036.それでも海には遊びに行きます1
昨日、トラブル回をアップしてます。まだ未読の方で読みたい方はよろしくお願いします。
潮風が頬に当たって心地よかった。海なんてほんと来た記憶もほとんど無いくらいだから、本当は嬉しくて嬉しくて仕方がないはずなんだろうけど……
気分がどんよりしてる。それは、僕だけじゃなくって、端から見てて巧巳もそうだった。
その理由は、もちろん先日有ったあの一件なのは間違いないのだろうと思う。
思い切り引きずっている。
巧巳からしたら、音泉がああいう態度を取ったこと自体、訳がわからないのだろうと思う。
そして、その後ろくに説明もしてないものだから、やっちまったー! というのでもんもんとしてるのだと思う。
え? 僕がどんよりしてるのは、どんな顔をして巧巳に会えばいいのか、というのでもんもんとしているからだ。
もちろん、何食わぬ顔をしてっていうのが正解なのはわかってるんだけどね。
「ちょっと、二人とも、なーにそんなにやつれた顔してるの」
せっかくの旅行が台無しじゃんと、一人元気な春花さんが不満げな声をあげた。
「ちょっと、寝不足で」
さすがに落ち込んでいる理由が巧巳に唇を奪われて暴言はかれたからだなんて言えなくて、僕は元から考えておいた言い訳を答えて、目をこしこし擦った。アイメイクをしていないので、こすってもへっちゃらである。
「遠足前の小学生……か」
わからなくもないけどちゃんと寝ないとだめだぞぉと、春花さんは僕のおでこをちょんと小突いた。
はうぅと、うめき声を上げると、かーいいなぁと、春花さんは満足そうだ。いや、別に今は女装してなくて素の反応なんだけど。
「それで、たっくんの方も……」
「俺は別にそんなんじゃ……」
にまぁ、と、遠足前のお子様扱いを始めた春花さんに、巧巳は不機嫌そうに違うと答えた。
考え事があってだな、と巧巳はまだ仏頂面である。
まあ、言うまでもなく先日の音泉とのやりとりが気になっているのだろうね。
なんであんな風に拒絶をされたのか。事情説明をしてないのもあるんだけど、あれは巧巳だって悪いと思うんだ。
誰しも、お金に困らないで夢に進めてるなんて幻想に浸ってるんだから。
我が家の家計は火の車なのだ。ま、こうやって小旅行に出るくらいの収入はできたけどさ。
「もーね、何悩んでるのか知らないけど、せっかくの旅行でそんな不毛なこと考えてもどーしようもないでしょう。こういうときはぱーっと」
うりうりと、春花さんが巧巳の頭をなで繰り回す。
高校生にもなってやられるのはどうかと思うのだけど、これぞ幼なじみパワーというものだろうか。
そのノリに、巧巳も折れたのか、あー、と自分の髪をかきむしりながら、ペットボトルの飲み物を飲んだ。
「はいはい、ぱーっとですね。わかりました。で? そうはいいつつ二人とも水着じゃないのはどういうことだ?」
やれやれと、息を吐きながら、巧巳はつぶやいた。
砂浜に出ながらなお海にいるような恰好でない僕達に巧巳は思い切り不満だったのだろう。僕というよりも、春花さんに不満をもらしたんだろうけど。
今日の僕の恰好は、七分丈のパンツにTシャツ、足下はサンダルを履いている。ああ、サンダルっていっても、女物のじゃないよ? かかともぺったんこな茶色いやつ。あとはちょっと大きめの麦わら帽子をもってきた。
春花さんは、サンダル姿だけど、膝丈スカート姿だ。
「いや、まだ来たばっかりだし」
さすがに、この段階で水着だったらちょっと、危ない人になっちゃうよ? と春花さんが苦笑を浮べる。
まあ、海岸に着いたのはつい先ほどだしね。
いま、水着じゃ無いのは当然のことだ。それこそ水着でバスにのれ! みたいな話になってしまう。
「でも、水着持ってきてないんだろ?」
「およ? たっくんったら、私の水着姿楽しみにしてたんだ?」
ほー? と春花さんが煽るモノの、あんまり動じた様子はない。
「え。もしかして、灯南っちの水着をご所望だったか!」
