突然の訪問
――――ピンポーン
「はーい。…って裕也?」
一人暮らしの短大生生活を初めて一か月ほどが経ったある土曜日の朝、私のアパートに裕也が来た。裕也は今、私が出した紅茶を啜ってあぐらをかいてミニテーブルの前に座っている。
「それで?どうしたの?朝ごはん食べた?部活は?」
「部活は休み」
「ご飯は食べてないんだね。待ってて。今作るから」
私はついさっき作って残った野菜炒めを先に出して、おにぎりと目玉焼きを作ってテーブルに置いてから裕也の目の前に座った。
裕也はいただきますと手を合わせてその格好に似合わず行儀よくそれらを食べ始めた。
中学3年生の裕也は学ランを着てないと誰も中学生だとは思わない。中学1年の時からさらに大人っぽさが増して今や男って感じ。さぞやモテるんだろう。
それに対して私は…。いいんだ。ほぼ女子の保育の短大に通っていて彼氏ができるわけがない。共学だった去年まででもできなかったんだから。
と、私が自分の世界で僻んでいる間に裕也は食事を終えてじっと私を見ていた。
「あぁ、ごめんごめん。どうだった?」
「美味しかったよ。ご馳走さま」
「お粗末さまでした。それで?こんな朝早くからどうしたの?」
うん、それがさ、と切り出して続く言葉に私は一瞬目の前にいるのが裕也だってことを疑った。
「ごめん、もう一回言って?」
「だからね、俺親父の顔をもう二度と見たくないからここに住まわせてくんない?」
裕也は一回目とまったく同じように言った。
あれれ?裕也ってこんな口の利き方する子だったかな?私が引っ越しをした日、部活があるからと言って挨拶だけしにきてくれた時にはそれまでと変わらなかったはずなのに。
―――あきちゃん、僕遊びに行くからね、元気でね
そう言って私の手を強く握りしめてくれた体の大きい子犬の裕也は何処へ。
「あきちゃん?」
ああ、よかった。いつか思ったようにおい、あき、とか言われたら悲しくて泣いちゃうところだった。
「あきちゃーん」
「あ、ごめんね裕也。裕さんと喧嘩したの?」
「そうじゃないよ。ただ親父が最低な男だったから」
「最低…?そんなことないよ」
なにがあったのかな?詳しく訊いてみる。
「あきちゃんの誕生日の4月15日、親父いつも仕事が休みだったろ?おかしいと思ってたんだ。俺子供だったからあきちゃんの誕生日パーティーがあるから仕事を休んでるんだとばっかり思ってた。けどそんなわけないって気付いて先月の15日朝から出かける親父のあとをつけた」
なんだか私に関係のあることなんじゃないかと思えてきた。紅茶を一口飲んで裕也は話を続ける。
「電車に乗って親父の実家の少し手前にある駅で降りて、それから歩いて着いたのがお墓だったんだ。どういうことかよくわからなかったけどその日はそのまま帰ってきて、親父に訊こうか迷ってた。一昨日までずっと迷っててお袋がなんか知ってるかって思って昨日の夜の親父が帰ってくる前にお袋に訊いてみたんだ。そしたら学生時代に付き合ってた人の命日に毎年お参りに行ってるらしくて。おかしいと思わない?俺には信じられない。お袋の誕生日にも俺の誕生日にも二人の結婚記念日にも仕事をわざわざ休んだりしないのに死んだ元カノの命日には必ず仕事休んで毎年その人のとこに行くなんてさ。今でも忘れられないんだってお袋言ってたけどそしたら親父の一番好きな人ってその人だってことだろ?親父はずっと俺を騙してきたんだ」
「え…?騙してきた?」
「そうだろ?お袋はその元カノの代りだったんだ。こんなくさいこと言いたくないけど本当に愛のある今までじゃなかったんだよ。全部、親父がお袋と結婚したのも俺が生まれたのも全部元カノが死んだから仕方なくだったんだ」
「そんなことないよ」
思わす私は裕也が言い終わる前にテーブルに身を乗り出した。
「裕さんは早苗さんを代わりだなんて思ってないよ。ちゃんと愛してるよ」
「そしたらなんでそんな、20年も前に死んだ人のとこ行くんだよ」
「それは…知らないけど」
高校2年の誕生日以来忙しいしそんな年じゃないから、とパーティーなんて開かなかった。裕がまだ仕事を休んでお墓に行ってるなんて今初めて知った。私にもわからない。意味ないよね。私はここにいるんだし。どういうことなの?
