夜
あなたから男どもが来て言う。
「ここで騒げば人目につく。場所を変えるぜ、着いて来い」
しかしトバルはそれを聞かで、なおここに留まりしまま曰く、「いや、俺はここでもいいよ。早く済ませようか。明日は仕事が無いとはいえ、やる事があるのよ俺は」と言う。
「何、そんな騒ぎになるほど長くならないさ。安心しな」
すると四人のうち、トバルより鼻一つ背が高く、少し腹の出た男が、「いいから来いってんだ。今、ここで、お前を殴り倒してやろうか」と低し声色で威しかけたれども、トバルに怖じる様子はなかった。
トバルは、些か上体を反らして、開く両手を胸の近くで揺らしながら、「まあ、待てよ」と言うと、時同じく、その男の後ろから髪をかきあげた男がそういさめたので、同じ言葉が行き交った。トバルが上体を横に傾けて、手先をその背後に居る男の方へ向けると「そういえば、なんでケンカ相手が俺なんだ。お前ら下町の人だろ。わざわざこっちに来てまで相手を探さなくても、そっちに沢山いるだろ」と訊いた。「ロフから聞いたんだ」男は言った。その名を耳にしてトバルは「あ? ロフぅ?」と、続ぐ彼の言葉を遮った。
「あいつから何を聞いたら俺がケンカの相手に選ばれんの」
「お前は強いと聞いた。ロフよりもな。だから俺と闘え。場所はここでいいんだろ」
そして男が前に出て、握りしめた右拳を胸の近くに、左を前に出した。
「ふうん。まあいいさ。おう来いよ。やってやる」
言い終えると、トバルはすこし寄って止まった。途端、男が左拳を突き出したがトバルはそれを右手で撥ねた。次は右の拳を突き出したれど、左の手でまた撥ねられる。次いで男はトバルの腹部をめがけて右足で蹴ると、トバルは跳び且つ翻って男の顔を蹴とばした。男は傾いたがすぐに戻って右こぶしで突いた。トバルはまた左腕で逸らすと動きを止め、「ところでお前の名前は何だ」と問うた。男も一時止み腕を突き出したまま「ギテツだ」と答えて、身を左へ回して肘をトバルの顔へと振るうも両手に取られた。してトバルが「おう、よろしく」と告げた。
それからギテツは一歩退いた。これをトバルは追い、左右の拳で交互に突いてはギテツに全て撥ねられることを四度くり返して、ギテツは五度目の突き出しを払うとトバルの顎を拳で殴り上げた。トバルの上体は頭ごと後ろへ反れると、身体を捻って身体の前側が地へ向きて、胴が着く前に両手を着き、足を突き出してギテツの胸と首の間を打った。彼は後ろへよろほう。トバルは振り向いて一歩より、彼の片足を踏むと、拳をみぞおちに強く突きこんだ。そして身体を折って喘ぐギテツの背に両手を握り合わせて槌のように振り下すと、鈍い音をはなち、彼は倒れ込んだ。だがギテツは屈せず立たんとして顔を押し上げるが、トバルに彼の面を球のように強く蹴り上げられると、地に伏して動かぬようになった。
離れた所で控えていた男たちがそれぞれ、兄貴、と叫んで傍に寄ると二人が両脇につき、抱え起こすと立ち上がった。そのままトバルに背を向け逃がれて、覚えてやがれと残して遠くへ離りゆく。トバルは去る彼らを眺めていたところ、かのそむきに霞がしみ出すように見えた。何かふしぎに思うと目を瞬かせ、瞬時の暗闇が明けると、ふと異臭を嗅ぎ、目の前には、色黒く丈は人並みの歪な縦横に組んだ磔柱のようなものがいつの間にやらそこにあった。トバルは思わず「うわクッサ」と驚きてうしろへたじろぐと鼻をつまんだ。しばし見つめていると臭いはますます此方へのびてきて、「うおっ」と声をもらし、あまりの異臭に胃がぐるりと呻りをあげ、たちまち気分が優れなくなってしまった。
「やべやべやべ」と呟きながら、トバルもまた逃げるように翻ってその場から走り去った。行く方は丘の上の教堂である。
たどり着くと門口の二人が、待て、と言ってトバルを止めるとすぐに彼だと気が付いて、一人がただならぬ様子を察し、「トバルさん、どうしました」と問うのにトバルが被せて「やべぇぞ、スゲェくせぇ!」言うと、うっと呻いて口を抑えた。喉につまったものを呑むように首を動かすと「危ね」と呟いた。
「何かあったんですか」と男はふたたび聞き、トバルは答えて言う。
「いやなんか丘のしたに変なのが生えてね。それがもうクサくて堪らんよもう」
「えぇ……そんなに」
「そんなにだ。中に人いる? アレなんなのかちょっと聞きたいから」
「ええはい、居ますよ」
「わかった」
と頷いてトバルは中に入り、イーツァム教の若い女を見つけると、異臭を放つ変なものが道に現れたと先ず言った。変なものとはと聞かれると磔柱のような物と答うれば、彼女はうーんと考えてから「それはどこにあるんですか」と訊いた。トバルは「付いて来てくれ」と言って女を連れて丘をくだった。そして臭いが来ず柱は見えるところへ来ると女は「本当だ。何かある」と呟いた。そこでトバルは立ち止まって、あれの近くに行くかどうかを尋ねた。「先に言った通り、すごぉく臭い」とも付け加えた。女は、
「近くで見ないと何かわからないから行く」と少し嫌そうに答えたので、トバルも眉を顰めて嫌な顔をしまた歩きはじめ、近くなると後ろで彼女はうわっと悲鳴をあげた。トバルは「臭いよな」と女を見て笑う。
「ほんと……」
女も鼻をつまみ、トバルに添い、そしてどんどん近寄ると、トバルが「ああ! 目ぇ痛いこれ!」と叫んで顔を両手で覆いながら女のほうを向いた。女も「いたたたた」と言って同じく動いた。
「だめだなこれ。戻れ戻れ」
「はい」
二人は来た道を戻り、においが来ない所で止まりて柱の方を見た。
「あれはだめだな。もう近寄れん」
「ああ臭かった」
どうしようもないと知って、両人は教堂へと戻った。