの話ですが。辺境伯とその手下のシバサ司祭が異端を匿って何事か、企んでいる事は御存知でしょう。組合の敷地に、勝手な礼拝堂など作られて御苦労なさっている事、お察し致します。」
「いや、そんなことは」
「えぇ、私のところにも『何も問題の無い、ごくありふれた礼拝堂である』と報告が来ています。しかし、何事もないというのはかえって怪しくありませんかな」
一寸、会話に引っ掛かりを感じる。ありふれた礼拝堂? あの医院もどきをそう報告したのなら、潜りこんだ透破の目は節穴だ。アルベ司祭の話は続く。
「内情を何故知っているかと、御不審やも知れません。しかし、心配御無用。我等は、神の従僕としてあらゆる邪悪に目を光らせるのです。そのためのあらゆる方策をとっています」
「流石ですな。頼りにしています」
「勿論ですとも。イスキリに巣食う邪悪を、今回の異端者を切欠に、一掃して見せますぞ。共に栄えようではありませんか。俗な話で申し訳ないが、かなりの収入増が見込めますからな」
「いやいや。教会の運営にも司教猊下の活動のためにも資金と言うものが欠かせない事は理解していますよ。我々には、おこぼれ程度の恩恵があれば充分です」
「何と謙虚な。神は貴殿と共にありますぞ」
アルベ司祭は、もう人目を忘れ、声を上げて笑っている。デビ隊長は、曖昧な愛想笑いのままだったが不快感は隠しきれないようだった。
ロジーを処刑しておいての物言いだと思うと、僕にも、腹から喉に黒くて熱い何かの塊がこみ上げてくるのがわかる。ジロラが腕を掴んでいてくれなかったら、この場で司祭に襲い掛かっていたかもしれない。
今夜、ジロラのところへ行く。そこで、何の話があるにせよ僕はロジーの救出に行くつもりだ。これが、もし「諦めろ」という話であってもアルベ司祭の思惑通りにはさせないと、僕は心に誓った。
日暮れ時。司祭を含めた殆どの人員は、ゴブリンの巣穴から離れて野営している。濃く薄く、緑色の草木が何処までも続く静謐な森林。その中にある、遠目にもそれとわかる、大きな篝火と派手な刺繍の天幕。その中で、騒ぎ歌う人々の声。それらは、荘厳な大聖堂に紛れ込んでしまった、派手な衣装の道化師を思わせる。僕は、人の営みの証であるはずのそれらを、薄気味悪く感じていた。
組合員も、巣穴の入り口を見張る少人数だけを残して粗末な天幕を張り野営の準備をしている。完全に日が暮れれば、ゴブリン達が巣穴から出て活動を始める。そうなれば、被処刑人が巣穴のどこかに隠れていたとしても、活動を始めたゴブリンの餌食になるのにあまり時間は掛からないだろう。同時に、見張りの人員にも危険が及ぶ。そのため、完全に日が暮れる直前に最後の見張り要員も撤収する事になっている。
潜入を命じられるなら、それからのはずだ。僕は、そう考えて野営地の隅で準備をしていた。
持っていく武器は、アルトが置いていったショートソード。何のつもりかは分からないが、気になって持ってきてしまった。ありふれた鞘に入っているのは、何の変哲も無い、ごく短い刀身。いや、ひとつだけ変わったところがある。全体的に鈍刀だが、先端だけが鋭く研いである。突き刺す以外は使うな、と言わんばかりだ。要するに、狭い場所で使うための武器なのだ。振り上げて、振り下ろす。構えて、横に薙ぐ。そういった動きの不可能な、例えばゴブリンの巣穴のような狭い場所で使うための武器だ。
この一振りの剣に、アルトが込めた意図は何か。ロジーの救出か、或いは僕の戦死か。最悪を想定するなら、ジロラへの加害。
僕は、これをアルトなりの協力と読んだ。僕に不利を齎す気なら、もっと煌びやかで実用に耐えない武器で釣るだろう。その点、この剣は実用一点張りだ。ともすれば、見た目の粗末さに気が萎えてしまうほどの無骨な一振り。
口数が多いようで、その実、あまり多くを語らない友人。彼の本心は、この一振りに込められている気がした。




