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離縁してください!

 


「なぜ私がお前のようなクズに謝らねばならんのだ!」

「そんな、なぜも何も、わたくしは謝ってくれさえしたらそれでいいって、そう言っているだけなのに」

「大体、すべてはお前の勘違いではないのか?」

「違います! わたくしはこの自分の目で見たのですよ。貴方はわたくしの 妹のリリスと寝室で仲睦まじくしていたではないですか!」

「思い込みの激しいお前のことだ。誤った見方をしているだけだろう」

「だって、そんな……」

「そもそも、お前はどうなのだ! 私のことを責める資格はあるのか? 婚姻し、もはや二 年が経とうとしているのに、懐妊の兆しもないではないか!」

「そんな。夜のおつとめだって最近はひと月に一回あるかないかではありませんか。クレイン様がお忙しいとおっしゃるから……」

「それも私が悪いというのか?」

「わたくしはただ、あなたが一言謝ってくれさえしたら…… 」

 すべてを水に流すのに。そう言いかけて、涙が溢れた。


 昔の、結婚する前のクレインは、もっと優しかった。

 初めて出会った、まだわたくしが子どもだった頃のクレインは、厳しいことも言うけれど、それでもその根底に愛があると思えたから好きになったのに。それともあれは、わたくしの勘違いだったのだろうか。

 昨夜、用事 があって訪れた彼の私室。

 普段であれば彼の許しもなく入室することはなかったけれど、その時は彼に預けていた書類がどうしても急ぎで 必要だったのだ。

 部屋の前でノックをしたけれど返事もなく、(留守なのかしら?)と扉を開けてしまったのがいけなかった。

 中から聞こえる男女の声に、ついつい中に入り覗き見をしてしまったのだ。

 そこにはわたくしの腹違いの妹リリスと同じベッドで寝そべり、仲睦まじくしているクレインの姿があった。情事の現場を直接目撃したわけではなかったけれど、その二人の距離感はすでに男女の関係にあると確信し、そのあと一晩、何も手につかないまま泣き腫らして過ごしたのだった。

 今朝になって、まだ頭の中が整理できないまま彼に詰め寄ったのだけれど、結果はこの通り。彼は自分の非を認めることはなく、わたくしをなじるだけ。もうこの先どうしてゆけばいいのかもわからなくなってしまった。

 思えば十歳で初めて出会った頃、家の中でも貴族院の教室でも常に一人で、周囲から孤立し落ち込んでいたわたくしに「お前は笑顔のほうがいい」と言って優しく頭を撫でてくれたクレイン。元 々は幼い恋だったというのはわかっていた。恋に恋する年頃だったのだと、こうして結婚して夫婦になったのだって政略結婚くらいにしかクレインは思っていないだろうということも、今では理解している。それでも、このままゆっくりとでもいい、普通の夫婦のように愛を育んでいきたいと思っていたのだ。

 けれど、このようにまともに会話をしてくれる気がないとわかる、蔑むだけの彼の言い分や態度は悲しくて、心が潰れてしまいそうになる。


 ロクサンシーム王国で生まれたわたくしは幼い頃に母を亡くし、しばらく帝国の帝都にいるお爺さまのもとで暮らしていたけれど、貴族の子女が通うことを義務付けられていた貴族院入学時期に合わせ、十歳の頃にロクサンシーム王国に帰国した。


 あれは貴族院の入学式のあとのこと。交流を深めるための夜会に参加していたものの、それまで同年代の子との交流なども経験したことのない人見知りが激しい子供だったわたくしは、大勢の見知らぬ人の中にいることが辛くなってしまっていた。きっと気のおけない従者に囲まれていればこんな気持ちにもならなかったのだろうとも思いつつ、少しこの場を離れて夜風にでもあたって頭を冷やそうと、中庭の噴水前に出てきたのだった。

 満月のあかりが降るように、あたり一面をその光で満たしている。

 中庭の噴水はキラキラとして、周囲に大量のマナが溢れているのを示唆していた。

 マナ。この世界の根幹であるエーテルが少しだけ姿を変えたもの。

 わたくしたちの心を作るのも、世界に魔法をもたらすのもこのマナのチカラだ。

 そんなマナを一心に浴び自分の心の中に目一杯蓄えたことで、やっと心が安らいできたかな と思ったところで先客がいるのに気がついた。噴水の縁に座り、水面に右手を垂らして いる男の子。