「とにかく最低なやつなんだ。だから悪いけどここに住むから」
「え、決定?」
「荷物は持ってきてるし家事は俺がするから」
そう言って裕也は持って来た鞄を軽くたたいた。それだけなのかって思うけど健兄と将兄も旅行に行くときほとんど荷物持ってなくて薄っぺらい鞄を一つ持つだけだったと思い出す。
「けど困ったなぁ…」
「大丈夫。あきちゃんの邪魔しないから」
「そうじゃなくて早苗さんも裕さんも心配するでしょ。一回家に訊いてからにしよ」
渋る裕也を宥めてまず私が話すからと言って裕也の家に電話をかける。
いつもと同じ高い声であきちゃんどうしたの?と第一声。
私が事情を簡単に言うと早苗さんは驚いた声で、けどいつもの調子で言う。部活に出かけたんだと思ってたわ、と、あらでも今日は部活お休みだって言ってたわ。
息子の家出に気付かないってどうなの、と思いつつ荷物少ないしなにより早苗さんだもんなと納得する。
私がとりあえず裕也の気の済むまで泊めようと思うんですけどいいですか、と聞くと悪いわと当たり前の返答をされ2、3日で冷静になると思うんでと横目で食器を流しに返しに行っている裕也を見ながら言った。そしたらお願い、本当にごめんなさいね、と申し訳なさそうに言う早苗さんに裕也に代わりますと伝えて裕也に携帯を手渡す。
裕也は何度か早苗さんの言葉に頷いて電話を切ってから私に携帯を返してくれた。
「早苗さんなんだって?」
「あきちゃんに迷惑かけないようにって、あと明日家に寄るようにって」
「そう。明日は部活あるの?」
「うん」
こうして私は裕也と少しの間二人暮らしをすることになった。姉弟きりの生活なんて兄達ともしたことないからちょっと楽しみ。ホームシックになりそうだったし、と考えて頬が緩んできたのがわかって慌てて現実に戻る。
「あ、それからさっき家事はするって言ったけど無理しないでいいよ。ここから中学校行くのすごい遠いしそんな余裕ないでしょ。そうだよ、ここからじゃ遠いよ、大丈夫?」
「平気だよ。朝はいつも走ってから学校行ってたし、早起きは普通なんだ。あきちゃんが俺の起きる時間に合わせる方が大変だよ」
「何時くらい?」
「3時かな」
「さっ…。無理無理」
若すぎる。私なんて7時起きだよ。というか3時って絶対早すぎ。どれだけ走ってるのよ。裕也はすがすがしい笑顔で部長が遅れるのはいけないから一番早くにグランドに行って自主練してるんだよ、と。
「それはそれは…早苗さんも大変じゃん」
「だから朝はいつも俺が作ってるんだよ」
「あぁ、そういうこと」
だから朝は任せて、という裕也にとりあえず3時起きは無理だからあっさり折れた。
「それから私帰り遅いけど裕也の方がきっと遅いよね」
「あー、そっか。そうだね」
「だからいいよ。朝だけ作ってくれるだけでありがたいよ」
「そう?んーあ、そうだ。買い物手伝うよ。なにか買うものない?」
「えー、いいよ。特にないし」
「お米は?重いし大変でしょ」
「確かに…。それに裕也が寝るとこもないや」
「その辺で寝るよ」
「いけません。身体壊したらサッカーどころじゃなくなるでしょ」
「あきちゃんママみたい」
「いよいよおばさんかぁ」
「そんな年じゃないでしょ」
「ん。ありがとね」
というわけで私は裕也と一緒に買い物に出かけることにした。支度をしてから私と裕也はスーパーとホームセンターで目的の物を買った。荷物は全部裕也持ちだ。
「大丈夫?私持つよ?」
「これくらい平気だよ」
帰り道何度目かの同じ質問をする。
「本当に裕也は力持ちだね。それにまた身長伸びた?」
「前に会ったの一か月前だよ。そんなすぐに変わんないって」