やー! ごめんねー、学校の水泳の授業で見慣れてると思っていたけど、私服の水着はまたひと味違いますしなぁと、春花さんが茶化す。
いや。男の水着姿なんて、学校もプライベートもあんまりかわらないと思うんだけどね。
ちなみに、僕はプライベートでこういうイベントに来たことがないので、スクール水着だけしか手持ちがない。あ……いちおう、男子のね。女子用のスク水を持っていたらさすがにちょっと、問題になりそうというか。必要なものしか買えないのである。
「ばっ、どこをどうすれば、男の水着姿を目的に……」
「本当に?」
春花さんは僕の両肩に背後から手を乗せて、ずいと前に出した。
いや、奥手の女子をサポートしました! みたいないい顔をしてるけど、それ、ここでやるのは正しくないと思うんだけど。
「ぐぬっ。遊んでないで、さっさとおっさんのところに行こうぜ」
「おっさんって……まだ三十代って言ってなかったっけ?」
巧巳はあからさまに話をそらすことにしたようで、荷物を持つ手に力を入れた。
本日は日帰り旅行ではあるのだけど、荷物置き場かつ休憩所として使わせてもらうお宅があるのだ。
巧巳の親戚ということで、なんと必要経費はゼロ。
とても、ありがたいお話である。
「いーのいーの。昔っから、おっさんで通ってるんだし」
気にしない気にしないと言いながら、巧巳は僕の荷物まで持ち始めた。
いや、持つなら春花さんのほうじゃないの? と思って視線を向けたけど、にまにました笑顔を向けられてしまった。
えええ。春花さんもおかしいって思ってないの?
ちょっと、複雑な顔を浮べつつ巧巳の後を着いて歩いて行く。
巧巳の親戚のおうちは、海辺からちょっとだけ陸地に入ったところで料理屋さんをやっていて、洋食をメインにやっているお店なのだそうだ。海の家なのかなと最初は思っていたのだけど、そうではなくて地元密着のお店らしい。
海の家は夏場限定って感じもあるし、通年で人気があるなら、それはいいことなのだろう。
巧巳が言うには、この浜はあんまり観光客は来ないらしくて海の家はそもそも、営業が成り行かないらしい。
今見た感じだと、ちらちら海水浴にきているお客はいるんだけどね。
「えと……橋本さん、だったっけ?」
おっさんとは言えないので、もう一度名前を確認すると巧巳はあぁと肯いた。
「ま、おっさんで十分だよ」
お前もみたらかならずおっさんだと思うぞ、と巧巳はわずかに笑った。この前のシコリがちょっととれたみたいな感じだ。きっと巧巳も、気持ちを切り替えたんだと思う。彼にしてみれば、音泉の件は僕達とはまるっきり無関係なのだから、あの暗い気持ちを引きずりたくなかったんだろう。
「それじゃ、いきましょうか」
だから、僕も改めて気持ちを切り替えることにする。
この前の件は、あくまで音泉のイベントであって、僕が受けたわけではない。
うしっ、と気合いを入れると、僕もなんとかノーテンキに笑う事ができていた。
からんからんという音が鳴ると、視界に飛び込んできたのは少し薄暗いお店の中だった。
まだ外はクローズの札がかかっていたんだけど、巧巳は気にしないで扉を開けた。
やっぱり、準備中だからお客さんはいなくて、カウンターの奥にいる男の人が、よぅ、良く来たなとカウンターから出てくるのが見えた。
「ほあぁ……」
なかなかキレイに磨き込まれたいいお店だった。飴色に染まった店内っていえばいいのかな。食堂って感じじゃなくて、ちょっと優雅な感じの洋食店。カウンター席がいくつかと、テーブル席が五つくらいある感じで、規模としてはフォルトゥーナくらいだろうか。
「久しぶりだなぁ巧巳。おまえ、また背伸びたんじゃないか?」
「去年あったときより六センチは増えてるよ」
橋本のおじさんは、確かに巧巳がおっさんっていうくらい、おっさんおっさんしている人だった。なにがそう感じさせるかっていうと、やっぱり口の周りにもっさり生えたヒゲ。これが一番年齢を高く見せるポイントなんだと思う。
