065.なでしこロス騒動と、呼び出し。
「あー、まただ……」
下駄箱を開けて、僕は今日もげんなりとため息をついた。
学園祭が終わって十日が過ぎたころ。
すっかり校内はいつもの無機質な状態に戻って、日常生活に入れる準備はできたというのに、まだ学園祭の余韻が残っている人達がいるらしい。
「また、ラブレターか?」
「……うん。今日は二十三通だね」
初日は、そうでもなかった。
学園祭の翌日の片づけの日は来ない人なんかもいたから、少なかったのかもしれない。
入っていたのはたしか、二通だ。
もちろん内容は……なでしこさんカムバックというものだった。
どうしても、君の笑顔が忘れられないんだ、だからせめてあと一日だけ、僕達の太陽になってくれないか、なんていう熱い文字を見て僕は正直かなりくらくらしてしまった。
そして……それからだ。
人間、誰かがやっていると真似するもので、ほとんど倍々ゲームな感じで毎日手紙は大増殖。下駄箱の中にめいっぱいラブレターが入るなんて思っても見なかった。あ、下にもちょっと落ちてるから、プラス三通だ。
「うわ、それ、なでしこさん宛の届かない手紙?」
ひょいと、りっちゃんが顔をだして、手紙の束に苦笑を浮かべた。
「是非、僕のためにもう一度なでしこさんをやってくださいとか……これなんかすごいよ。君はなでしこでいるべきだ! そして俺の彼女になってくれ!! だってさ」
「うわー、そりゃ悲惨だね。確かに灯南ちゃんは、なでしこさんやってたほうがいいと思うけど」
くすり、と笑われて、僕はむぅとほっぺたを膨らませる。
いくらりっちゃんでも、なでしこさんをやれとは言われたくない。
「そういうりっちゃんだって、りつかちゃんやってた方がいいんじゃないの?」
「……うん。でも、学校じゃ無理、だし?」
だからお返しと言わんばかりに言ってやったんだけど、りっちゃんはちょっとだけ恥ずかしそうな顔をしながら、それでもはにかんだ笑みを見せた。むむむ。先月まではおどおどした、無口で内気な子と思っていたのに、あのイベント一回だけで一気に花が開いたような変化っぷりである。
今は学ラン姿だけど、それでも女の子っぽさ倍増でかわいらしいものだと思う。
「あんまり多いようならなにか対策しないとやばいな」
「これ以上増えたら……さすがに困るしね」
はぁ。深くため息をつくと、僕はぱたりと下駄箱をしめる。
そんなとき。
「ああ。榊原君。ちょうどよかった」
知らない人の声が聞こえた。
声の方を向いてみると、男の人が立っているのが見えた。すらりとした長身の男の人。
上履きの色をみるところ、どうやら上級生らしい。
どこかで見たような気がしなくもないけど……残念ながら学校での交友があるのは同じクラスの人と他数名だけだ。
借金の話の方で集中してしまっているので、正直多くの人とお友達になりましょうなんていう余裕は僕にはない。
「なにかごようですか?」
すわ、まさか手紙ではあきたらず、直接なでしこコールでもしに来たのか。
そんな風に僕が身構えていると、巧巳が、あー、問題視されちゃったかぁと困ったような声を上げていた。
どうやら相手がどういう相手なのか彼はわかっているらしい。
りっちゃんも、うわ……これまずいやつかも、と体を縮こまらせている。
二人の反応がちょっと怖いけど、それでも答えないわけにはいかなかった。
こちらから切り出すと、彼はちらりと僕たちを見て、そんなにおびえなくてもいいよ、と言った。
年上の余裕とでもいうのか、顔には笑顔が張り付いている。
なんというか、スマートなお兄さんというような感じだろうか。
女子生徒からきゃーきゃー言われそうなタイプかもとも思える感じだ。
「昼休み、ちょっと生徒会室に来てほしいんだ。ごはん食べて終わったあとでいいからね」
もちろんコーヒーの一杯くらいはごちそうするよ。
彼は少し困ったように笑うと、僕の方に手をさしのべた。
はぁ。ラブレター騒動は確かに困っていたけど、まさか生徒会からの呼び出しが入るとは。
