第1話 『師匠』との邂逅
――魔法は、詠唱を紡ぐことで誰でも使えるようになる。
俺は、物心ついた時から両親にそう教わってきた。
魔法が使えないから息子である俺に託そうとしたのか知らないが、言葉が話せるようになってすぐに叩き込まれてきた。
でも、俺はこれまでに一度も使えたことがない。
何度詠唱を紡いでも、使える兆しすら見えない。
そのせいか、いつしか俺は両親から虐待を受けるようになった。
何をするにも『無能』だと言われ、暴力を受けるのも日常茶飯事。
前世では親から愛されて育った俺は、そのギャップに毎日押しつぶされそうだった。
そしてついに、
「――もう、お前は家の子じゃない」
俺は、親から捨てられた。
何日が経っただろうか。
まだ五歳を迎えたばかりの俺は、捨てられてからは意味もなく平原を彷徨っている。
家からではなく村からも追われ、村には帰ってくるなと釘を刺された。
子供を叱る時に「山に置き去りにするぞ」という脅し文句を使うのはよく聞くが、場所は違えど本当に置き去りにする奴があるかよ。
この世界は、あまりにも殺伐としすぎている。
こういう平原や森には、魔物が存在する。
それどころか、流浪している盗賊なんかと遭遇してもおかしくない。
魔法然り、魔物や盗賊然り、この世はまるで生前読んでいた異世界と同じなのだ。
魔法が使えない俺は、そんな世界で単独で生きていけるはずがない。
詠唱を叩きこまれるばかりで生き残る術など微塵も教えてくれなかったから、襲われたらもう終わりだ。
これからどうしよう。
こんなに小さな体では、できることなど何もない。
水も飲めないし、食べ物もない。
怖くて、少しも寝られていない。
「寒い……」
運の悪いことに、俺が捨てられたあの日から雨が続いている。
雨を凌ぐ方法もないので、打たれるしかない。
体は、もう限界だ。
いっそ、このまま……
「――あの」
「……ぇ?」
膝をつき、湿った雑草に涙を落とした瞬間。
目の前から、女の声が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
「――」
顔を上げると、そこには見覚えのない少女が立っていた。
夜空色のセミロングに、星のような金色の瞳。
背中には長い杖らしきものを背負っており、草でできた傘を差しながら小首を傾げてこちらを見下ろしている。
「こんな雨の中、一人で遊んでるんですか? 危ないですよ」
違う。
こんなに泥や傷にまみれているのを見て、遊んでいるように見えるのか。
そう言いたくても、言葉は出てこない。
もう、人と話すことすら怖くなってしまっているのか。
「大地の息吹たる緑葉よ、集いて堅牢なる障壁となれ。フォリア・シェード」
少女は突然、そう唱えた。
すると、少女の掌に緑色の光が宿り、空気に根を張るようにして草が生えた。
空に向かって伸びていくそれは、同心円状に広がってやがて天蓋を作った。
そして、少女は「どうぞ」と言ってそれを差し出してきた。
恐る恐る草の傘を受け取ると、少女は微かに頬を綻ばせたまま、
「近くに洞窟があったので、そこで雨宿りしましょうか」
「……」
俺はなおも声を発することなく、振り返って来た道を戻り始めた少女の後を歩く。
ほどなくして辿り着いたのは、小さな林の中にある岩窟だった。
「どうして一人であそこにいたんですか? よく見ると傷だらけですし……」
「……ぁ」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
優しい言葉に涙を堪えながら、俺は喉から声を振り絞る。
それから、これまでに経験してきたことを話した。
堰き止められていた声が一気に放たれ、話し始めてからはもう止まらなかった。
「そんなことが……」
少女は、終始親身になって聞いてくれた。
何度も言葉に詰まったのに、嫌な顔一つすらせずに。
「あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
「……ベル、です」
「ベル。いい名前をつけてもらったじゃないですか。
そんなことをする親とは思えませんね」
「……」
元々は、すごくいい親だった。
いつもニコニコしていて、今では考えられないくらい、優しい両親だったのだ。
魔法の詠唱を叩き込まれ始めてから、豹変してしまった。
