■序節『尊ぶ構えと滲んだ宛名』
記憶界の神社の空気は、静寂と春のほの暖かい空気が澄み渡っていた。神木に巣を作った小鳥は腹を空かせて親鳥を呼び立てる。受粉を待っていた花弁には、たった今蜜蜂が降り立った。透き通った風は静かに流れ、心地良い香りを運んでいた―――。
しかしまぁ、平穏無事に物事が始まるなんてことはない。さっきまで穏やかだった風は急に唸りを挙げて、それから間もなく爆音のクラクションが鳴り響いた。
「―――どいてくれぇー‼‼」
次の瞬間、私がうたた寝していた本殿に、大型のトラックが突っ込んできた。その衝撃と瓦礫の音の喧しさたるや、思わず餌をせっついていた小鳥が黙り込む程であった。私は外にいる雪分の無事を確かめるべく、固まった足をなんとかせかし飛び出して、外からトラックを俯瞰する。幸いにも雪分は傷一つなく、どころか呆れたようにため息をついた。
「……『とーじろー』、また来た」
「いやぁー、ここが記憶界で良かったよ。でなきゃ工事に何年掛かることやら……ねぇ、『モモくん』?」
そう運転手のあだ名を口々に呼んでいると、ぺしゃんこの運転席から悪態をついたような「だから違ぇって‼」と威勢のいい男の声が発せられた。それからドアが強引に開き這い出てきたのは、『とーじろー』でも『モモくん』でもない、その本名を『桃路郎』という記憶界の配達員、そして顔見知りであった。
「いやぁすまん! ちゃんとブレーキを踏んだつもりが、アクセルを踏んでたみたいで……ね?」
「またかぃ……」
「……これで今月、三回目」
「そうだっけ?」
「……多分?」
桃路郎―――モモくんは特段、悪びれる様子はなかった。仏の顔も三度とは言うが、仏の顔が見えない世界では何度だって案外気にならないモノだ。それに記憶界というのは不思議なもので、こういった建造物の損壊やらは、誰かの記憶を基にして勝手に戻っていくのである。……ま、誰も時間が掛からないとは言ってないんだけどね。
桃路郎は雪分が問い詰めるのを適度に濁しつつ、荷台から段ボール箱をひとつ取り差し出してきた。差出人の名前は相変わらず滲んでいたものの、私宛ての荷物であれば「彼女」しか心当たりはない。
「毎度思うが、よく荷物がそれで無事なモンだよねぇ。ほら、凹み一つないし」
何と無く皮肉を口にしたつもりだったが、モモくんは承知の上で胸を張ってみせた。
「当然。オレは責任を持って配達員やってるからな。荷物が何であろうと、宛先が何処であろうと―――ちゃんと届けないとって思ってるし」
「……の、わりには宛先の被害は考えてない、と」
「偶々、偶然、運が悪かったんだよ。なんだ? 文句なら買うが」
「いやぁ、文句は生憎非売品なんだよねぇ。ヨソで買って貰わないと」
モモくんは「はいはい」と会話を流し、サインを受け取るや否や、軽々と引き抜いたトラックに乗り込んで、エンジンを吹かし旋回する。窓を開けてこちらを覗き込み、「それじゃ、お元気で」とだけ言い残して走り去っていった。
―――相変わらず、ほとほと愉快な奴だ。
私は本殿にぽっかり空いた穴を一瞥し、やれやれと肩を落としたのだった。
さて、大穴が一望できる縁側まで荷物を運び、私と雪分は恭しく段ボール箱の中を覗き込んだ。詰まっていたのは重量にそぐわない品々―――「彼女」が執筆した物語が綴られた原稿用紙の束と、植物由来の沢山の菓子が目に飛び込んでくる。雪分は颯爽と段ボールをまさぐって、そこからココアシガレットの箱を手に取ると、嬉々として一本をくわえ満足そうに目を細めた。
「セッちゃんは相変わらず、その煙草型の菓子が好きだねぇ」
「……ん、ココアシガレット。煙草、じゃない。……残念ながら」