どうなってしまうのか、心配でならない。
さぁ、気にしないで入って入ってとひらひら手招きされると、僕はからからと生徒会室の扉をくぐった。
一年の生徒としては生徒会室なんていうものはまるっきり縁がないもので、ちょっとだけどきどきしてしまう。しかも呼び出されているのは僕だけなので、巧巳に一緒についてきてもらうっていうのも今回は断った。
りっちゃんも、大丈夫? と心配そうな顔を向けてくれたんだけど。
一人で大丈夫と、答えておいた。
というか、ラブレター騒動に関していえば、他の生徒が暴走しているだけであって、こちらに非はない。
これが演劇とかの高飛車な女性キャラだと、ああ、わたくしの美しさが招いたことなのね……とでもいうところなのだろうが、残念ながら僕は一介の男子高校生である。ちょっと女装してきりっとメイド長をやっただけでこれだけの人気がでるなんていうのはちょっとよくわからない。
というか、そもそもちょっとしたお祭り騒ぎの余韻というようなものなんじゃないかと思う。
例えば、他のクラスでも着飾った女の子がすごく可愛かったりしたとしても、こんなにラブレターは来ないと思うんだよね。
それがきっかけで、一人や二人から愛の告白を受けるみたいなのはあるんだろうけど、それでも僕がもらったものとはちょっと違うように思う。
愛の告白というよりは、なでしこさんカムバック! という感じの申し出なのだ。
そうなってくると、今回の生徒会からの呼び出しはむしろ渡りに船というやつなのではないだろうか。
こまっている一生徒を助けてくれる生徒会という構図になってくれるんじゃないかと考えれば、呼び出し自体は問題解決のプロセスであって、特別つるし上げを食らうっていうようなことではないんじゃないかと思っている。
それでも下級生が使うことはほぼない施設にドキドキはするけれどね。
さて、部屋に入ると、朝声をかけてきた生徒会役員の男の人がいらっしゃいと声をかけてくれた。
里中さんとかいう名前だった気がする。会計という名の役職をやってるらしい彼は相変わらず少し困ったような笑顔を僕に向けながら道を譲った。
「わざわざ、来てもらって済まなかったね」
きぃ。椅子の音が部屋に鳴った。
パイプ椅子がきしむ音。
その席の主は、両手を前でくんだ姿勢で僕の方に視線を向けた。
「……はぁ……あ、いえ……」
生徒会長をやっているのは、たしか磯島さんとかいう男子生徒さん。実を言えば今年度の生徒会の仕事はこの学園祭でほぼおしまいで、十一月の下旬あたりの選挙で次の世代に引き継ぎになってしまうのだけれど、そんな彼が僕に用事とはいったいなんなのだろう。
いや、まあ十中八九、なでしこさん案件なんだろうけれど。
「実は困ったことになってしまってね……」
こんなこと生徒会始まって以来なんだが……と、会長は本当に困り顔で机の上に小さな段ボール箱を置いた。
「さて、榊原君……ここにあるのはなんだと思う?」
その箱の中から一握り、紙の束を取り出して彼は僕にそれを見せた。
そこにはいくつかの言葉が並んでいるように見えた。
でも僕はそれをちらりとみて、首をふるふると横に振った。
うっすらとどういう状況なのかはわかるけれど、認めたくないのだ。
でも。
「なでしこを思う男子生徒からの投書だよ。ああ、一部女子も混ざってたかな。
とにかく生徒会主催イベントを一週間後でも二週間後でも開催して、君に参加させてほしいってさ」
会長は、わざとらしくはぁとため息を漏らしながら、僕の淡い反抗心をぼきりと手折ってくれた。
そう。つまり間接的に僕をなでしこにしたてあげようとする輩からの手紙なわけだ。
「実を言うと、投書の半分以上は君を女子生徒として登校させるようにという嘆願書なんだけど、学校側としては本人が例の障害ってのを訴えないと対応しないってのが基本だからね。そっちのほうは無視なんだ」
僕としては残念だと思うんだけれどね。と会長は僕をみてくすりと笑う。最初の沈痛そうな顔が嘘のようで、すでに状況を楽しんでいるようにも見えた。