それを覚えているからこそ、余計に辛い。
「親御さんからは、何と教わっていたんですか?」
「何と……? 詠唱しか教えてもらえなかったので、わかりません」
「ああ……そりゃ、使えるはずがありませんね。
恐らくですが、ご両親ともに魔術の経験がないのでしょう」
「えっ……どうしてわかったんですか?」
「未経験者は揃って言うんですよ。『詠唱をすれば魔術は習得できる』と。
何年も魔術を学んできている身としては、『何を馬鹿げたことを』と言ってやりたいですね」
少女は深くため息をつき、やれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
「――よろしければ、魔術を教えましょうか?」
「えっ……?」
「素質の有無は、正しいやり方を教わっていない時点では判断できません。
なので、一応魔法学校を卒業した私が教えてあげましょう」
出会ったばかりの相手に、そこまで求めてしまってもいいのか。
俺が頼んだわけではないが……
「私の真似をしてみてください」
そう言われ、掌を突き出した少女に従う。
少女はそれを確認するように俺を見てから微笑み、
「では、教わった詠唱を唱えてみてください。
水魔術が一番簡単ですが、覚えているものなら何でも構いません」
覚えているもの、か。
正直、魔法が嫌になっていたから覚えたくなんてなかった。
が、やはり体は嫌でも覚えているものだ。
「……清き泉の精霊よ。我が呼び声に応え、清らなる流れを我が掌に集え」
「はい、そのまま止まってください」
「こ、このまま?」
その状態をキープしろと。
魔法が出る前兆はまったく見えないが……
「ベル。あなたに足りないのはイメージです。
詠唱を紡ぐだけでは、魔法は完成しません」
「イメージ、って……」
難しい。
いきなりイメージしろと言われても……
「力んではいけません。力を抜いて、リラックス」
体に力が入り、眉間にしわが寄った俺の肩に、少女は優しく手を当てた。
途端に余計な力が抜けるのを感じたと同時に、思わず腕が下がってしまった。
「次は、一緒にやってみましょうか」
少女は俺に体を密着させ、柔らかな声音でそう呟く。
そして、
「清き泉の精霊よ。我が呼び声に応え、清らなる流れを我が掌に集え」
再び腕を持ち上げ、今度は少女と声を重ね合わせて、一連の詠唱を口にする。
ここから、さっき教わったイメージだ。
「お腹の底から沸き上がる魔力が、血管を通って全身を駆け巡る」
目を閉じて、イメージする。
「……!」
胃の中から、熱いものがこみ上げてきた。
幾度となく口から出した吐瀉物の感覚とは、まったく違う。
やがて、その流れは全身を蹂躙し始めた。
「通った魔力が、前に出した腕に伝う」
腹、太もも、足の指先と駆け回った熱いものが、腕へと伝わる。
突き出した右腕以外が先ほどの熱を失った代わりに、手首のあたりで滞って大きくなった。
「魔力は、ここにありますか?」
「……はい」
俺よりもずっと長い腕を伸ばし、俺の手首をつついた少女。
即座にその質問に答えると、
「今です。『アクアボール』と唱えてください」
「アクアボール」
言われるがまま、俺は最後の技名を唱えた。
これで、詠唱は完成だ。
今まで幾度となく繰り返してきて、一度も成功したことがなかった。
――なのに。
「――えっ?」
目を閉じたままの俺の鼓膜を、衝撃音が揺らした。
コロコロと石の欠片がこぼれ落ちる音、わずかに顔の前を漂っている水の残滓。
ゆっくりと目を開けた俺の目が捉えたのは、
「――」
小さな穴が空いた、岩の壁だった。
俺はそれを見て、思わず息を呑む。
本当に、俺があれをやったのか。
この人も一緒に唱えていたし、目を閉じている間にこの人が魔法を撃ったんじゃないのか。
「…………」
だが、そんな推測は少女の顔を見た途端すぐに消え去った。
少女もまた、俺と同じように目を見張っていたのだ。
「ベル、あなたは本当に一度も成功させたことがないんですよね」
「は、はい」
少女は一歩後ずさりをしながら、俺にそう確認する。
そして、
「普通、初めて水魔術を使う人間というのは、絞った雑巾から垂れる程度しか出せないはずです。ですが、あなたは初めての魔術で、硬い岩壁にあんな穴を空けました。
これは、はっきり言って――異常ですよ」
綺麗な金色の瞳を震わせながら、そう言い放ったのだった。