「そんなにいい物でもないよ、禁欲的にもなれやしないし」
経験則から言ってはみたが、煙草を〝大人のステータス〟なんて信じて止まない雪分は、ココアシガレットを加えたままむくれてしまう。まあまあとなだめつつ、私は私で原稿用紙に目を通しながら、醬油煎餅でも頂くことにした。全く、相も変わらず子どもの心ってのは、とても私には計り知れないなぁ。
それから暫くは菓子をつまみつつ、比較的楽し気な談笑が続いた。私もちゃんと反省して、雪分のことを否定するでもなく同調できたと自負している。彼女もすっかり機嫌を取り戻して、菓子の包装紙が積み上がり始めた頃だろうか。雪分は不意に思い悩んだ様子を見せ、私にある疑問を投げかけてきたんだ。
「……そういえば、送り主、誰?」
「ありゃ? 言って無かったっけか。……知りたいかい?」
「……うん、知りたい」
「んー……まぁいいか。別に口止めされちゃいないし」
これを読んでいる君にも、一応は雪分に言った「彼女」を紹介するとしよう。名前は―――どうにも、滲んだインクである期間が長すぎて忘れてしまったが、「彼女」と呼称する彼女は、私の友人にして幽鬼神道町の住人だ。出会ったのはかなり昔、出会わなくなって結構経ったが、その頃からずぅっと物語を手掛けることに情熱的で、こうして記憶界まで見聞きした便利屋二人の奇譚を再編し、纏めて送ってくれるまでする変わったヤツさ。今何をしているか、私には計り知れないが……まあ、執筆できるのであれば、それなりに幸せな生活を送っているだろうね。
「……記憶界の人、じゃない?」
「そう、幽鬼神道町の人―――妖怪だよ」
「―――じゃあ、結界で、好きなもの、分かっちゃう?」
そう雪分は身を乗り出して聞いてくる。少し狼狽えてしまったが、雪分にとって記憶界の外の存在はよっぽどの興味をそそられるのだろう。私は直ぐに取り直すと、敢えて雪分に質問で返してみる。
「どうして、そう思ったんだい?」
雪分ははっと気がついて身体をひっこめた。それからココアシガレットの箱を大事そうに握って、ワケを口にしてくれたんだ。
「……毎回、ココアシガレットだけじゃなくて、他のお菓子も、どんぴしゃで、食べたかったやつ、だから……」
頬を染めつつにこやかな彼女を見て、私は「なるほどねぇ」と応を返した。
「いいや、彼女の結界は関係無かったハズだよ。ただ、雪分や私のことをしっかりと考えてて、それからお菓子を選んでいるんだろうねぇ」
「……考えるだけで、食べたいもの、分かるの?」
ほほう、上手くいくモンだ。私はここぞとばかりにニヤリと笑って、原稿用紙をひらひらと見せびらかす。
「そうだ、丁度届いたばかりの話をしてあげよう。食べたいモノの検討が何故つくのか。考えるだけが何より大事か―――そういう物語だったからね」
雪分はかしこまって、「お願い、します……っ!」と頭を下げた。真面目でひたむきで、教える側にとって大変よろしく思える。早速原稿を読み込んで、慣れた手付きで筆を走らせて。翌日にはすっかり語る準備が整っていた。雪分はいつものように、座布団に正座で座り、私が語り出すのを待っていた。
お待たせしました―――よってらっしゃい、見てらっしゃい。お代は要らない、ただ聞いてくれるだけでいい。
「どうぞ食べてやってくれ」と猿が挙って言い触らす。その傲慢さは天狗の鼻っ柱―――聞いてやってはくれないかい。幸せを分かち合うには、少しでも考えを巡らす必要があると知って頂きたく思ってるからね。
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




