体力測定
学校に登校して、いつものクラスに行き、いつものように席に着く。
しかし、今日の猫羽前は少し違った。
「おはよう」
「お……おう……お、おはよう……」
どこか噛み気味の返事。
視線も、すぐに逸らされる。
(距離を取っているな)
紬はそう判断する。
「何か気に触るような事をしたかい?」
「べ、別に……何もねぇよ」
即答だが、声が少し上ずっている。
机に肘をついて、頬杖をつく猫羽前。
だが落ち着かないのか、指先が机をトントンと叩いている。
「そうか」
紬は特に気にした様子もなく本を開く。
ページをめくる音だけが小さく響く。
(……なんで普通にしてんだよ……)
猫羽前は横目で紬を見る。
昨日のことが、頭から離れない。
視線が合いそうになり、慌てて逸らす。
(近ぇんだよ……距離……)
席は昨日と同じはずなのに、やけに近く感じる。
鼓動が少しだけ早くなる。
(落ち着け……もう薬は切れてんだろ……)
それでも――
無意識に、紬の方へ意識が引っ張られる。
「そういえば今日は体力測定とやらがあったね。一体何をするんだい?」
「確か……シャトルランと反復横跳びと、ソフトボールに長座体前屈、あと握力とかじゃね」
「多いね、だが細かく知るには合理的だ」
「合理性でしか考えてないのかよ……」
猫羽前が呆れたように肩をすくめる。
「だってさ、普通は“きついな〜”とか思うもんだろ」
「きつい、か……」
紬は少しだけ考える。
「負荷の程度によるな」
「出たよその返し……」
「例えばシャトルランは持久力の測定だろう?ならば限界まで走るのが最適解だ」
「いやそれはそうだけど……“限界まで”が普通じゃねぇんだよ」
「そうなのか?」
「普通は途中でやめたくなるんだよ」
「興味深い」
紬は素直に頷く。
「では私は“やめたくなる”という感覚を観察してみよう」
「……やめとけ」
即答だった。
「多分それ、お前には来ねぇから」
「何故そう断言できる?」
「なんつーか……」
猫羽前は少し言葉に詰まる。
昨日のことが頭に浮かぶ。
(あの時のあいつ……普通じゃなかったし……)
視線を逸らす。
「勘だよ」
ぶっきらぼうに言う。
「そうか」
紬はあっさり納得する。
そして二限目、体力測定が始まる。
「ジャージと言う衣服は動きやすくて便利だ」
「それな、登校する時もジャージが良いんだけどなぁ」
会話をしながら、校庭に移動する。
「はい、女子はソフトボールから始めるぞー」
教師の声が響く。
「ボールを遠くまで投げれば良いのかい?」
「単純だが、そうだな」
順番が猫羽前に回ってきた。
「お手本にしろよ?」
ボールを鷲掴みし、しなやかなフォームで振りかぶる。
放たれたボールは綺麗な弧を描いて飛んでいく。
「猫羽前、28メートル」
「すごっ!」
「さすがだね」
周囲から素直な歓声が上がる。
猫羽前は軽く手を振って戻ってきた。
そして――紬の番。
「少し掴み辛いボールだね」
そう呟きながら、猫羽前の動きをなぞるように構える。
(うちと同じ投げ方……)
猫羽前が目を細める。
一瞬で再現されている。
「いくぞ」
紬が腕を振る。
――瞬間。
風を切る音が一段階強い。
ボールは一直線に伸びて、あっという間に視界の奥へ消えた。
「……は?」
誰かが漏らす。
「雨宮……50メートル以上」
教師が少し戸惑いながら言う。
「え、今のなに……」
「飛びすぎじゃない……?」
ざわめきが広がる。
さっきまでの“すごい”とは違う空気。
一歩引いたような視線。
紬は特に気にした様子もなく戻ってくる。
「これで問題ないのか?」
「あ、あぁ……多分な……」
猫羽前は返事をしながらも、目が離せない。
(なんだよ……今の……)
さっきまでの距離感とは違う意味で、
胸がざわついていた
次の測定に移る。
「握力測定の次は長座体前屈だから把握しとけよー」
各々が測定を始める。
紬は猫羽前と測定を共にする。
「ここを力強く握るだけな、あと記録も忘れんなよ?」
「分かってるさ」
「ふんぐっ……!」
猫羽前の肩が上がる。全力で握っている。
「あぁぁ、どうだ、何キロだ?」
「34.8kgだ」
「後半行けないかぁ……」
悔しそうに眉を寄せる。
女子の中では十分高い数値だ。
そして――紬の番。
「では握るぞ」
「おう……」
(なんか嫌な予感がするな……)
その予感は、外れなかった。
紬が軽く握る。
「……?」
表示が出ない。
「記録が映らないが……壊れたのか?」
「いや……これ……」
猫羽前が画面を覗き込む。
「振り切ってる……」
「何?」
ざわつきに気づき、体育教師が近づいてくる。
「どうした?使い方が分からないのか?」
「すまない、握力測定が不具合を起こしてるみたいだ」
「どれどれ……」
教員が測定器を受け取り、試しに握る。
「54.6kg……普通に出るな」
「一回測ってみて」
促され、紬はもう一度握る。
ギリ、と金属が軋むような音。
――それでも表示は出ない。
「……やっぱりだ」
教員の表情が少し変わる。
「上限超えてるな、これ……」
「え……?」
近くにいた生徒が思わず声を漏らす。
「そんなことある……?」
ざわめきが広がる。
猫羽前は黙って紬の手を見る。
細く、白い手。
さっきと同じ、何も変わらない見た目。
(この手で……?)