 ひと目見て、そんな彼の姿に目を奪われた。

 金色の髪が美しいお顔にかかる。

 キラキラまばゆく光るマナが、そんな彼の周囲に溢れて綺麗だった。

「ねえ君、どうしたの?」

 そう声をかけられた。

 さすがに、人と話すのが苦手だなんて言っていられない。こうして声をかけられてこのまま挨拶もせずに逃げるように去るのも非礼だろう。そう思って向き直り、礼をする。

「申し訳ありません。宴会場の人の多さに酔ってしまって。外の空気にあたりたくてこちらに参りました。まさか人がいるとは思わなくて……」

 それだけ言って、その場を離れよう。

 そう考えて首を垂れる。

「そっか。君の名は?」

「レイニーマイン・ヴァレンシアと申します」

「ヴァレンシア公爵の?」

「はい。娘になります」

 じっとこちらを眺める目線が痛い。

「まああそこはほんと人が多すぎだよね。私も同じさ。人ごみとあの濃い匂いは苦手でね。ついついこうして逃げ出してきてしまったんだ」

 彼は無邪気なお顔でにっこりと微笑んだ。

 そんな彼、クレインから目が離せなくなって。

 わたくしは、これが恋なのだと自覚したのだった。


 この広大な帝国の版図の中にあるロクサンシーム王国の王太子であるクレイン。

 帝都に帰りたいと駄々を捏ね、父を困らせていたであろうわたくしがこの地に留まる決心がついたのも、彼に恋したからだった。

 わたくしのことを腫れ物のように扱う父や義母とも折り合いがつかず、また、知り合いが誰もいない学院生活に、入学早々精神的に疲れ切ってしまっていたけれど、 そんなどうしようもないわたくしに クレインは優しく接してくれた。彼はわたくしと一歳しか違わない十一歳であったのに、もうすでに立派に生徒会長を務めていた。

 生徒会役員は、自薦や他薦の場合もあるけれど、基 本的には成績や家柄を鑑みて教師によって選ばれる。それもあって王太子であるクレインは入学当初の一年次から会長に選ばれていたと聞いた。

 クレインは、国の象徴である黄金の鷲のイメージを体現したかのような金色に輝く髪色に、王の血筋を示すルビーのような赤い瞳を持つ美青年だった。まだ十一歳だというのに長身で、はっきりした顔立ちのクレインは、とにかく女生徒からの人気が高かった。

 そんなクレインに恋をしてしまった幼いわたくしは、彼にどうしても近付きたくて、ちょうど募集のあった生徒会の役員に立候補したのだった。今にして思えば、彼が優しくしてくれたことも、わたくし が生徒会に入れたことも、彼の気まぐれかもしれない。もしかしたら当時の国王陛下がクレインに、わたくしの世話をするよう言ってくださっていたのかもしれないけれど。

 生徒会の役員は皆、彼の取り巻きで 占められていた。

 副会長であり三大公爵家の筆頭マクレーン家の子息、オールベル・マクレーン。彼はクレインと同い年の従兄弟で容姿自体はよく似ているのだけれど、温和で優しいお兄様といったタイプに見える。鷲のように逆だった髪のクレインとは真逆で背中まである長髪はサラサラで美しい。金色の糸のような、繊細な印象を見るものに与えていた。

 やはり クレインと同い年で騎士団長の息子であるジンライト・オキニス。代々騎士団長を務めるオキニス侯爵家の嫡男である彼は、鋭利な刃物のような銀の髪に銀色の瞳。体も大きく短髪に刈り上げたその容姿は一見怖くも見えるけれど、寡黙で実直なその性格はとても好感が持てた。

 そして、生徒会の会計を一手に担う、マキナス・ルルードル。辣腕で知られる現宰相であるルルードル伯爵の血を引く彼は、父に劣らぬその秀才ぶりを成人前から発揮していた。肩までの黒髪に黒縁メガネの彼は、そのトレードマークのメガネの奥から覗く切れ長の瞳がとても美しい。

 彼らはそれぞれに独特な魅力があって、将来クレインの片腕としてこの国を背負って立つ気概に溢れていた。

 そんな中、当時すでに十五歳のマキナスが翌年で卒業ということもあって、主に彼が取り仕切っていたという会計業務の後釜が募集されていたところに、わたくしが立候補したのだ。

 レイニーマイン・ヴァレンシア公爵令嬢としての立場であれば、他のライバルよりも有利かも、なんてそんな打算もあった。

 そしてわたくしは、生徒会会計として役員の一員に加えてもらえることとなり、それとほぼ同時に、やはり陛下からのご指名でクレインの婚約者という立場も射止めたのだった。きっとこの時のクレインは、婚約や結婚は政略的なものと割り切っていたのだろう。特に異議があったという話も聞かなかった。

 わたくしは生徒会の仕事を一生懸命頑張った。

 でも、時々小さなミスをしてしまうこともあって、そのたびにクレインに酷い言葉で叱咤された。わたくしは皇太子妃になるのだから多少厳しくされても仕方がないと頑張ってきたけれど、優秀な先輩たちやクレインの足手まといになってしまうのが悔しくて、落ち込んで泣き腫らしていた 。

 そんなわたくしに、クレインが「やっぱりお前には私がついていないとダメだな」と頭を撫でてくれたことで、 厳しい中にも、彼の優しさが垣間見え、彼にふさわしい人になろうと思えたのだった。

 そうして学生時代を過ごし、卒業後すぐ皇太子妃となり、その後まもなくして陛下がお亡くなりになったことでクレインが王位を継ぎ、わたくしは王妃になった。そして、クレインに言われるままに本来であれば国家の政務を務めるべき彼に代わり、少しでも国が繁栄していけるよう諸々の政務を一心不乱に頑張って務めてきたのだった。

