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fiore di loto  作者: まどか
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 降る。


 降る。


 ざあざあと間断なく、只管に雨が降る。


 天気予報の嘘つき。雨が降るなんて言わなかったじゃないのさ。


 昇降口で立ち尽くし、憂鬱な心持ちで見上げる鈍く重い雲は、よく見ると薄墨を刷いたような濃淡が綺麗。

 傘を忘れてしまったわたしは、しばらく無心で空を見上げていたけれど、一向に切れる気配のない厚い雲と、止む気配のない大粒の雨に、意を決して飛び出した。


 最早日本は亜熱帯なんじゃないだろうか。痛いほどのスコールに、春だというのに纏わり付くような熱気と質量を孕んだ空気。


 気休めにしかならなくとも、教科書が少しでも濡れないように、ブレザーの中に包むように鞄を抱えた。


 わざわざ水溜まりに入らなくても、かぷかぷと歩く度に不快な感触のするローファー。ああ、こりゃもう駄目だな。お母さん怒るかな。


 諦めの境地か、だんだんと楽しくなってくるから不思議だ。わたしは走るのを止めて、ゆっくりと歩き出した。


 この大雨のせいか、わたしの視界が切り取る世界には人っ子一人歩いていない。まるで小さな世界に一人取り残されたみたいで、そんな事を考えていたら益々気分が高揚してくる。


 自然と浮かぶ、最近のマイブームの曲を口ずさみながら、わたしはスキップでもしそうな勢いで歩き続ける。



 通り道の公園で、すっかり緑に替わった桜の樹を眺めた。


 いつもならこの辺りで煌が現れるんだけど、今日みたいな大雨じゃ流石に外出を控えたらしい。



 ファーストキスを奪われて以降、毎日わたしにキスをする煌。


 それは唇を掠める程度に触れ合わせるものだけど、わたしはそれが嫌じゃなかった。認めたくはないけれど。絶対に煌には言わないけれど。もの足りない、……なんて絶対に言わないけれど。



 本名も知らない、氏素性不明な。年齢だって怪しい。住んでるところだって知らない。


 いつもふらっと現れて、わたしを揶揄ってふらりといなくなる煌。


 わたしを見る目が優しいとか、冷やりとした長い指が心地良いとか、ゆっくりと話す艶っぽいテノールが好きとか、エッチっぽい綺麗な顔がドキドキして好きとか、煌だけが呼ぶ『レン』って響きが最近は凄く好きとか、好き?………嫌いじゃないという意味で。


 気付けばわたしは雨の中、葉桜の樹を見上げるように立ち止まっていた。


 雨が強くて目を開けているのも大変なのに、雨粒が痛くて顔を上げているのも大変なのに。


 それなのに、わたしの視界はその黒を捉えた。


 今日は逢いに来ないのだと思って何となく寂しいと感じた事は絶対に言わないけれど。


 公園の隅に背中を向けて立っている煌に駆け寄ったのは、スコールで気持ちが高揚していたせい。


 だから近付くまで気付くことが出来なかったんだ。その違和感に。


 よく知る煌より少し背が高いみたい。よく知る煌より髪が長いみたい。


「我が扉を開こう。冥府へと繋がる扉を。そして此岸を彼岸へ渡す橋を渡るが良い」


 見慣れない煌が何を言ったかだとか、片手に持っている物が大きな鎌だとか、都合の悪いものは目に見えていても、耳に届いていたとしても、脳が認識しなければ見えていない聴こえていないも同じ事なのだ。


「コウっ!」


 わたしが呼ぶ声にゆっくりと振り向いた煌が、煌なのに違う人に見えたのも、スコールのせいだろうか。


 よく知る煌より顎がシャープで……。


「……レン?」


 よく知る煌より声が少し低い……、これは誰?


 今までは見えていなかった大きな鎌。煌の足元に横たわる猫。


 確かに今『レン』って言ったのに。目の前の人は煌しか呼ばない呼び方でわたしを呼んだのに。


 わたしの身体は一歩後退る。


「レン、此処においで。全部教えてあげるから」


 やっぱり長い脚一歩だけで、わたしの目の前に迫った煌みたいな人は、わたしを容易く捕まえて腕の中に閉じ込めた。


 微かに香る瑞々しい香りは煌の匂いで、その手にはもう鎌はなくて、耳元でもう一度レンって呼んだ声はいつもの煌のテノール。


 わたしはやっと安心して、鞄を抱えたままその腕の中に擦り寄ったのも、きっと全部スコールのせいなんだ。






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