理解が追いつかない。
「別の測定器持ってくるか……」
教員が呟く。
だがその間も、周囲の視線は紬に集まったまま。
紬は特に気にした様子もなく手を離す。
「測定不能、という扱いで良いのか?」
「……あぁ、一旦そうなるな」
「了解した」
淡々と答える。
その温度差が、余計に異質さを際立たせていた。
測れないものは測れないので、次は長座体前屈に移る。
「こんなのを測って意味はあるのかい?」
「いや、うちに聞くなよ」
紬から始める。
そのまま迷いなく体を前に倒す。
無駄のない動きで、スッと伸びる。
「何センチだ?」
「54cm、体も柔らかいんだな」
「そうか」
特に感情の起伏もなく戻る。
(やっぱ規格外だな……)
猫羽前は小さく息を吐く。
「次は猫羽前の番だよ」
配置につき、同じように体を倒す。
「うぅ……っ……」
少しずつ押し込む。
「ど……どうだ?」
「36cm」
「やっぱ体が硬いかぁ……」
悔しそうに肩を落とす。
「硬いと言うより胸が邪魔してるように見えたが」
「どこ見てんだよ」
即座にツッコミが飛ぶ。
だが、そのあと一瞬だけ視線を逸らす。
(……普通に見てくるよな、こいつ……)
さっきまでなら気にもしなかったはずなのに、
妙に意識してしまう自分がいる。
「……」
紬は何も気にせず次の測定の方を見ている。
その無自覚さに、少しだけ調子が狂う。
「次は上体起こしだね」
「脚押さえとくから先にやって良いぞ」
「承知した」
紬が仰向けになり、猫羽前が脚を押さえる。
その瞬間――
(……)
触れた感触に、わずかに意識が引っ張られる。
(脚……すべすべで……)
思ったより細くて、柔らかい。
無意識に指先に力が入る。
「押さえると言うより触ってないか?」
「っ……!」
ハッとして手を少し引く。
「あぁ、わ……悪い……」
「私は気にしないさ」
淡々とした返答。
だがその“気にしてなさ”が逆にくる。
(なんで平然としてんだよ……)
さっきのことも、今のことも、
全部自分だけが意識しているみたいで――
「始めるぞ」
30秒タイマーを押し、紬が上体を起こす。
一回、二回、三回――
動きに一切の無駄がない。
一定のリズムで、淡々と続けていく。
(速っ……)
気を抜くとカウントを忘れそうになる。
「……20、21、22……」
声が少し遅れる。
それでも紬は止まらない。
(こいつ……どこまでやる気だよ……)
30秒のタイマーが鳴った。
「43回……やっぱ運動かなんかしてただろ」
「してないが?」
「だったらこの記録なんだよ!全部平均より遥か上だぞ!」
「平均より上は良いことじゃないのか?」
「良いこと……だけど……」
言い淀む。
(良いとかそういう問題じゃねぇだろ……)
規格外すぎて、もはや比較にならない。
「次は猫羽前の番だ」
「お……おう……」
今度は紬が脚を押さえる側に回る。
「準備は良いか?」
「お、おう……」
脚を押さえられる。
さっき自分が触れていた場所に、今度は触れられる側。
それだけで妙に意識がいく。
「始めるぞ」
「1、2、3……」
紬のカウントは正確で、一定だ。
猫羽前は上体を起こす。
(……なんかやりづれぇ……)
リズムが合わない。
視線がつい紬の方に行く。
目が合いそうになって逸らす。
「遅れているぞ」
「うっせ……今やってんだよ……!」
呼吸が少し乱れる。
(なんでだよ……いつもならこんくらい……)
体よりも、意識の方が邪魔をする。
「……28、29、30……」
後半、ペースが落ちる。
「くっ……!」
限界まで粘るが――
タイマーが鳴る。
「……31回」
「くそ……調子狂う……」
肩で息をしながら起き上がる。
(全部こいつのせいだろ……)
横を見る。
紬は何も気にしていない顔で記録を書いている。
「問題ない数値だと思うが」
「問題しかねぇよ……」
小さくぼやく。
体力測定は終わり、来週の月曜日に続きをやることとなった。




