14話 信じる心
「《人間喰い》が現れたァ〜?」
アキラたちが行動を始めた頃、正体不明の怪物に襲われて一目散に逃げ出した奴隷商達は、カプアの街の奴隷商人の取締役に報告していた。
取締役は鼻の下にちょっぴり生えたちょび髭がトレードマークの、でっぷり肥えた身体を黒いスーツでぱつんぱつんに包んだ男だった。黒く分厚いフレームの片眼鏡を右目に付けて、刻んだステーキに齧り付きながら、鋭い眼光で森の中から逃げ帰ってきた奴隷商達を貫いた。
両隣に商品であるはずの女奴隷を侍らせて、ワイングラスに朱色の酒を注がせる姿は、微かな威厳のような風格を感じさせる。その威光に当てられて、取締役の前に傅く奴隷商人達は見を震わせる。
「馬鹿デスかあなたは! 《人間喰い》なんているわけがなィんデスよォ!」
「で、ですが! 我々を襲ったのは正体不明の巨大な化け物で……! どう見ても《人間喰い》でした!」
「言い訳がましいデス。どっかのコボルトが屋根に上ってきただけではないんデスか」
「そ、そんなことは――」
「だいたい《人間喰い》なんて怪物は、絶対にこの世に存在しないんデスよ。妄想と噂が重なって出来た――ただの空想の怪物なんデスから」
「は、はぁ……?」
奴隷商達は意味がわからずただ同意する。
「そんなことよりも、当時の状況を詳しく具体的に教えなサイ。もしかすると、これ以上ないくらいに厄介なことになるかもしれません」
「は、はぃ――」
奴隷商人達は取締役の男に、詳しい説明を求められ、乗っていた『蟲付き』と操術師の少年のことについて話す。
騎士団が構えていたテントに忍び込んだこと。
少年は勇者達の仲間だと言うこと。
《人間喰い》は何の予兆もなく、馬車の屋根上に現れたと言うこと
肥えた取締役の男は、ぶつぶつと数言呟いたあと、血相を変えて目の前の机の上にあった酒瓶や獣のステーキをガシャンッ! と大きな音とともに払い落とした。
「何をしているのデスか、あなた達はぁあああ!」
「ひ、ひぃいい!」
「貴方達を襲ったらしい怪物は少年が作った紛い物に決まっているではありませんカ! 《人間喰い》なんているわけがないでしょうに! それに! よ、よりにもよって……ア、湖光の一族を逃すなど、なんたる失態ィイイイ!」
男は周囲に唾液を撒き散らしながら叫ぶ。
一頻り目の前の奴隷商人達を罵る罵詈雑言や罵詈讒謗を叫んだ男に、すぐ傍で控えていたフードで顔を隠した老魔術師が、息遣いの荒くなっている男に空気を揺らさず耳打ちする。
「――」
「……ん? なんデスかゼイレンさん?――ふむふむなるほど! 流石は我が片腕グッドアイデアデス! やはりあなたは便利デスねぇ!」
パンパンと手を打って老人の出した知恵を喝采する。しかし溢れ出る憤怒の感情は隠し切れていない。
男は立ち上がるとテキパキと近くに佇んでいた他の奴隷商達に指令を飛ばした。
「ではすぐに捜索の手配を! 蛇目を使えばすぅぐに暴き出すことが出来るのですから、今すぐ隈無く探し回りなサイ! 一刻も早く見つけ出すのデス!」
男は奴隷商達に指令を飛ばし、豪奢なソファに座り直した男は、不機嫌な顔でグラスに残っていたワインを飲み干した。
× × ×
「いらっしゃーせー」
「いらっしゃいませ」
此処はカゼルタの街の一角を占める食事処『五穀の九尾亭』。中世風な酒場の賑やかな雰囲気が漂う木造の店内に、酒場に似合わい少年と少女の声が響いた。
片方はお盆を持って接客をしながら。片方は忙しく料理を彼方へ此方へと運びながら。別の仕事に打ち込む2人の共通点は右腕。青い蛇の痣が出来ている。
アキラとリーシャはカゼルタの街で接客業に勤しんでいた。
「アキラさん、手伝いましょうか?」
もちろん、そこで働いている従業員はアキラとリーシャだけではない。アキラの手伝いを申し出てきた薄桃の女の子は『セルカ』と呼ばれている人間族だ。
透き通るくらいに白い肌に、ボーイッシュなショートカットの薄桃色の髪。くりっとした大きく丸い目と、白のフリルが付いたカチューシャがチャームポイントの少女だ。
日本では無かった(柏原さん除く)経験に、童貞特有の気持ちで少しドギマギしつつ、猫の手も借りたい忙しさだったので、有り難くその申し出を受けることにした。
「ありがとうございます。それじゃあこのキッシュを3番テーブルのお客様にお願いします」
「了解でーす」
セルカはアキラの願いを快く了承して、両手に持っていたキッシュを取って運んで行く。その背中を見送ってアキラは次の仕事を貰いに厨房へと向かう。
そこでは褐色肌の狐美女がフライパンを握ってあくせくと働いていた。店員からは『テンさん』と呼ばれている、この店の女主人だ。アキラの姿を認めたテンは、机の上に置いてあるシチューを見て「持ってきな」と視線で促す。
視線に促されてシチューを手に取り運ぼうとすると、犬耳美女が紙切れを片手に厨房に入って来た。
「8番テーブルオーダー入りまーす!」
「はいよー!」
この店の従業員の連携は、素人目から見ても素晴らしいと思う。テンさんは1人で料理を作っているのに、まったく衰えることのない勢い。むしろ忙しく働いているのは俺たち従業員で、人数もちょうど良いバランスで整っている。
