36. 断絶
サイパン島:チャランカノア
「ダメだったか……」
ワトソン少将は頭を抱え、項垂れた。攻撃は失敗したのだ。
精強を誇る第2海兵師団が果敢に突撃し、壊乱するまでの一部始終を、ワトソンは見届けていた。テニスンが称えた英国軽騎兵ほどの栄光も、カスター将軍ほどの戦果もなかった。かつて遭遇した日本軍のバンザイ突撃をより醜悪にした辛酸を、自分達は舐めることとなったのだ。
「師団長殿、何とか本国へ情報を伝えましょう」
虚ろな声で参謀長が言った。
参謀長は開封後3日ほど炎天下に放置したコーラみたいな顔をしていて、自分もそうだろうとワトソンは思い直す。
「この惨劇が繰り返されぬよう」
「そうだな……だが、何なんだ、これは? どうしたらいいのだ?」
「恐らく超心理学、テレパシー……」
情報将校のルイス少佐が、かすれた声で言う。
「日本人は元々、"以心伝心"に長けていたそうです。火星人にテレパシー装置をもらって、それが増強されたのではないかと」
「ハーム、君の戦術分析はゴミ屑だよ」
ワトソンは大いに溜息をつき、
「しかし、忌々しいことに、他に説明がつかんか」
「ええ……」
実際、戦ってみて分かったのだが、日本軍は極端に精密な射撃をものにしただけではなかった。
全員がまるで1つの個体のように振る舞っていた。斥候が目標を発見すると同時に、それが砲兵の神経系に伝わり、榴弾が一斉に飛んでくるのだ。突撃する大隊にまで砲火が追従し、ヘリコプターが撃ちまくってきていた。
しかも前線航空管制すら行っていなかった。自分達も無線機が使えなくなるのを承知で、日本軍は全周波数を擾乱していたのだ。そんな状況で極めて高度な意思疎通を行ったとすると、本当に超能力を信じざるを得なくなる。
「まるで百目巨人のアルゴスだ……」
ギリシャ神話の怪物を例に挙げたワトソンは、更に悍ましい可能性に到達した。
もしや1億の日本人が2億の目を持つ化け物になっているのではないか。脳味噌が狂気にうち震え、直後に思考と身体が吹き飛ばされた。激痛がほとばしり、銃声と悲鳴がグラグラした頭に鐘のように響く。
それからドタドタとした足音。仮設司令部に闖入者が飛び込んでくる。
「動クナ!」
明確に訛った英語で、指揮官らしき男が叫んだ。眼鏡はどこかに飛んでしまっていた。真っ赤に染まる視界に、カーキ色の軍装の日本陸軍将校の姿がぼんやりと映る。
「降伏シロ、貴様等ハ捕虜ダ!」
「この……!」
絶望と屈辱、敵意に憎悪、そんなものがごちゃ混ぜになった感情が、一瞬のうちに沸騰した。現れた敵はサイパン戦以来、アメリカ軍を悩ませていた大場大尉の遊撃隊に違いなかった。
ワトソンは渾身の力を振り絞り――右手は深手を負っていないようだった――すぐさまブローニング拳銃を構える。
「死ね、キツネ野郎!」
ワトソンは覚束ない照準で銃撃し、即座の反撃を脳天に食らって絶命した。
誰もが勇敢な海兵隊員だった。仮設司令部で生き残った中で最も階級が高かったのは、最初の手榴弾攻撃で負傷し意識不明となった、ハームことハーマン・ルイス少佐だった。
東京都千代田区:首相官邸
「なるほど……平和を築くための作戦が、銃で撃ち合うだけに終わったか」
もう何度目か誰も覚えていない国家安全保障会議。その席上で報告を受けた加藤総理は、暗澹たる気分に襲われた。
出席者の誰かが、乾いた追従笑いを上げる。『ピース・メイカー』といえば拳銃や昔の戦略爆撃機の名前でもあったので、ブラックジョークか何かだと勘違いしたのだろう。気まずそうな咳払い。
「まあ、収容所をどうにか解放できたのは何よりだが……尊い犠牲も出てしまった」
「総理、まず全ての戦死者への黙祷を捧げてはいかがでしょうか?」
「そうだな、そうしよう」
高野官房長官の提案が容れられ、会議室の全員が死者の冥福を祈る。
なお戦死者のほぼ全てがこの時代の第2海兵師団で、概算だが万に近いという。一方で自衛隊は13名、在日米軍が5名。武士は相身互いと言うが、ここまで圧倒的な差となると誰が想像しただろうか。
「では、会議に戻ろう」
1分の沈黙を経て、加藤は切り出す。
「率直に言って、今後どうすべきだ?」
「とりあえず防衛省といたしましては、サイパン島の制圧を急ぐべきかと……」