「ななななな、なんてことを言うんですか」
あまりの会長の言葉に僕が思いっきりどもっていると、彼はそんな僕のしぐさを目を細めながらみつつ、ぱんっ、と軽く音を立てながら胸のあたりで手を合わせる。
「さて、そんなわけで、榊原君」
ここから本題、という空気をまとわりつかせながら会長は少しだけ前のめりの姿勢になった。
「年末ダンスパーティーなんてものをやったら、君はなでしこさんをやってくれるだろうか?」
ん? と聞かれて僕は大げさにイヤな顔をした。
人間、取引の最初は実現不可能な重たいことから切り出すと、ことがうまく運ぶらしい。
けれど、僕の場合その申し出であっても受けるわけにはいかなかった。
これ以上、僕が女装をするのには問題があるのだ。
「結局、みんな君を見たいってことなんだ。あの二日間の君の姿が、脳裏に染みついて離れてくれないんだよ」
「そんなの。放っておけばいいじゃないですか。どうせなでしこなんて現実に存在しないんですから」
だから、僕はここらへんでストッパーをかけてみる。
そうなのだ。あくまでも祭りの二日間だけいた存在。それがなでしこだ。
それがほいほい学校行事に参加してしまってはいけない。
「……君はずいぶん罪作りな子だね。何人が君の夢を見たと思ってるんだい?」
「……えっ」
夢にまでみるって……それほどなでしこがいいとはどうしても思えないんだけれど。
確かにメイド姿は女の子っぽいけど、でもそんなの本物の女の子の方がいいにきまっているじゃない。
「正直、一度だけでいいから君が姿を現してくれないと、たまりにたまったフラストレーションはどうしようもなくってね。今回だけでいいんだ。是非パーティーにでてほしい」
けれどそんな僕の気持ちなんてまったく無視で会長は頼むと頭を下げた。
まったく、上級生にこんなに頭を下げられちゃったら、僕としては反応に困ってしまう。
「で、でも、ダンスパーティーっていったって、僕はまるっきり踊れないですよ? それに衣装とかはどうなるんですか? メイド服でダンスパーティーだと変じゃないですか」
「それは、君の衣装を作った子……伊藤くんだったっけ。彼に頼めば喜々として作ってくれそうな気がするな」
ああ、そうですね。
思わずそうつっこみそうになって、言葉をつぐんだ。
伊藤君は相変わらず、一緒にコスプレイベントに行こうと誘ってくるのだ。そんな彼ならこんなイベント、わくわくするっしょと大乗り気に違いない。
「そうそう、それと……」
会長は今思い出したかのような口調で僕の方ににこりとほほえみかける。
「商店街も協賛することになったんだ。全面的にバックアップしてくれて、商店街の祭りもかねてやってしまえって感じなんだよ、これが」
正直、冬のイベントというのは今までも何回か話があったんだと会長は言った。
でも実現できなかったのは、どうしたって学校の予算というのが決まってしまっているからなんだそうだ。
「それにもし君が参加してくれるのなら、それなりの報酬を出そうと僕らは考えている」
「報酬?」
そう訪ねると、会長はふふふんとうれしそうに鞄からなにかを取り出した。
「お米券一年分……?」
「実は、君の家族のコトを調べさせて貰ったんだよ」
手のひらに握られたのは、十分すぎる量のおこめ券だった。
しかも一般的なやつではなくて、うちの町でだけ使える手作りの金券だ。
普通は何円分って感じなのに、すごくアバウトに一年分とかかかれている。
「これ。欲しくない? 欲しいよね」
欲しくないといえば嘘になる。
一年分のお米がどれくらいか。ぱぱっと計算すると結構な額になってしまうのはイヤでもわかる。そう、これは家計を支える人間としては地味にうれしい。
でも。
「なんで、商店街のみなさんもそんなに協力的なんですか?」
その券っていうのが非常に怪しく見えてしまったのだった。
あからさまに手書きで、ちゃんとした券じゃないのもうさんくさい。いざお米屋さんにもってって、そんなの知らないと言われたらいくらなんでも切ない。
