10.ショック療法
「な……!?」
「まぁ……!!」
現れた素顔にピエトロとマリリンが同時に息をのむ。
テオドシーネもまたなにも言えずにシエルフィリードを背後から見つめた。
繊細な銀糸の髪は乱れて絡みあい、二重にされていたかぶりもののせいか頬は上気して、唇は潤いでぷるっぷる。
その中で、怒りを燃やす銀の瞳だけが冷たく輝いている。
息を呑む美しさだった。
周囲の驚愕には気づかぬまま、シエルフィリードは一度テオドシーネをふりかえると、またゆっくりとピエトロに向きなおった。
「ここはわたしの屋敷です。この者は――テオドシーネは、わたしの妻です。……何をされようとしていたのですか」
しずかに問うシエルフィリードの立ち姿には隙がない。
焦ったピエトロが腕を引くが、手に力を込めただけでその動きを封じてしまう。
そういえば馬術もなんなくこなす人だったと思い出す。伊達に長く生きているのではないと笑っていたけれど。
投げかけられた問いに、ピエトロは答えない。
答えられないのだ。
ユフ家を黙らせるために嫁がせた公爵家だが、こうなってしまえば公爵という身分は非常に重い。後ろ盾を失くしたうえに公爵家と争うなどピエトロにできるわけがない。
形としては、背の低いシエルフィリードがピエトロを見上げるようになってはいるが。幼い天使が背後に天の軍勢を引き連れるがごとく、シエルフィリードは堂々とした威圧を放っていた。
「……お引きとり願いましょう」
そう言うとシエルフィリードはピエトロの腕を離してやる。自由になった拳は力なく宙を掻いて落ちた。
ついでに、身体中の緊張の糸が切れたのかピエトロは床に尻もちをついて座りこんでしまう。
テオドシーネはそんな二人を、眉を寄せながら見つめていた。
彼女にはピエトロの気持ちがわかった。
幼いころから見目のよさを褒められて育ったピエトロの最後のよすがを、シエルフィリードは完璧に打ち砕いてしまったのだ。……無自覚に。
ピエトロのプライドはすべてを地位と外見に依っている。この歳になるまで彼をしかりつけることのできなかった国王陛下しかり、周囲の人間しかり。
そしてピエトロが傍若無人にふるまえた一番の理由は、彼が顔を見せれば歓喜に沸く民の姿だった。
多少出来の悪いところがあろうと、上に立つなら美しい者のほうがよい。自分が王になることを民は望んでいるのだ……それがピエトロの甘えの原理。
しかしシエルフィリードを前に、ピエトロは悟ってしまった。
これほどに美しい人間がいるのなら、民はこちらを選ぶだろうと。
現に彼に惚れ抜いていたはずのマリリンは、恐怖に唇を震わせながらもシエルフィリードの美貌から目が離せなくなっている。
(わかるわ……馬から出てくると一層なのよね)
テオドシーネははじめて屋敷を訪れた日のことを思い出した。
ピエトロによってひっかきまわされた状況に、馬のかぶりものの衝撃が重なり、脳が疲弊を起こす。それを狙ったかのように投入されるシエルフィリードのきらきらしい素顔は、精神の許容量を超える。
けれど、ピエトロには現実を受け入れてもらわねばならない。
――残念ながらその願いは叶えられなかった。
呆然としていたピエトロの表情が徐々に歪んでゆく。
ピエトロの怒りはテオドシーネからシエルフィリードへと移ったようだった。虚勢とわかるひしゃげた笑みを口角に浮かべ、間違った恨みを燃やしたピエトロの一矢が唇からつむがれる。
「妻……か。もとはといえばテオドシーネは俺の婚約者だった。ふん、下げ渡された女に必死になって、哀れなものだ」
その言葉に、シエルフィリードは明らかに狼狽えた。
「……殿下の――婚約者……? では、素行の悪さで婚約破棄というのは……」
驚愕が声から伝わってくる。
自分を守ろうと立つシエルフィリードの背中を見つめ、テオドシーネは事情を説明しておかなかったことを悔やんだ。
いまのシエルフィリードならすべてを受け入れてくれるとわかっていながら、先送りにしてしまった。
ピエトロの顔に薄ら笑いがのぼる。
シエルフィリードとテオドシーネのあいだに不和の種を撒いたことが嬉しいのだろう。
「そうだ。俺の婚約者だった。俺に捨てられて、公爵家にすり寄ったんだ」
シエルフィリードの周囲の空気はさらに剣呑とした。室温が下がったような気さえする。
唇を噛むテオドシーネをふりむかぬまま、シエルフィリードが一歩前に出る。普段の物柔らかさを取り去った挙動にびくりと身を震わせた、そのとき。
「それで」
迷いのない、冷え冷えとした声が、凍りついたような空気を打った。
「殿下は、テオを、とり戻しにきたのですか?」
殺気すら感じる声色で、しかし出てきたのは、斜め上の台詞。
「……は?」
「婚約破棄を悔やんで、テオとよりを戻そうと? たしかに我々の婚姻宣誓書はまだ正式に受理されてはおりません。テオの魅力に気づいたなら、いまが最後のチャンスだ。けれど――」
シエルフィリードは手袋をとると、床に――まだうずくまったままのピエトロの目の前に、投げ捨てた。
それは、決闘を申しこむ際の作法。
貴族であることを捨て、己の剣技のみで戦おうとする者の決意。
ようやく、シエルフィリードはテオドシーネをふりむいた。
その表情は怒りと緊張によってやや青ざめてはいるものの、やはり迷いはどこにもなく。ただひたむきなテオドシーネへの愛情があふれていた。
連れ戻されようとするテオドシーネを安心させるため、シエルフィリードはにこりとほほえむ。
その配慮がまったくの見当違いだとは気づかずに。
「ぼくからテオを奪うなら、王族といえども容赦はいたしません」
ふたたびピエトロと向きあったシエルフィリードは凛とした態度で宣言した。
「さぁ殿下、いかがなさいますか?」
今度こそ耐えきれなくなって膝から崩れ落ちるテオドシーネの耳に、ピエトロを追い詰めるシエルフィリードの声が聞こえた。