流し目で犬耳美女を見ると、その僅かな視線を感じ取ったのか、お盆を片手に俺の隣をトコトコと付いてくる。
「おー、アキラくん。仕事には慣れたかナ?」
「まぁ、ボチボチですかね」
「わかんないことがあったらセルカに聞きなヨ」
「ティーさんじゃないんですね」
「キミの教育係はセルカだからネ!」
無責任にも俺に関することを全てセルカに投げて、犬耳美女は食器を下げに向かう。
彼女は『ティー』と呼ばれている犬人族の女性だ。駱駝色の毛色と気の強そうな丸い目が特徴の女性で、この店の中でも古参の店員らしい。
「お待たせしました。兎肉のシチューです」
ちなみにこの兎肉、アルミラージと言う魔獣から取れた肉らしい。魔獣の肉って食えんの? と思って一口齧ってみたことがあるのだが、どうにも塩分高めの鶏肉風味兎肉らしい。
初めて食べた時は、あまりの塩辛さにむせてしまった。喉が焼けるように痛かった。シチューに使われると言うことで味を想像してみたが、流石にミスマッチだと思ったものだ。
しかしアルミラージ肉が使われる時は、塩分を洗い落としてから使用されるのだそうだ。そうすれば塩分高めの兎肉鶏肉風味は、塩分低めの兎肉鶏肉風味に変貌する。つまり名前以外ほとんど鶏肉なのである。
× × ×
せっせと働いていると、時間が過ぎるのはとても早い。時給を貰って店の裏口から出る。後の時間は大人の時間。カプアの冒険者ギルドから冒険者達が帰って来て、あそこは飲食店から飲み屋に変わる。
流石に酒香に当てられるのは、日本の未成年の倫理観として不味いから、酒に慣れていない子供は一目散に逃げ出す。
「そういやリーシャって幾つだっけ?」
「鑑定した時に見てなかったのですか?」
「気が引けたんだよ」
「……紳士でしたか」
「紳士ですが何か?」
談笑しながら明かりの少ない街道を進む。
実のところ、この街に着いてから一週間ほどが経過しているのだが、違う世界の違う街と言うこともあってか、旅行気分が抜けないワクワクした気持ちが胸に残留している。
この世界の常識は召喚されたばかりの頃に、図書室に通いながら頭に叩き込んだのだが、それもルールブック程度のものだ。応用編は覚えていないし、著名な人や有名な物語のような、高校生として気になる部分の知識は取り込んでいない。
街の明かりは少ないことは知っていたが、知ることと見ることとではまったく違う。頼りになるのは月に似ている衛星が、光源となる恒星から反射している光だけだ。
「暗いな」
「そうですか?……あぁ、そういえば人間はすぐには夜目が効きにくいんでしたっけ」
「まあな。だから下は頼むぞ」
「仕方ないですね」
隣でふぅとため息が漏れるのが聞こえた。男なのに情けないことを言う俺に呆れたのだろう。
「そろそろ着きますよ」
「そうか」
「……あの、手を離してもらえると有り難いのですが」
「ん……?……なっ!?」
いつの間にか手で人の温もりを感じていた自分に驚き、心臓が勢いよく飛び跳ねる。
手に変な汗を掻き始めたことを感覚的に感じた俺は、リーシャの手から手を離してズボンで手を拭く。
隣で呆れた顔をしていそうなリーシャに謝罪する。
「あ、ご、ごめ……」
「これくらいなら大丈夫です」
「なんか……情けねえな、俺」
「本当ですよ」
どうやら一ヶ月ほど異世界にいたせいか、人の温もりを知らず知らずの内に求めるようになってきてしまったらしい。ホームシックと言うやつだろう。
自嘲的な笑みを浮かべて自己批判をする。自己批判は昔から得意だ。自分の悪いところは、他者よりも自分が一番わかっている。それを口に出せば良いだけなのだから。
「……」
「なんだよ」
「いえ、なんでも。すこしだけ昔を思い出しただけです」
「おっ、なんだ? リーシャの昔話か?」
「違います」
「違うのか」
「違うんです。助言をしてあげようと思ったのですが、やっぱりやめます」
ツーン。リーシャは俺から視線と鼻先を逸らして、知らんぷりの体勢に入る。
「なんだよ気になるじゃん。年上の助言か?」
「……待ってください。やっぱりわたしの年齢知ってるんじゃないですか!」
「当然。鑑定の時に見たからね」
「年齢を見るどころか嘘を吐くなんて! 酷いです!」
「HAHAHA」
笑い飛ばして誤魔化す。
しかしリーシャは金眼を細めて睨み凄んで、俺はリーシャの迫力に押し負ける形で肩から力を抜いた。
「……なんかごめん」
「――最初からそう言えば怒らなかったんですよ」
「……絶対嘘だ」
「なにか?」
「なんでもないです」
リーシャが発する威圧に負けて、俺は圧のような視線から逃れるためにリーシャの顔から目を逸らす。
気まずいなぁ、と考えていると、リーシャがボソッと独り言を呟くように言う。
「――自分だけは誰よりも信じてあげてください。でないと破綻してしいますから」
それはきっと、助言だったのだろう。
ご主人様を取っ替え引っ替え盥回しにされて、きっと誰よりも自分を傷つけてきたであろう彼女の身の入った言葉は、視線を逸らしてリーシャの表情を見ていなかった俺の無防備だった心に、すしっと重くのし掛かった。