「それは……町内会長さんがカスったなーのお客さんだったから。ってね」
そりゃぁ、二つ返事でOKだすよなぁ、と会長はうんうんとうなずいた。
「って、おおげさな……」
「まぁ、もともと町おこしの一環として考えてはいたみたいだけどね。地域の交流を密にして商店街を活性化しようって感じ」
最後のきっかけの一つがなでしこさんだったってわけ、と会長は足を組み替えて見せる。
「あとは、君がなでしこさんをつれてくれば、このイベントは成功したといっても過言ではない。どうだい。たった一日働くだけでお米一年分だ。悪い取引ではないと思うけれどね」
「う……」
即答できない自分が恨めしい。
YESにしてもNOにしても。
どっちに転べばいいのか踏ん切りがつかないのだ。
ドレスなら別にメイドさんとは全然イメージかわるんじゃないか? とか。
髪型とメイクをもうちょっといじくって全然別人になればいいんじゃ? とか。
そんなことを考えさせてしまうくらい、お米券一年分は魅力的だった。
「ああ。あと、もう一つ」
そんな様子の僕をみて、会長は思い出したかのように言葉を続けた。
「君の家庭事情を鑑みて、君たちにアルバイトの許可を出そうと我々は考えている」
「へ?」
三葉高校はご存じの通り、アルバイトは一切禁止の学校だ。どんな事情があってもまず通ることはないと言われている。それを……できるようにしてくれるというのだろうか。
「いちおう生徒会特権というやつでね。生徒会と教師陣すべての承認が得られれば超特例でアルバイトもOKなんだよ。もちろん、そんな例はいままで一度たりともあったためしはないんだけれどね」
「でも、僕はアルバイトするつもりなんて……」
でも。それは僕にとってなんらメリットにはならなかった。
すでにもう働いているからだ。これ以上アルバイトを増やすことはまずできないし、そもそも今やっている仕事が学校にばれたらそれこそ危険が危ない。認めてもらおうがなんだろうがたいして変わらないってわけ。
「いや、まぁ君はともかく……ね」
にやりと嫌らしい笑みを浮かべて、会長はぎぃと椅子をならした。
そして、その続きの言葉をもったいつけたように言う。
「池波くんの方がちと問題だ」
「なっ」
その言葉に驚いたのはいうまでもない。今までの話は僕がメインの話で巧巳は関係なかったのだ。
「たしかに池波君はアルバイターではない。だが仕事をしているのは事実だ。今までは家の手伝いということでなんとか目こぼししてきたが、そこらへんは完全に灰色なんだ」
それを、とがめてしまってもいいんだよ? と会長は僕ににじりよる。
彼の言い分はけして間違いではない。僕だって最初の頃はずるいと思っていたくらいだ。他の生徒たちだってそういう不満を持っている可能性だってある。ひと騒動くらい簡単に起こせてしまうだろう。
「きたない……」
「きたなくて結構さ。僕は全校生徒がハッピーになるために仕事をしているんだ。汚れ役の一回や二回苦じゃないね」
それに、と彼は言葉を続ける。
「なでしこさんのドレス姿を見られるなら、僕はどんな罵倒だろうと甘んじてうけてたつよ。それだけのものが彼女にはある」
本人を目の前にして、完璧「別人」に向かって話しかけている矛盾を先輩はどう、思っているんだろうか。
「……しかたない……ですね」
そんな場違いな思考はほとんど現実逃避の一環にすぎず。
僕は、最後にこの言葉を口にすることになる。
「なでしこをやるのはパーティーの当日のみ。当日の撮影その他一切なしならお受けします」
そう。最低限の妥協。それが僕に残された答えだった。
レアリティとはとても魅力を高めますね。
しかしにっくき生徒会長ですが、よくやったと思う部分もあるのです!
とはいえすぐにダンパにいくわけではないのです。
それなでにいろいろなイベントが!
準備でもいろいろフラグたてたりとかもできそーなので楽しみです。はい。




