3. 迎撃
太平洋:房総半島上空
先程はB-29にびっくり仰天だったが、今度はそれが長い列を組んでいた。
隠す気もないほど巨大なレーダー反応が幾筋もの線分になって、水平線の向こう側まで続いている。それらは数分前に突然湧き出たもので、画面を見るだけで寒気がした。
「既に交戦距離だ。キャッスル、直ちに指示を請う」
「現在確認中だ。現空域で待機」
「ドラグーン01、了解」
努めて冷静に久保田一尉は応じたが、一刻一秒がもどかしい。
B-29の先鋒は既に日本上空に踏み込んでいる。無線での警告にも応じなければ、針路を変更する兆候もまるでない。ただ与えられた任務のため、一心不乱に飛行しているようだ。
その目的を思うとぞっとする。どう考えても、何処かを爆撃する気だろう。
「航空自衛隊の存在意義は、国民にかような惨禍を二度と味わわせぬことにある」
新米パイロットだった頃、教官か誰かが東京大空襲を挙げ、そんな訓示をしていた覚えがあった。
だがかような惨禍どころか、飛行経路も規模も時間帯もまるで同じ空襲が、今まさに行われようとしている。焼夷弾を満載した300以上のB-29が、東京を焼け野原にすべく飛んできている。
畜生、どういうことなんだ。早くしないと大変なことになるぞ……。
「ドラグーン01、交戦を許可する」
「ドラグーン01、了解」
待ちに待った指示に、久保田は大いに意気込む。
何処の誰が、何の心算か知らないが、空襲などさせてたまるものか!
「ドラグーン01、直ちに指示の目標を攻撃せよ」
「ドラグーン01、了解」
HMD上に撃墜するべき目標がマークされる。単縦陣の先頭を飛ぶ機体だ。それらは恐らく熟練者が乗るパスファインダーで、爆弾投下地点を後続機に示す役割を担っている。畜生、ここも東京大空襲そっくりじゃないか!
「よし……ロックオン、フォックス2!」
特に何の機動も行わぬまま、照準はすぐに完了し、すぐさまAAM-5を発射する。
AAM-5は僅かな自由落下の後、ロケットモーターで一気に加速。超音速の火の玉となって一直線に伸びていく。
狙われたB-29は何の回避行動も行わず、フレアも放たず、ただ漫然と飛行するばかり。まるで自分達が何をされているのか分からぬようで、恐らく事態を把握できぬまま、左翼を付け根からもぎ取られて墜落した。
「目標、撃墜!」
久保田は冷静に報告した。何の造作もない、鴨打ち未満の射撃だった。
だが――AAM-5はあと3発、それと20㎜機関砲弾があるばかり。一方でB-29はまだ300機以上いるはずで、増援なしでは空襲を阻止できそうになかった。
千葉県勝浦市:キャンプ場
「え、え、どうなってるの?」
「分からないよ……」
上空には幾多の大きな飛行機が、おどろおどろしい音を奏でて飛んでいた。
聞いたこともない、耳にする者の肝胆を寒からしめる爆音。女子大生の智慧と智子は互いに顔を見合わせ、途方に暮れていた。月や火星が突然行方不明になったことなど、もはやどうでもよかった。
何かよく分からないけど、絶対に良くないことが起きようとしている。それだけは本能的に理解できた。
「智慧、ちょっとこれやばくない?」
「うん……でも、どうしたらいいの?」
「えっと……」
口ごもっている間に、真っ暗な闇夜に流星が生じた。あきらかに自然のものでないそれは、猛烈な炎を吹きながら突き進み、空を突き進む飛行機に突き刺さった。
爆発、空が一瞬明るくなる。飛行機はもんどりを打ちながら燃え盛り、部品か何かを撒き散らしながら、奇妙な舞を踊るように落ちていく。何かの古い映画みたいだ。
強烈な爆発音が届いたのは暫く後で、その間にも幾つかの流星が誕生し、また別の飛行機を食い破っていた。
あれらのうちの1機が、私達の真上に落ちてきたらどうしよう? そんな空恐ろしい考えが、智子の頭に浮かび出す。
「これ、戦争じゃない!?」
「かも。やばいよ」
「逃げなきゃ……」
「逃げるたって……ええっ!?」
智子は自分のスマートフォンが唸っていることに気付く。智慧のそれも同じらしい。
地震や台風なんかの時とは違う、嫌でも不安をかきたてる、ウーッと唸るようなサイレンの音色。すぐさま画面を開いてみると、以下の文章が飛び込んできた。
「航空攻撃情報。航空攻撃情報。当地域に航空攻撃の可能性があります。屋内に避難し、テレビ・ラジオをつけてください」
東京都新宿区:開発会社
「航空攻撃? どういうこと……?」
「さっきから何なんだよ……」
突然の事態に、オフィスで夜勤対応中のエンジニア達が悲鳴を上げる。
オフショア先のブラジル企業がトラブったため、運悪く徹夜作業になった者達だ。だがオフショア先との連絡用のテレビ会議システムやチャットが突然途切れ、しかも国外へのインターネットアクセスまで全くできなくなり、途方に暮れていたところだった。
そこに来て、今度は空襲警報。本能的危機感を呼び起こす国民保護サイレン。あまりにも異様な現実への当惑と武力攻撃の恐怖、疲労がないまぜになっていた。