「そうかな。今何センチあるの?」
「180だったかな」
「うわ、すごいね」
「けど俺はそろそろ止まってほしいよ」
「え、なんでよ。2メートル目指そうよ」
「だってほら」
「ん?」
立ち止まる裕也に倣って私も足を止める。ほら、と言いつつ何をするでもなく笑っているだけの裕也に私は首を傾げる。
「あきちゃんとどんどん離れていっちゃうだろ?」
「え?…あ、私が小さいって言いたいのね。お構いなくー。私なんて気にしないでどうぞ伸びていってくださいー」
冗談で軽く拗ねる私に裕也はそんなんじゃないよとまた笑って歩き出した。
そういえばいつからだっけ?裕也が私の身長を抜いたの。いつから裕也はこんな低い声で笑うようになったんだっけ?ずっと一緒にいたはずなのによく思い出せないな。
「ってかあきちゃんは会うたびに身長の話するよね」
「だって裕也の成長が嬉しいんだもん」
「そういうもん?」
「そういうもんなの」
「そっか」
そのあとはお互いの学校のこと、サッカーのこと、いろんな話で盛り上がってあっという間にアパートに着いた。私が鞄から鍵を出そうとしていると丁度隣の家のドアが開いた。
「あきちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
「あら?あきちゃんの彼氏さん?」
私の隣にいる裕也を見て訊く木村さんに私は違いますよ、と笑う。そして弟ですと答えた。
「あきちゃんにこんな大きな弟さんがいたのね」
「そうなんですよー。少しの間一緒に暮らすことになったのでよろしくお願いします」
「まあ、仲のいい姉弟ね。お隣の木村です。よろしくね」
「裕也です。こちらこそよろしくお願いします」
爽やか笑顔の裕也に木村さんは可愛らしいわと微笑んでくれた。まったく、将来裕也はたらし決定だね。そうやって世の女性たちを虜にしていくんだ。だけど裕也は本当に私の自慢の弟だな、と嬉しく思う。
木村さんはそれじゃあね、と言ってアパートの階段を下りていった。彼女を見送って私が裕也に顔を向けると裕也はどこか寂しそうな顔をしていた。けどそれは一瞬のことで、裕也はすぐに笑顔に戻って優しそうな人だね、と言った。
「あ、うん。優しいよ。木村さんも旦那さんも。いつも私によくしてくれるんだ」
「そっか」
「はい、開いたよ。入って?」
私はドアを開けて裕也を促す。裕也はありがとう、と言ってお米と布団を持って家の中へ入った。私も続いて入る。
「あきちゃん、ここでいい?」
「あ、いいよー。ありがとね」
キッチンにお米を置く裕也を見ながら私は思う。裕也のあんな顔初めて見た。これまで何度も裕也に寂しい思いをさせてしまうことはあった。でもあんな苦しそうな裕也は初めて見た。
モヤモヤした気持ちの私に反して当の裕也は嬉しそうにキッチンに立って腕まくりをしている。今日のお昼ご飯は一緒に作ってそのあともう一度出かけて夜は外食にしようと決めたんだ。
「あきちゃん早く」
「はいはーい」
中学3年のバレンタイン以来久しぶりに裕也と並んでキッチンに立つ。といってもあの時はお菓子作りでほとんどテーブルの上での作業だったけど。裕也も思い出したようであの時親父が張り切って写真撮ってたよね、と言ってすぐに首を横に振った。
今裕也は裕を嫌ってるんだもんね。だけど裕也は裕のことが本当に大好きなんだ。少し落ち着けば裕に騙されてただなんて思い違いだったって、そんなふうに思った自分に笑ってしまうだろう。
そう。少し経てば裕が早苗さんと裕也のことを本当に愛していることも、第一裕がそんな器用な人間じゃないってことも気付くだろう。
そう思っていたんだけど…な――。




