15話 寝物語
――大樹が燃えている。
地獄の炎もかくやと言う勢いで、黒い煙は蒼穹を雲が覆い隠している空へと立ち昇り、赤銅色の炎は轟々と燃え盛っている。
あの木は神樹と呼ばれる里の守神の住む神聖なる木だと言われていた。しかし今となってはただの所々が枯れてしまった大きいだけの木だ。
――ここは、どこ?
少女は炎の渦の中で目を覚ます。虚な目を擦って、回らない頭から今までの記憶を引っ張り出す。
たしか仕事を終えてアキラと共に帰宅して、自作のご飯を食べ腹を満たし、浴場で1日の汚れを洗い落として、寝床に付いてそれから――
――それから?
「夢……?」
エルフの里。
かつてリーシャとその家族、その子孫までもが永住すると決めていた、神秘と自然が包み込む、外界の文明からは遠く隔絶されたマグナデア最後の秘境。
古くから恐ろしい魔王の人柱が封印されていると言われている洞穴を守っている、戦を好まない者達が住み着いた人類のオアシス。
こんなにもボロボロになっていると言うことは、この光景はあの時の光景だろう。人生が大きく狂わされたたった一夜の出来事。
「……ッ!」
足が痛む。頭が痛む。全身が悲鳴を上げる。
特に痛む腕をさすって、少しでも痛みを和らげる。
「見つけましたヨォ……湖光の剣ィイ――ッッ!」
背後から、這い寄ってくるようなおどろおどろしい男の声が叫ばれた。リーシャは肩を震わせて、脳髄が出した危険信号に驚き転がる。
「あなたは……!」
男は口角をニィと上げて、転がる哀れなリーシャを嘲笑する。リーシャの頬を片手で強く掴み、何がおかしいのか、ケタケタと嗤い微笑む男は、肥え太った体付きを黒いスーツに身を包み、以下にも外界の貴族を匂わせる風格していた。
その男を見て恐怖を抱き、次いでこの時の自分は知らなかったはずの、ある少年の後ろ姿を思い出した。
以下にも普通な格好なのに、勇者とともにいたと言う、自分が奴隷だと知って尚リーシャを奴隷らしく扱わない、至って普通で不思議な少年を――
「ア、アキ――」
× × ×
「――ッ!」
リーシャは寝床で飛び起きた。
辺りは一面真っ暗だが、外から少しだけ月光が差し込んでいる。此処はアキラとリーシャが止まっている宿屋の一室。初めは金が無いため馬小屋で寝泊まりしていたが、流石に一週間も経つと宿泊出来るくらいの金が貯まり、食事は出ないが格安の宿屋に泊まることにしたのだ。
しかし2つも部屋を取れるほどリッチになったわけではないので、2人で一室を使っている状況なのだ。実質男と女が一つ屋根の下状態になっているのだが、アキラはむしろ兄妹と一緒にいるような感覚でいるらしく、襲ってこようとはとはしていない。
年上の女としてのプライドを傷付けられた気分だが、それはまた別の話。
「んぅ……、どうしたリーシャ?」
隣で寝ていた少年が。眠気眼で問うてくる。飛び起きた時に起こしてしまったのだろう。悪いことをしてしまったと反省する。
「……いえ、大丈夫です」
「そういうやふほろなんかあるらひいぜ」
せめて欠伸をするか話すかどちらかにして欲しい。真剣に聞かないと、何を言ってるのか全くわからない。
「……なんでもないです。おやすみなさい」
「んなこと言ったって、お前の周り汗びっしょりだぞ。そんな所で寝れんのか? 気持ち悪くない?」
「大丈夫です」
そう言ってアキラに背を向けて寝ようとするが、先程の夢が鮮明に頭にへばりついて寝ように寝れない。丑の刻を過ぎているのだが、目が覚めてしまって寝ることが出来ない。……マズい、これでは明日の仕事に支障が出てしまう。
「……」
隣の少年は寝てしまっただろうか。
寝てしまっていたら、それはそれで別に良い。そう思って寝返りを打とうとすると――
――ポフっ
頭に優しく手を置かれた。
見ると寝床に座って微笑んでいるアキラ。よしよしと数度撫でて、エルフ特有の金髪を丁寧に梳いてくれていた。
「リーシャ、寝れないんだろ? 寝物語でも聞かせてやろうか?」
「それは良いですね。アキラさんの昔話ですか?」