「誰かテレビ点けて、テレビ!」
アラフォーのチーフが命令する。今はとにかくJアラートの要請に従おう。
はっとなった部下がリモコンを手に取り、電源を付ける。チャンネルはNHK、緊急時にはそれが一番だ。
「現在、関東地方全域に航空攻撃警報が発令されております。所属不明の航空機およそ300機が、房総半島沖より東京方面に向かって侵攻中とのことで、国民の皆様には…」
緊迫した表情のアナウンサーは、それでもプロらしく落ち着いた声で告げる。
全く訳が分からないが、とにかく戦争が始まったらしい。房総半島沖にいるってことは、東京にあと10分もしないうちにやってくるに違いない。いや、情報伝達のタイムラグを想定するべきだろう。とすると今すぐにでも航空機が上空に現れ、この辺り一帯を焼け野原にしていくかもしれないじゃないか。
「チーフ、どうします?」
「急いで避難しよう」
そう言ってから、どうするべきか頭をフル回転させる。
とにかく自分と部下の命だけは守らねばならない。こうした場合、安全なのは堅固な地下だ。ロンドン空襲に際して、地下鉄が避難所になったと聞いたことがある。幸い、東京メトロ市ヶ谷駅はすぐ近くだ。
「全員、いるな?」
「はい」
「よし……メトロの市ヶ谷駅に逃げるぞ」
そう言い終えた直後、窓の外から鮮烈な光が飛び込んできた。
「あっ、何だ?」
もう空襲が始まったのか。一瞬そう思ったが、どうやら違ったらしい。
防衛省の敷地がある辺りから次々と光の弾が放たれ、浅い角度で上昇していった。北朝鮮の弾道ミサイル対策として配備されていたパトリオット防空ミサイルが、空の脅威に対する射撃を開始したのだ。
だがその頼もしい光景は、航空攻撃が間近に迫っていることの証左に他ならない。チーフは部下を引き連れ、とにかくビルの非常階段へと早足で向かった。
「あっ、ただいま入った情報によりますと、自衛隊の防衛出動が決定されたとのことです」
無人となったオフィスに、点け放しのテレビから流れるアナウンサーの驚きが木霊した。
埼玉県入間市:入間基地
敵性航空機やミサイルを可能な限り遠方で撃破する、それが航空自衛隊の任務だ。
だが何の前触れもなく出現した大編隊――識別不能で目視確認によればB-29であるという所属不明機群の先頭は、既に袖ケ浦市上空に到達していた。攻撃目標が東京であることは、もはや火を見るよりも明らかだ。
「何が起こっているのだ……」
中部防空管制群司令の高田啓介一佐は、次々と齎される情報を意識に積み上げつつ、小さく独りごちた。
問題が発生したのは日付が変わる直前、23時40分頃だ。広大な日本の防空識別圏内にあった旅客機や貨物機、軍用機など多数の機体が、レーダー画面上から文字通り消滅したのだ。
当然、真っ先に疑われたのはシステムの故障だ。だが警戒飛行中だった浜松のE-767が同様の報告を寄越したし、自己診断を走らせてもシステムに異常は全く発見されなかった。国外との一切の通信が途絶えたとの連絡があったのも、ちょうどその頃だ。
そうした常軌を逸した現実の中、最初に報告があったB-29らしき機体が確認され、続いて同型機の大群が東京大空襲を再現するかのように出現した。
どちらも日本の領空ぎりぎりの、別段何ともないはずの空から、SFでありがちなワープ航法でもやったかのように飛び出してきた。袖ケ浦市上空にまで迫られているのはそうした事情が故で、目の前にやってくるまで巨象に気付かないような話だった。
「オブジェクト061および062、撃墜」
「第三高射隊、射撃を開始しました」
「ウィザード01、針路を維持。交戦まであと30秒」
業務用のデスクトップに向かった管制官達が矢継ぎ早に指示を出し、また戦果を報告していく。
迎撃そのものは手順通りで、B-29らしき所属不明機は片端から落ちていく。その存在を隠そうともせず、ロックオンされても回避すら行わないそれらに対し、パトリオットも空対空ミサイルも百発百中だった。陸自の高射特科や護衛艦も射撃を始めていた。ミサイルを撃ち尽くした戦闘機は尚も20㎜バルカン砲で戦果を拡張させたし、小松や三沢からの増援も間もなく到着する。
(しかし、これでは間に合わん……)
戦況を俯瞰しつつ、高田は歯を軋ませた。
B-29らしき所属不明機は、当然の如く全滅するだろう。だがその何割かは――3分の1よりは小さい割合となるだろうが――叩き落される前に爆弾槽の扉を開き、焼夷弾か何かを東京に落としていきそうな状況だ。
(どうにかならんのか)
1000万の都民が暮らす東京。かつての戦争の時と違って疎開も行われていなければ、空襲など想定してもいない大都会。
そこが突然何百トンという焼夷弾の豪雨に晒されたら、どれほどの犠牲が生じるか分かったものではなく、そうした地獄のような未来が不可避であることを、高田は誰よりもつぶさに把握していた。