4. 大空襲
東京湾:羽田空港沖
「糞、ここは地獄の一番通りだ!」
B-29機長のジョナサン・ライアン大尉が顔面蒼白で唸る。
あり得ないことが起こっていた。正体不明の対空兵器がとち狂った速度で突っ込できて、僚機を易々と叩き落していた。2つ前を飛ぶB-29、熾烈な欧州戦線を一緒に生き延びてきた同期の操る機体も、ついさっき爆発四散したばかりだった。
ドイツには濃密なレーダー網があり、ラインの高射砲群があり、ジェット戦闘機やロケット戦闘機があった。それに比べれば日本は、マリアナから本州までずっと海というところが大変厄介ではあったが、防空能力そのものは随分と貧弱なはずだった。
それがどうして――ライアンは自分達が異空間に迷い込んだのではないかとすら思った。
「ジャップども、火星人と手を組んだってのか!?」
「やはり地形が情報と違う! 街並みもだ!」
「ああ畜生、マンハッタンかよここは!」
副操縦士や航法士が狼狽の声を上げ、怯えた顔の通信士が状況を打電する。名状し難い恐怖が機内に、更には搬送波に満ちた。
正体不明の対空兵器もそうだったが、日本列島の様子も完璧におかしかった。まるで灯火管制もされておらず、しかも異様なほど明るい。何もないはずだった千葉の沿岸には広大な工業地帯が広がっていたし、爆撃目標の東京は――まるで未来都市だった。やたら高い鉄塔、超高層建築物、金門橋みたいな橋、大観覧車。東京湾の形まで違うじゃないか!
「機長、火災が確認できません! 爆撃目標不明!」
「だろうな……」
先行して投弾して後続機に爆撃目標を知らせるパスファインダーも、自分達より先を飛んでいた機も、ことごとく撃墜されたのだろう。
であれば今は、攻撃できそうな手近な目標を探し、そこに焼夷弾を落としてさっさと逃げた方が良さそうだ。こんな地獄、1秒でも長くいたくない。傍若無人な死神がすぐ横で、俺達の慌てぶりをゲラゲラ笑っているような気さえする。
「ああっ、ルイスがやられた!」
副操縦士が叫ぶ。目の前を飛んでいたB-29は主翼を圧し折られ、死のダンスを踊って墜落し始めていた。次は俺達の番ってか。神様、何とかしてくれよ!
「よし、あれをやる!」
ともかくもライアンは東京の東側、妙な西洋風の城が聳えている辺りを指さした。
「あそこに全部落として、さっさとケツまくるぞ!」
「了解!」
「爆弾槽、開け!」
開かれた扉によって空気抵抗が増大し、対気速度が落ちる。
ライアンは操縦系統を爆撃手に渡し、自ら指示した目標にゆっくり機首が向くのを見守りつつ、何故東京にウォルト・ディズニーのアニメ映画に出てきそうな城まであるのかと訝った。
東京都江東区:高層マンション
体育会系な内定者との飲みで相当アルコールが入ったためか、反応が遅れてしまったらしい。
目覚めと同時にけたたましいサイレンが耳朶を叩く。デスクの上に置いたスマートフォンは唸りっぱなし。部屋の外からは悲鳴と駆け足の音。赤ん坊の泣き声。扉がどかどかと叩かれ、「岩井さん、避難です!」と隣人が絶叫する。
「何なんだ、おい……」
スマートフォンを取ってみると、本当にJアラート情報が山になっていた。
航空攻撃情報。関東全域に大規模な航空攻撃の恐れあり。耳を澄まさずとも、飛行機の轟音らしきものも聞こえてくる。頭を悩ませていたアルコールが吹き飛び、背筋に寒気が走る。所用で金沢に行っている妻からも、身を案ずるメッセージが1件あって、こればかりは不幸中の幸いかもしれない。
だがとにかくやばい。どれくらいやばいかっていうと、マジやばい。
「岩井さん、いますか? 避難ですよ!」
「すぐ逃げます! 先逃げてください!」
親切なのであろう隣人にそう返し、岩井は急いで逃げる支度をする。
財布、スマートフォン、鍵類、緊急時持ち出しバッグ。それらを大急ぎで確保していると、カーテンを閉め忘れていたリビングの窓から、外の様子が飛び込んできた。
