司祭の一行
アルベ司祭の一行が、イスキリに戻ってくる。
先頭に居るのは太った男。直接見るのは初めてだが、あれがアルベ司祭だろう。胸をそらして、小さなロバに乗っている。ミサでもないのに、純白の司祭服。一点の汚れも無いあたり、都市の目の前で新品に着替えたのだろうか。首に掛かる緑色のストラは遠目にも鮮やかで、高価な素材を使っている事が見て取れた。その一方で顔や手の甲は垢染みていて、新しい衣服との対比で余計に黒く見える。小さな目と低い鼻をしてい。禿頭と相まって、泥団子のような顔だ。
司祭の左後ろに、同じくロバに乗っている助祭が続いている。組合の入り口で、隙を窺いに来ているのを見た事がある。相変わらずの斑に汚れた顔だ。大きな口を左右一杯に広げて笑顔を作っている。司祭に倣ってか、同じく白い司祭服。緑色のストラを左肩から右腰にわたって斜めにかけている。
後に続くのは、鞍の無い葦毛の馬。その頭には、角を模した飾りが付けられている。山羊のつもりだろうか。馬の背に縛り付けられている、ロジー・ハム。革玉の猿轡を噛まされて、荷物のように運ばれていく。服装は、先日別れた時と同じ。草の汁に汚れた薄い布鎧。両目を閉じて、馬の背に揺られていく。
ロジーを乗せた裸馬を取り囲むのは、髭面の男達。恐らく、あれが司祭に雇われた傭兵達。白地に赤く十字を染めた外套を着ている。恐らく、教会から貸与されたものだろう。即席の修道騎士といった姿だが、柄の悪さは隠せていない。
ロジーを乗せた馬の周り。馬と傭兵達の間に少し距離が開いている。傭兵達は、中心に取り囲んでいる身動きの取れないロジーを警戒しているようだ。彼女は時折、もがくような動きをする。その度に、傭兵達は顔を引きつらせてロジーのほうへ視線を向けている。「勘違いさせておいたほうがいいこと」とジロラが言っていたのは、これを見越していたのか。傭兵も司祭もその従者も、伝染を恐れて積極的に彼女に触れようとはしなかったに違いない。隔離区域に踏み込む勇気は辛うじて出ても、ロジーに暴行を加えたりは出来なかっただろう。隔離区域で、長い期間を過ごした異端者。彼女のそういった立場が、彼女自身を守っている。
そう気付いて行列を観察すると、大勢の見物人も病気を恐れている様子が分かる。行列の通る道の左右の建物は、全て鎧戸を下ろして戸締りをしている。遠巻きに見守る見物人達も、いざロジーが目の前を通る段になれば、樽や木箱の陰に隠れる。或いは、帽子を顔に当てて俯むく。そう言ったことで、災厄をやり過ごそうとしているかのようだ。
道のそこかしこには、アルベ司祭の功績を称える宣伝屋が立っていた。大声で、一行の華々しい活躍の様子をまくし立てている。信仰篤い司祭は、神のご加護で以って邪悪な異端者、魔女の技を尽く打ち破り。勇敢な修道騎士たちは、襲い来る怪物と疫病罹患者を退けて……。
何処をどう聞いても茶番だ。それも、病人への偏見を助長する性質の悪い作り話。ジロラが聞いたら、激怒で済むものかどうか。
「かの魔女は、かつて邪悪な考えに染まって修道院を焼いた大罪人。異端の技で疫病と患者を意のままに操る、悪の権化。辺境伯の元から処刑の直前に逃亡し、伝染病隔離区域へと身を隠す。しかし、正義の手から逃れうる道理無しと知るべし」
人だかりの向こうで、宣伝屋の派手な外套が翻る。羽飾りつきの帽子が上下に揺れているのが見える。宣伝文句も佳境のようだ。
「名を呼ぶも憚られる、背教者。その罪、既に明白である。吟味の余地もなし。よって、これより即座に、悪魔を破る祈祷を施しての後。数日と経たず、相応しき場所へと追い返される」
ぱらぱらと、疎らな拍手が起こる。見物人は司祭を称えるより、疫病から逃れようとする方に忙しいようだった。手で口と鼻を押さえている為に拍手が出来ないでいる。それでも、見物を止めないのは物見高いと言おうか。或いは司祭への義理で、見物しているのかもしれなかった。