「昔話っちゃ昔話だが……ジャンルが違うな。ノンフィクションじゃなくてフィクションだし」
「のんふぃ……ふぃくしょん?」
聞き慣れない言葉に小首を傾げる。
アキラとは一週間しか付き合いがないが、時折こんな風にリーシャの知らない単語を言うことがある。勇者様に教えられた言葉だろうか。それを日常的に使うのは、やはり彼はどうかしている。
「そうそう架空の話な。んー、何がいいかな? 桃太郎か金太郎か浦島太郎か……」
「シリーズ物なんですか? じゃあ序章からお願いしたいのですが」
「……いや太郎はシリーズじゃないから。全部出生も年代も全く違う別の人達の物語だから。多分。……ああいや、じゃあ太郎はやめようか。こんがらがりそうだし」
「他に何かあるのですか?」
「……んー、じゃあシンデレラなんていいかもしれないな。リーシャも一応女の子だし」
「一応ってなんですか。わたしは女の子です」
こんな夜更けなのに、彼の失礼な言動が止まらない。自分のことを紳士だとか騙っていた男は何処の誰だったか、少しくらい彼には紳士でいて欲しい。
しんでれらを語り出したアキラを尻目にリーシャは考える。
――彼はわたしの英雄ではないのだろうか。
リーシャの考える英雄とは、リーシャに『本当の自由をくれる人』を指す。
リーシャの思っていた英雄像は、凛々しく雄々しく格好良く、決して女性に対して無礼を働かずに、奴隷とも分け隔てなく接することが出来る白馬の王子様のような完璧超人だった。
しかし彼は凛々しくもなく、雄々しくもなく、すこし格好良いと思っていたらすぐにだらしなくなり、自分を奴隷と知っても差別化しない接し方をしてくれるが、頻繁に自分のことを小さいだのミルクを飲んだら大きくなるぞだの失礼な発言をする普通の少年だ。
職業は操術師。英雄になる者に多い職業の剣士でもなく、歴史に名を刻んだ人物が多い賢者でもない。ましてや豪傑としての側面を持つ戦士や魔法使いでもなく、工事現場などによくいる土の操術師だ。
勇者とともにいただけあって才能はあるのかもしれないが、しかし何故かレベルが低いため戦闘ではあまり役には立たなかったらしく、出来て罠の設置や土塊を生成してぶつけるくらいだったと言う。
よく生き残れたな、と心底思ったが、しかしやはり勇者様達に多大な迷惑も掛けていたらしい。何したんだこの人。
「――そうして、シンデレラは王子様に見初められ、妃として迎えられ、幸せに過ごしましたとさ。おしまい。……起きてるか、リーシャ?」
アキラは小声で問いかける。しかしリーシャの反応はない。
寝たか、と思って自分も夢の中へと戻ろうとすると、寝ていたはずのリーシャが口を開いた。
「……その後、しんでれらはどうなったんですか?」
「……起きてたのかよ。いや、知らないな。シンデレラのアフターストーリーなんて書かれてないからさ。なんでだ?」
「……参考にしたかったので」
「参考?」
あなたには関係ない、とアキラに背中を向けて目を閉じる。少し失礼な態度を取ってしまった気もするが、いつも失礼なことを言われているのでお相子だ。むしろ借りをこちらの方が多い。
リーシャは自嘲気味に笑って、アキラに聞こえないように呟いた。
「……靴がピタリと合っただけで幸せになれるなんて。ピタリと合っただけで不幸になる人もいるって言うのに……」
「なんか言ったか?」
「なんでもないですよ」
背中を向けていた体を寝返らせ、リーシャは金眼を細めて微笑んだ。月光に照らされた初雪のように白く美しい年上の少女の微笑みは、女性経験の少ない少年には少し刺激が強過ぎたらしい。
頬を朱く染めたアキラの顔は、月光をシルエットにしているお陰でリーシャには見えていなかった。
(やっば……なに、なんなのあの笑顔。超可愛かったんだけど……!)
リーシャは目を閉じて眠ったが、代わりにアキラの目はギンギンに覚めてしまった。今度はアキラが悶々と眠れなくなる番らしい。
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