side.B 狂った乙女
言わせてもらうが、これは夢の中の話である。
自分には好きな人がいた。
その好意は自分では気付けず、相手も鈍感で気付いてはくれなかった。
毎日平穏な暮らしをして、毎日くだらない話をして、毎日一緒に登校して、毎日一緒に下校して。
変わらない毎日を繰り返して、変わっていく自分に照れあって、ある時2人だけで遊園地に出掛けて、相手が「好きです」と言ってくれて、そしてわたし達は付き合うことになる。
苗字呼びが名前呼びになって、自分の苗字が相手の苗字になって、自分の冠する称号に『〇〇の嫁』が追加される。
言わせてもらうが、これは夢の中の話だ。
決して異世界に無理やり召喚されて、勇者として活動することを強要されて、迷宮の恐ろしさに挫折して、帰ってきたら好きな人が消えているような現実の話ではない。
現実を見ろ、現在に目を向けろ、そう何度も言われても尚、わたしは前を向くことが出来ない。あれから何週間の時が経とうとも、わたしの心は一向に晴れてくれない。
草木も眠る丑三つ時。コンコンと扉が叩かれる。
「優梨」
「……彩花ちゃん」
「また……そんな暗いところで……もう」
カチンと音が鳴る。
彩花が魔力を流して照明に光を灯したのだ。パッと目の前が明るくなる。
そして光の下に照らし出されたのは、血も肉も新鮮な真っ赤な肉塊。腹を開いただけ、何も手を施していない人肉は、見るだけならとてもグロテスクだ。
その凄惨な光景と臭いに彩花が「うっ」と鼻を押さえる。まあ、慣れていない人間だったらこういう反応するのも仕方がないか。
「貴女……」
「えへへっ。ごめんね、驚かせて」
「驚く、なんて事は、ないわよ……」
そうは言うが、彩花の顔は歪んだままだ。
それもそうだろう。
日本ではまず見ることがなかった光景だ。
人体解剖。
日本の高校では文系であったはずの優梨ならば、一生をかけてもするはずのなかった事である。
人体の解体をするようになったのは、たしか数ヶ月前から。死体は闘技場で殺された死刑囚の、お金も家族もない受刑者の死体を使って行っている。
優梨に手を付けられていない受刑者の顔を見る。
彩花はこの顔を見たことがある。数日前に剣を五合ほど打ち合った末に、心臓を一突きで貫いて殺した女の受刑者だ。
ここに運び込まれてからそれほど時間も経っていないのだろう。優梨が開いた腹から飛び散ったとされる鮮血は、未だ床には染み付いていない。
数ヶ月、この光景を初めて見た時に、彩花は驚愕と興奮の板挟みに合い、つい聞いてしまったのだ。
「なんで、こんなことを、しているの?」
「…………強くなりたいから、かな」
そこから語られたのは、後悔と屈辱、そして劣等感だった。
自分よりも弱くなった男の子を助けるために決心をしたのは良いものの、男の子のピンチに居合わせることが出来ず、挙句に帰ってきたら盗賊に攫われている始末。
そしてその時のわたしは泣くことしか出来なかった。だからもう2度とこんなことにならないように、「帰ってくる」と約束した彼と再会するのは、強くなったわたしでいたい。謂わばそれは、か弱い女の子の願いのようでもあった。
「魔力の流れは、頭ではわかっても可視化は出来ていない。可視化できれば応用の幅はぐんと広がる。だからわたしは、その魔力の回路を見つけたい。見つけて、強くなって、彼ともう一度会いたい」
「……そう」
今更道義心に欠けている、なんて言っても彼女の手が止まる事はないだろう。言っても聞かず、受刑者の死体を陵辱し、その願いを叶えるために空気を読まず突き進むだろう。
ならば、止めるのも馬鹿らしい。聞かない馬の耳に念仏を唱えたって、どうせ帰ってくるのは後ろ蹴りだけだ。
「応援してるわ。頑張りなさい」
「――うん!」
優梨真っ赤に染まった手で汗を拭う。
その瞳は煌々と輝いており、あたりの暗さを殺していた。
再び、コンコンと扉が叩かれる。
不味い、と彩花は思う。
万が一、誰かにこの状況を見られたら、勇者と言う存在自体の危険度を疑われかねない。入れない方が賢明だろうか。
「は、はーい」
「わたしが出るよ?」
「アンタはその血を洗って来て! 早く!」
「う、うん」
彩花がしっしっと追いやると、優梨は豆鉄砲を食らったようか表情で部屋の奥へと引っ込んで行く。手を洗いに行ったのだろう。
それを確認すると、扉の前で待たせていたノックの主に挨拶をした。
「ごめんなさい、遅れました。……えっと、アナタは?」
「夜分遅くに申し訳ございません。私はシャルロッテ・ド・ウェルガマ。この国の第一王女にして、王位継承筆頭候補で御座います。お見知り置きを」
砂金のように細かな金髪を揺らし、純白のドレスを纏った王女様は、絶対零度のような冷たい目をして立っていた。