日下防衛相が少々ポーっとした表情で言い、
「この際、あの島を根拠地にしてしまった方が何かと有利ですし、停戦の材料としても大きいと考えられます」
「サイパンの件で在日米軍は何か言ってきたか?」
「いえ……未だ動揺が収まっていないようで」
「そうか。まあ、仕方あるまいな」
加藤は困ったように鼻を鳴らす。
期待と希望を完膚なきまでに打ち壊され、臨時大統領が精神に変調を来して入院してしまった。過労でフラフラだったところに悲報が重なり、拳銃自殺した軍医が出たとも聞いていた。
ただ結果がどうであれ、在日米軍が状況を打開しようと積極的に動いてくれたことだけは間違いない。その義には報いるべきだったし、明日どうにか時間を作り、パターソン女史の見舞いに行かねばと思う。
「志村君、そっちはどうなんだ?」
「とりあえず、この間の案をベースに交渉する予定です」
志村外相はそう述べつつ顔を曇らせ、
「ただ……嫌な予感しかしません。スイス公使が何度も確認の打電をしてきています」
「機動部隊撃退のニュースくらい、スイスでも報じられているだろう?」
「そのはずなのですが……加えて幾つかの大新聞が、硫黄島での化学兵器使用を大々的に報じ出しました」
「どういうことなんだ……」
加藤は頭を抱え、唸るように言う。
ここに来て、一切合切があらぬ方向に捻じ曲がろうとしていた。相手がある以上、予想通りにいかないのは世の常だ。とはいえ突然首都を空襲され大勢の犠牲を出したにもかかわらず、紳士的で抑制的な対応を心掛けてきたというのに、何故こうなってしまうのかと胃がむかつき出す。
「全く……我慢し、譲歩しているのは我々の方なんだぞ」
ベルン:在スイス日本大使館
加瀬は昼間からワインを開け、ひどく酩酊していた。
全権大使にあるまじき痴態に違いないが、それを咎める者は大使館内に1人としていなかった。というのも全員が同じ気分だったためだ。要領のよい者などは、相伴に与ってこれまた酔っ払ってしまう。
「小磯国昭ってのは、とんでもない馬鹿者で、うつけで、気狂いだ」
加瀬はそう放言し、馬鹿笑いを始めていた。
その目には大粒の涙ばかりが浮かんでいた。愛する祖国の命運が絶たれたも同然だったためだ。
「あはは、ちょっと勝てたからってすぐこれだよ」
「もうどうでもええじゃないかええじゃないか」
書記官達もどんどん酔っ払い、現地雇用の職員が思い切り怪訝な顔を浮かべる。
事の発端はあまりにも異常な本国からの電文で、不審に思った加瀬は秘策を講じた。
それは暗号鍵として書籍を用いる通信だった。何ページの何行何列目という意味の数字の組を送信する方法で、鍵となる書籍が何か知らなければ意味が明らかにならない。市販されている図書を総当たりするという非現実的な方法でもとらない限り突破不可能な、原始的だが強力なやり方で、加瀬は電文の送信者に誰何したのだ。
そして件の電文の正統性は完全に示されてしまった。
更に何度か同じことを試したが、結果はまるで変わらなかった。加瀬は頭がおかしくなるまで悩み抜いた末、本国の指示通りにすることに決め、和平の仲介者たるハック博士を訪ねた。
「頭おかしいんじゃないの?」
絶句した末にハック博士もそうこぼし、業務を終えた外務のエリート達は完全にタガが外れてしまった。
「もうおしまいだー」
「気晴らしにタコ踊りでもしましょうか」
涙々の馬鹿騒ぎは延々と続き、誰もが色々なものを諦めていった。
言うまでもなく小磯国昭政権などどこかに消えてしまっていて、書籍式暗号も文科省の著作物データベースを総当たり検索した結果なのだが、彼等がそれを知っているはずもなかった。
ワシントンD.C.:ホワイトハウス
ここ最近、ルーズベルト大統領の機嫌は最悪で安定していた。
無論、悪いニュースばかりではない。ヨーロッパ戦線ではゴロツキ国家ドイツを追い詰めており、一時は欧州を席巻したその軍も急速に瓦解しつつある。あの狂った演説をするヤク中も、そのうち絞首刑か何かにされるだろう。
だが――その一方で、太平洋戦線は凄まじいまでの惨状を呈していた。