彼は巧巳を見ると表情を和らげて、巧巳の肩をぽふぽふ叩いていた。
「それとお二人さん。よく来てくれたね」
「えと、はじめまして」
おじさんは巧巳にしたのとは違って、僕達ににこっと笑いかけると、自己紹介をしてくれた。僕達もそれぞれ名前を名乗ってぺこりと頭を下げる。
かなり嬉しそうにしているのは、どういうことなんだろうか。
「とにかく奥へどうぞ」
そう言われて、僕達は橋本のおじさんの後について行った。
思い切りバックヤードにある階段を上っていくと、二階の姿が現れた。
ここは、客席というよりは従業員の休憩所という感じなのだろうか。
「しっかし、おまえも隅に置けないね。両手に花だなんて」
「両手に花って……あーたしかにそっか」
ははは、と僕を見て笑う巧巳に、僕は軽くひじうちを入れた。
「ってぇ、なにすんだよ」
「両手に花って、どーいうことだよ」
「お前は、花だろどーみても」
う、そう言われると、確かに花だよ。そうだよ。でも、こういう時に花っていうと、女の子って意味だと思うんだよ。それだと僕は違うじゃないか。
「まあまあ、二人とも。痴話げんかはよくないよ」
痴話げんかと春花さんに言われて、僕はうぐっと口を噤んだ。
僕と巧巳はそんな仲じゃ、ない。でも……この前の唇の感触だけが頭に浮かんで、ふらりとめまいがした。
ちらりと巧巳の顔を見上げたけど、彼は別に変わらずに橋本のおじさんの後をついていっていた。
むぅ。僕一人がどぎまぎしててバカみたいじゃないか。
「さてっ、ここが今日君達に提供する部屋。もともと巧巳がこっちに遊びに来るときに使ってた部屋でね、今は見ての通りの納戸扱いだ」
最近はこいつ、ぜんっぜん来ないからこの有様で悪いね、とおじさんは謝った。
二階にある部屋の一番奥にあるその部屋は、四畳半だったのだけど、それでも段ボールがいくつか置かれてるだけで、納戸という感じには見えなかった。
特別宿泊をするということではないのなら、荷物置き場と休憩所としては十分すぎるほどだろう。
「遊びにくるって……巧巳くんは毎年夏にこっちで生活してたんですか?」
「だいたい一週間くらいはこっちにね。例年は掃除してあけとくんだけど、今年は一日だけっていうからなぁ」
こいつも別にキレイにしておかなくていいっていうから、このまんまだ、と言うとおじさんは少し寂しそうにした。
高校に上がったというのもあるけど、カスターニャを始めたというのもあって、今年は遊びに来る時間が短くなったのだろう。
「俺だって、店とかなきゃそれくらいこっちにいたいけど……」
まぁいろいろあんだよ。一気に忙しくなったし。というと巧巳はばつが悪そうに頬を掻いた。
「まぁ、そうだよな。お前いちおうプロデビューだもんな」
プロデビューって表現がちょっとおかしかったけど、確かにそうなんだよね。お店でも出してるしフォルトゥーナにも卸しているし。和人さんが表向きやってるわけだけど、半分以上は巧巳の力。徹夜してまでいろいろしてるくらいだから、本当なら旅行だって厳しかったんじゃないだろうか。
「さてと、それじゃさっそくだけど遊びに行かせてもらうわ」
時間もあんまりないしな、と巧巳は言うと小さなリュックサックだけを持って、立ち上がった。
僕達も持つのは小さなハンドバックだけ。男の場合、それこそお財布をお尻にいれるだけ、とかいうのでいいから、バックなんて持つ必要はないわけなんだけど、日焼け止めとかなんやらかんやら持ち歩かないといけないものは多くて、僕も女の子達と同じような装備だ。まぁ、ハンカチとかティッシュとかもこもこポケットに入れるのも好きじゃないから、いいんだけどね。
「ああ。でも、約束は守ってくれな」
「わーってるって」
そいじゃまた後で、というと巧巳は片手をあげて、店の外に出た。
僕達も橋本のおじさんにぺこりと頭を下げると、巧巳の後についていった。
うぶな男の娘はいいものだと思います。




