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被験体

2025年。湿った地下の空気が淀む研究所。


「ふひひひひ……これで、ようやく……人類の完成形が!」


照田茂男てるたしげお、62歳。

三十年という歳月を捧げた狂気の結晶が、いま、その震える指先の先にあった。


最後の一滴となるDNA試薬を装填し、注入ボタンへ手をかける。

心臓が早鐘を打ち、歪んだ笑みが口元に浮かぶ。


――その瞬間。


轟音とともに扉が吹き飛んだ。


「SATだ!照田茂男だな?伏せろ!」


殺気だった特殊部隊員たちが、一気に研究室へ雪崩れ込む。

無数のレーザーサイトが照田を捉え、その老いた身体を縫い止めた。


「クソ……まだ……完成していないというのに……!」


吐き捨てるような声に、隊長が冷たく返す。


「なんか言ったか?」


「隊長!人体実験の跡を発見しました!」


隊員の指差す先――そこには、巨大な遺伝子改良ポッド。

内部には、雪のような白髪の少女が静かに沈んでいた。


一瞬の隙。


その刹那を、照田は逃さない。


死に取り憑かれたような速さで、注入ボタンを叩き込んだ。


「動くな!」

研究所内で銃声と同時に照田の身体が崩れ落ちる。


「ぐあぁ……っ……これで……か、んせ……い……だ……」


血が広がる。

その視線は、狂気と歓喜を混ぜたまま、ポッドへと向けられていた。


「マズったな……」

隊長が低く吐き捨てる。


「生け捕りが命令だぞ」


だが、もう遅い。

ポッドの中で、何かが変わり始めていた。

澄んでいた緑の液体が、ゆっくりと紫へと染まっていく。


少女の瞼が、ゆっくりと開いた。


「隊長!少女が――」

言葉は最後まで続かなかった。


軋む音。

強化ガラスが限界を迎え、ポッドが破裂する。


液体が研究室を満たす中、少女は静かに立ち上がった。


濡れた白髪。

緑がかった紫のオッドアイが、隊長を捉える。


そこにあったのは、感情ではない。

ただ、冷たい“機能”だけだった。


「動くなと言っただろ!」


銃口が向けられる。


だが――


少女が、わずかに手を上げる。


それだけだった。


その腕が異形へと変わる。

瞬きよりも速く、隊員たちの身体を貫いた。


声を上げる隙もなく血が飛び散る。


研究所は、一瞬で沈黙した。


少女は何事もなかったかのように歩き出す。


研究所は一般住宅の地下に作られていた。

その構造はあまりにも単純で、彼女にとって脱出は驚くほど容易だった。


地上に出ると、大粒の雨が降っていた。


少女は足を止める。

夜空、雨、肌を打つ冷たさ。どれも彼女にとって初めてのものだった。

見慣れた景色も、彼女にはすべてが“未知”として映っている。


ただ、立ち尽くす。


そのとき――


「傘持ってくれば良かったぁぁぁ!」


雨の中を、スーツ姿の女性が駆けてきた。

乱れた足取りのまま前を見た彼女は、家の前に立つ少女に気づき、思わず足を止める。


「……え?」


街灯に照らされたのは、白髪でオッドアイの少女。年の頃は十六ほどに見える。


一瞬の沈黙のあと、女性は慌てて声を上げた。


「って君!?裸で外出ちゃ駄目だよ!?」


すぐにコートを脱ぎ、少女にかける。

濡れた布越しに、わずかな体温が伝わった。


「私の家すぐ近くだから。とりあえず来て、温まろ?」


少女は何も答えない。頷きもしない。

それでも、女性の後ろを静かに歩き出した。


「寒くない?大丈夫?」


問いかけにも反応はない。

ただ黙って、後をついていくだけだった。


やがて辿り着いたのは、小さなワンルームのアパート。


「ヘックチー!」


くしゃみと同時にドアが開く。

室内はありふれた光景だったが、少女にとっては初めて見る空間だった。


視線がゆっくりと動く。壁、家具、床。すべてが未知だ。


だが、それを観察する暇もなく、女性は少女の背中を押した。


「ほら、まずお風呂!風邪ひいちゃうから!」


半ば押し込むように浴室へ入れる。


「熱くない?平気?」


温かい水が肌に触れる。

冷たさとは違う感覚に、少女はわずかに目を細めた。


シャワーを終え、真っ白な服を着せられる。


「私もシャワー浴びてくるから、ここで待っててね!」

女性は濡れたスーツを脱いで洗濯機に入れ、そのまま浴室へ向かった。


再び水音が響く。


ひとり残された少女は、静かに部屋を見回す。


本棚に近づき、一冊を手に取る。

ページを開く。


――読めない。


それが何かを伝えるものだということすら、彼女には分からなかった。


ただ、意味のない記号の並びを、しばらく見つめていた。


「あったまったぁ〜」


タオルで髪を拭きながら、早江はリビングへ戻る。

ふと視線を向けると、少女が本を手に取っていた。


「あぁ……見ちゃったか……」


開かれているのは、人間関係についての本。

読めるとは思えないのに、ただじっとページを見つめている。


早江は少しだけ迷ってから、口を開いた。


「……まずは自己紹介だよね。私は雨宮早江あめみやさえ。あなたの名前は?」


少女は答えない。


ただ、わずかに口を動かす。


「えっくひゅ……」


ぎこちない音だった。

言葉というより、音をなぞっているだけのような、不安定な発音。


「ん?なんて?」


思わず聞き返す。


(この子……喋れないのかな……)


少女は、もう一度口を開いた。


「えっくしゅ……」


さっきより、ほんの少しだけ形になっている。


早江はその音を頭の中で繋げた。


「……エックス?Xちゃんで良いの?」


確認するように言う。


「珍しい名前ね」


少女は、ほんのわずかに――頷いた。


それが、彼女にとって初めての意思表示だった。

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