「冗談だろ……」
あちこちが炎上しているようだった。東京湾の対岸は薄ぼんやりとしたオレンジに染まっていた。妻との思い出もあるディズニーランドが赤々と燃え上がっており、火の手は浦安や葛西の辺りまで伸びている。
しかも空には大きな銀色の飛行機が、炎舞という有名な近代日本画のように照らし出されていた。そこに向かって地上のあちこちから、ちょうど隅田川の花火みたいな火の玉が打ち上げられ、恐ろしい飛行機に吸い込まれていった。軍隊の話は正直よく分からないが、きっと自衛隊がミサイルで反撃しているに違いない。
「頑張ってくれよ!」
岩井は拳を握り、覚束ない声援をした。陸海空自衛隊は当然、期待に応えるべく全力で奮闘中だった。
だが――自衛隊も対空射撃で精一杯で、墜落した機体やその破片が何処に落ちるかまで、気にかけている余裕はまるでなかった。
「えっ……?」
強烈な爆発音が響いた後、けたたましい不協和音がどんどん大きくなる。
何事かと岩井が窓の外へと振り向いたら、そこには燃え盛る残骸となった大型機があった。それはどんどん大きくなり、コクピットで絶命寸前のパイロットと目が合った気がした。
東京都江戸川区:一之江駅付近
「落ち着いて、慌てず避難してください!」
地下鉄で警備をやっている鈴木は、初老の体に鞭打って駅前で叫んだ。
一之江駅は東京交通会館ビルの地下にあって、ロータリーは避難しようとする人でごった返していた。鳴り響く国民保護サイレンの音。逃げ惑う群衆の悲鳴。等しく憔悴し恐怖した何百という瞳。そんなものばかりだ。
「早く、早く!」
「おい、押すなよ!」
「このままじゃ焼け死ぬぞ!」
駅前で順番待ちを余儀なくされた人々が無秩序に叫び、不安が指数関数で増幅される。
無理からぬ反応ではあった。大火災で不気味に明るくなった南の低い空を、歴史資料集やジブリの映画で見た通りのB-29が飛行していて、産卵でもするかのようにパラパラと焼夷弾を投下しているのだから。
しかし――鈴木はゴクリと唾を飲む。集団パニックになってはそれこそ大惨事だ。今はそれを防がないといけない。
警備本部と連絡を取りつつ、同僚とともに避難誘導に全力を挙げた。「大丈夫です、大丈夫です」と繰り返し、無理にでも笑顔を作る。幸い駅構内にはまだ余裕があるらしく、人々の流れも次第に秩序だってきたように思えた。
そんな中、背筋を凍らせるエンジンの四重奏が、急速に近付いてきた。
「あッ、敵機だ!」
「こっちに来る!」
幾人かが悲鳴を上げ、鈴木も咄嗟に空を仰ぐ。
大写しになったB-29がビルの影から現れ、開かれた爆弾槽から焼夷弾が次々とこぼれ落ちるのが目に付いた。鈴木はその瞬間言葉を失い、同様に大勢の背筋が凍り付いた。
「く、空襲だ……」
「マジかよ」
「怖いよ」
群衆の中から怯えた声がどっと噴出する。それでも統制を失わなかったのは、日本人ならではかと思った。
だが焼夷弾のヒューッという寒気のする風切り音はどんどん大きくなり、空中で撒き散らされた子爆弾の投網が、駅のロータリーにどっと降り注いだ。そのまま、あるいは誰かの体を砕いた後に路上に転がった長い金属筒は、数秒した後に爆ぜ、火の点いた粘着性の油脂が周囲に飛び散っていった。
そこには阿鼻叫喚の地獄だけがあった。人々が松明のように燃え上がり、その中には鈴木も含まれていた。
東京都千代田区:東京消防庁
119番通報は完全に飽和していた。あまりに件数が多かったからだ。
無論、災害救急情報センターに詰め掛けたオペレーター達は、受けた通報に真剣に応答していた。とはいえ実のところ、それは善意の通報者を安心させるための対応に近かった。
空襲という特異極まる状況において、個々の通報に拘ると、かえって全体を見失う可能性があった。
同時多発的な火災の発生が想定される震災においては、そうした初期通報も重要だ。しかし空襲であれば、B-29であるらしい航空機が通った場所、爆弾が投下された場所にしか、火災は発生しようがない。