僕としては、今すぐにでもロジーを助けに行きたい。英雄譚の主役のように。演劇に登場する豪傑のように。並み居る敵を蹴散らして、ロジーを開放する。その後、ロジーの無罪を証明し、アルベ司祭の顔面に一撃を加える。そしてロジー共々、忽然と姿を消す。そんな事が出来れば、この件はどんなに簡単に片がつくだろう。
しかし、僕には並み居る敵を蹴散らすという第一段階から不可能だ。勿論、第二段階以降にも実行可能なものは、一つとしてない。いま僕の目の前にいる野次馬を退かす事すら、僕には無理だ。退かそうとした野次馬が怒るだろう。そして顔面に一撃食らう事になるのは、僕ということになる。
実力に劣る僕は、実力行使以外の方法を見つけなければならない。そういえば、吟味不要で処刑するという事を言っていた。妙に、急な話だ。急ぐ理由があるとすれば、例えば上位の命令権者から中止命令が来る事を恐れている。ありそうな話だ。最初にロジーを保護した辺境伯が、司教相手の工作や取引を終える。そして、処刑の中止命令を出して再び彼女を更なる尋問のためと称して引き取るという事態。これは、彼らが望まないはずだ。手柄も半減といったところだろう。問題は、僕に辺境伯の意向を知る手段が無いこと。ロジーについて二度目は庇えないと考えているかもしれない事だ。ジロラも、処刑は止むを得ないということを言っていた。今回は見捨てられている、という可能性は大いにありえる。ジロラに、そのあたりの事情を改めて確認するためにも、少しでも時間が欲しい。
なんとかして、時間を稼ぐ。刑の執行が不可能になるような。そこまででなくても、延期されるような事件が起これば。例えば、処刑前に行われる祈祷が出来なくなればいい。そのためには、アルベ司祭の教会に設置してある祭壇や祭具を破壊する。これが、僕に実行できる唯一の方法に思えた。司祭の行列は、ゆっくりと進んでいく。先回りはできる。人員も、恐らく行列のほうに動員されている。そもそも、教会で破壊活動を働こうとする罰当たりは少ない。そのため警戒も手薄だろう。いや、見張りがいたとしても、やらなければならない。教会に火を放ってでも、時間を稼がなくては。
確かに、二人と知り合ってからの期間は短い。ロジーに至っては顔を合わせていた時間など一日弱程度だ。しかし、彼女らは他に明かせない秘密を打ち明けてくれた。僕が密告に走れば、自分の身が危険である事を承知で手を貸して欲しいと言っていた。
幼い日の勘違いから、害獣駆除を仕事とした僕。しかし、最初の憧れは「英雄」だったはずだ。気が弱くて、学もなくて、力も強くはない。武器は刺又で、ゴブリン一匹を押さえつけておくのも、一人では無理だ。それでも、僕にだって諦めたくない事ぐらいある。例えば、友を見捨てる事。ロジーが惨殺されるのを、見てみぬふりをする事。それだけはできない。それが何も出来ない、如何にもならない、僕の最後の矜持だ。
本音を付け加えるなら、もう一つ。ロジーに、僕が密告したと誤解されていた場合の事だ。彼女が「どんな手を使っても巻き添えにする」と言っていたという不安要素がある。捕縛される際にロジーがそれを実行していたら、僕の所にも遠からず捕り手が伸びる事になるだろう。
ロジーを救出して、誤解されているなら誤解を解く。そのまま、逃亡するなり潜伏するなりという段でロジーの知恵を借りる。或いは、ロジーを救出した功でジロラに匿ってもらう。僕が生き延びるための手は、これしか無いように思えた。
ともあれ、金属製の祭具を素手で破壊するのは不可能。まずは、道具をとって来なくては。この際、いつもの刺又でいい。顔を隠すためのマスクも欲しい。
道具の調達のために、組合建物内へと足を運んだ。がらんとして、人気の無い入り口。アルベ司祭の行列の見物に出払ったのか。いや、ロジーの処刑のための場所の選定と準備に追われているのかも知れない。処刑に使われるゴブリンの巣穴の位置も、記録があるだろうか。
僕にできる事を考えながら、通路を進む僕の前に、人影が一つ現れる。
「よぉ」
と声をかけててくる、その知った声。
「アルト。君は……」
僕は、拳を握って身構える。アルトは、いつもの笑顔で通路に立ち塞がっていた。