東京空襲の爆撃機部隊が壊滅的打撃を受け、硫黄島侵攻部隊も凶悪なドイツ製化学兵器によって全滅。高速空母部隊を派遣したら突然の夜襲によって撃破され、今度はサイパン島が奪い返される寸前だという。
強いて朗報を挙げるとすれば、糞コーンパイプ野郎の「順調にフィリピンを解放中」という定時報告くらいしかないほどだ。
「ああ全く、忌々しい限りだ……」
朝のコーヒーが死ぬほど不味く感じられ、ルーズベルトは歯ぎしりした。
何より腹立たしいのは、太平洋で爆発的に損害が拡大した原因を、誰一人として答えられないことだ。例えば硫黄島での化学兵器使用について疑問点を挙げる人間は無数にいたが、では何なのかと尋ねると全員が口を閉じてしまう。なおも問い詰めると、火星人のせいであるとか、小学生かと思うような珍説を披露する馬鹿が出たほどだ。
そして一連の事態を踏まえた上で戦略を練り直すと、これまた糞コーンパイプ野郎の主張を容れざるを得なくなってくる。
ほぼ全土の奪還を終えたフィリピンを起点に、台湾を攻略するなり中国沿岸部に上陸するなりして日本を包囲し、それから日本列島へと攻めかかるというもので、戦争がいつまで続くか分からなくなってしまう。
(ドイツ降伏後にソ連は対日参戦する予定だが……少し予定を早められないか尋ねてみるべきだろうかな)
ルーズベルトは思案を巡らせる。対ソ支援の量を増やすなどすれば、スターリンも乗ってくるだろう。
日本はソ連経由での講和などと夢を見ているようだが、全く馬鹿げた話でしかない。2月のヤルタ会議で何が決まったか、まるで把握していないのだ。
(それにマンハッタン計画もそろそろ大詰め……)
「大統領!」
執務室の扉が開き、補佐官が駆け込んできた。
またふざけた話じゃなかろうなとルーズベルトは顔を歪め、補佐官が少しばかり怯えたように見えた。ということは本当にふざけた話なんだろうと陰鬱になる。
「いったい何事だ?」
「その、日本がスイス大使館経由で和平を呼び掛けてきまして……」
「無条件降伏する気になったとでもいうのか?」
「いえ、その……奴等、頭がとことんおかしくなったみたいで」
「元からだろう、そんなもん」
大変に苛立ちつつ、書類の束を受け取る。
そうして表紙をめくって軽く目を通すや、ルーズベルトは見る見るうちに紅潮した。両腕は怒りに震え、眼力で人を殺さんばかりに目は見開かれ、ぎりぎりと歯が音を立てる。
「初めてですよ……ここまで我が国をコケにした外交文書は……」
怒髪天のルーズベルトはあまりの衝撃に妙な口調になり、精神病質の凶悪殺人鬼のごとき笑顔を浮かべた。
そして補佐官が怯む中、手にした文書をビリビリと千切りまくる。東京空襲への批難と損害賠償の請求、体のいい貿易再開要求、あと何かが記されたそれは、あっという間に細かい紙切れに変わった。
「ちょっと勝ったくらいで図に乗りやがって! この地球上から日本などという国を未来永劫消し去ってくれるわ!」
各プレイヤーの意識、認識、常識の断絶が顕在化してしまう第36話でした。加藤総理の頭の中にある何かのレベルが9になってしまっていますが……第37話は明後日、2月14日(月)更新予定です。
読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
第2海兵師団は凄まじいまでの損害を被り、かつ自衛隊の人的損失があまりない(作中の記載はあくまで戦死者で、負傷者はもっと大勢いるかもしれません。戦場医療水準の差がここで明確に出るのは有名な話かと思われます)状況になっています。
実はこれ、禁忌とされる兵力の逐次投入ではなく、全戦力を投じての決戦を挑んだためです。兵力の移動などから攻撃意図を察知され、兵力の集結中に撃ちまくられた結果、まともな突撃ができる状況ではなくなっていました。また、その間に水陸機動団などが準備を整えていました。
一方で、準備できた部隊からとにかくススペ捕虜収容所へ突撃しろという命令だったら……砲爆撃に晒される時間がその分短くなり、かつ自衛隊側の準備時間も減少することから、自衛隊員にもっと大きな損害が出ていた可能性が出てきます。
この辺り、天号作戦などで、五月雨式の波状攻撃によって米海軍の防空能力が飽和しつつあったという話を思い出します。