 しかしいつの間にか、学院時代の先輩後輩の立場さながらに、王妃として頑張って国家経営に励むわたくしに、苦言を言うだけの王、クレイン、という構図ができてしまっていた。

 それでもいい。

 それでもわたくしが頑張れば、国のためにも愛するクレインのためにもなると思って頑張ってきたのに――。


 ◇◇◇


 彼の不倫、それも、わたくしの腹違いの妹であるリリスとの不倫が発覚し、一週間が過ぎようとしていた。

 相変わらずそのことを認めようとしない夫に、わたくしは、もうどうしたらいいのか、何を信じればいいのか、わからなくなっていた。

 泣き腫らして人前に出られるような顔ではなくても、政務は待ってくれない。

 わたくしが目を通さなければならない案件は増えるばかりだ。

 それでも、クレインは政務が滞るたびに「グズ」「ノロマ」「間抜け」などの怒号を平気で浴びせてくる。

 わたくしの気持ちなんかわかってくれない、わかろうともしてくれない。クレインのためにと思って彼の分まで頑張ってきたはずだったのにと思うと、悲しくてやりきれなかった。

 そんな矢先、侍従が「陛下よりお話があります」と、わたくしを呼びに来た。

 クレインの私室の中にある 応接室に通されたわたくしが見たのは、長椅子に寄り添って座るクレインとリリスの姿。


「ごめんなさいお姉さま。わたくし、陛下のお子を授かりました」

「そういうことだ。リリスがこの国の次期王となる子を懐妊した。めでたいな」


 テーブルを挟んで反対側の椅子を勧められ腰掛けたわたくしにかけられたのは、彼らのそんな言葉だった。

 ごめんなさい? その顔は笑っているのに? 

 めでたい? 何がおめでたいというの?

 謝る気なんかさらさらないと でも言うような表情のリリスに、先日のやりとりなどなかったかのようなクレインの態度。ワナワナと体が激しく震え、わたくしは自分が怒っているのだと、自覚した。


「どういうことなのでしょう。先日はあんなにリリスとの関係を 否定しておいて。わたくしを馬鹿にしていらっしゃるのですか?」


 なんとか喉から絞り出したのは、そんな声にならないほど掠れた、低く、くぐもった声だった。


「馬鹿にするも何もない。そもそもお前に子ができないのが悪いのではないか?」

 開き直り、そう言い放つクレイン。

「国にとって後継となる子は必要だ。魔道士に占わせたところ、リリスの子は男子で間違いないようだしな。何、お前とてどこか他の娘に生ませた子よりも半分とはいえ血が繋がった妹の子を世継ぎとした方がいいだろう?」


「どういうことでしょう……」


「私は何も、お前とリリスをすげ替えようなどとも思ってはいない。お前は王妃のままで良い。リリスは第二夫人で満足だと言っている」

「ええ、お姉さま。わたくしにはクレイン様の愛さえあればいいのです。王妃の座はお姉さまに譲りますわ。第二夫人としてクレイン様のお子を立派に産み育ててみせますから」


 勝ち誇った顔でそうのたまう二人。


「結構です。それではまるでお飾りの王妃ではないですか! そんなあなたの都合よくお仕事だけ押し付けられる名ばかりの王妃の座なんかいりません! 離縁してください!」

 気がつくとそう、叫んでいた。


「ふん、お前のようなグズを王妃にしてやった恩も忘れてそれか。ああわかった。離縁してやる」

 クレインのそんな答えに、わたくしは、もう我慢ができなくなっていた。

 リリスはずっとニヤニヤしながらこちらを見ている。

 そうだ。この子はずっとこうなのだ。わたくしのことを嫌っている。

 でも、負けていられるものですか!


「わたくしたちの後見人である帝国の皇帝陛下にも、このことを報告させていただきます!」

「ああ、そうだな、皇帝陛下にもお前と離婚してリリスと婚姻を結ぶ旨を報告しなくてはな。しかしいいな、説明はすべて私がする。お前は余計なことは言うなよ!」

「ええ。そうですわね。しっかりとご説明くださいませ」


 ロクサンシーム王国は、広大な帝国を構成する連邦の一国。一国家として高度な自治は認められていたけれど、選帝侯を輩出する周囲の歴史のある国家とは違い、元々小国の新興国であったから、王の代替わりにすら皇帝の承認が必要である、そんな属国の立場に甘んじてきていた。

 クレインの戴冠式にも、わたくしとクレインの結婚披露宴にも出席してくださったクラウディオ皇帝陛下。

 小国の王の結婚式に出席するなど異例中の異例にも関わらず、後見人として色々とよくしてくださった皇帝陛下にはちゃんと話をしなければ。

 そんなわたくしの発言に、さすがにクレインも納得してくれたのだった。

 それにしても信じられない……。

 わたくしのことなど、本当に興味がなかったのだろうか。

 クラウディオ皇帝陛下は、わたくしのお爺さまだ。

 それは周知の事実であるはずなのに、そんなこともお忘れのようだ。

 情けなくって、わたくしはそれ以上何も言う気になれなかった……。

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