そうした事情を踏まえれば――既に被害を受けた地域と、これから被害が生じる地域に消火能力を集中させるべきだろう。
だが問題があった。B-29が何処にどれくらいいて、何処に向かって飛んでいるかが分からないのだ。
「消防庁経由で情報来ました!」
緊迫した災害救急情報センターに、若い職員が大声で飛び込んできた。
彼が手にしていたのは、FAX用紙ではなくタブレット端末。それには長めのLANケーブルが付いていて、てきぱきと外部接続用のポートに繋ぎ、センターの長たる警防部長の許へと駆け寄る。
「警防部長、こちらをご覧ください!」
「ん、これは……!」
警防部長は驚いた。今一番欲しい情報だった。
ビデオ通話の向こう側にはディスプレイが据えられていて、リアルタイムな迎撃の様子が映っていた。
「こちらはJADGE、空自の迎撃管制システムです。特例で映してもらっています」
「ありがたい!」
本来は問題があるやり方なのだろうが、勲章ものの機転だった。
爆撃を抱えたままのB-29を表す駒と、予想針路がJADGEに描かれている。B-29の駒は徐々に数を減らしながら、既に炎上中の江戸川区、江東区の北、葛飾区や墨田区に向かっているようだ。
もし何機かが転針して丸の内や新宿に向かったら――そんな懸念もあるが、ここは国防のプロの判断を信じよう。
「よし、23区東部に増援を出せ。総力戦だ!」
オペレーター達が待ってましたとばかりに端末を操作し、命令を各消防署へと伝達する。
警防部長は壁の一角を占める大型ディスプレイに映された火災状況を仰ぎ、その意味するところに改めて愕然とした。そして天に祈った、少しでも多くの都民の命が救われますようにと。
静岡県御殿場市:富士山上空
深夜に羽田を離陸したANAのボーイング787は、そのまま北米へと向かうはずだった。
だが突然の空中待機を、それから首都圏からの退避を命じられ、今は富士山上空を飛行していた。そこからでも、東京が炎上する様は直接目にすることができた。
北米に出張するはずだった国家安全保障担当総理補佐官の武藤克利は、窓の外を眺めて呆然としていた。
耳にはスマートフォンから伸びたイヤホンが装着され、機内WiFiが機能停止した中でもワンセグで受信できたNHKニュース音声が流れる。突然の全国的通信障害、300以上の所属不明機、自衛隊の防衛出動。迎撃戦闘、空襲、炎の下の何十万という人々。
「守れなかった……」
震えた、今にも消えそうな声。武藤は悔恨に顔を歪めた。
守るべきものを守れなかった。どう言い繕うとも、その結果が全てだった。国家安全保障担当総理補佐官を拝命したにも拘わらず、官邸との連絡も取れず、未曾有の国難に指をくわえるしかなかった自分が許せなかった。
「武藤さん」
隣席の官僚――経済産業省から出向で、国家安全保障局に新設された経済班の長を務める飯田崇が声を掛けてきた。
「問題は、これからなんです」
「ん……」
武藤は振り向いた。飯田も感情を押し切れてはいなかった。
「今回の件……僕の直感ですが、これは始まりに過ぎません。これから対処するべき厄介な事案が、山のように湧いてくるはずです。武藤さん、悔やんでいる時間なんてありませんよ」
「ああ……そうか、そうだな」
武藤ははっとなり、自らを奮い立たせた。慰めでなかったのが最大の慰めだった。
それに飯田の言う通りだった。NHKニュースを視聴しただけでも、状況は人智を越えていると分かる。少なくとも職にある限り、それに果敢に立ち向かい、被害を食い止めないといけない。
「よし……状況を整理しよう。情報は限定的だが……まずは事実確認、それから状況把握だ。文殊の知恵には一人足りないな」
「Two hands are better than oneですよ」
「そうだな。じゃあ始めよう」




