第11話◆私の本音
「改めて聴くんだけどサ」
「なに?」
「テミャア……死ニ噛ミの仕事は、初めてなんだよね?」
「うん? ──当たり前だよ。
もしかして、私の手際がいいから苛ついてるの?」
「…………」
⬜⬜⬜
6年前。朝。
おとうさんとおかあさんは仕事で疲れていて、いつもおねぼうさんなのだ。
だからあたしが早起きして、トースターにパンを入れるの。
パンの焼ける匂いで目を覚ましてから、おとうさんとおかあさんを起こしにいく。
パンが焼けるまでがタイムリミット。あたしはおしごと上手なので、失敗はしないのだ。
まずはおかあさん。あたしのおとうと、まだまだちっちゃな赤ちゃんとねむっているおかあさんを、あかちゃんを起こさないように、ゆっくりさする。
うーん、おきない。
こいつめ、とだんだんと強くゆすって、ようやくおかあさんはうめき声をあげた。起きた合図だ。
今度はおとうさん。おとうさんのへやはおかあさんのへやの向かい側にある。
きのうはおそくに帰ってきたみたいだし、なんてきだぞ。
「起きてっ! おとうさ──」
もうすぐパンが焼けてしまう。ちょっとかわいそうだけど、大声でおこしてあげるのです。でもびっくり。
きょうはおとうさんは目を開けていました。いつもは、なんどゆすってもおきないのに、きょうはおきていました。
目をぱっちりと開けているおとうさん。
ゆらゆらと揺れているおとうさん。
いつもより……背の高い……おとうさん。
目を……ぱっちりと……開けて、いる……おとう、さん。
チーンッ。
タイムオーバー。
おしごとしっぱいです。
トースターのタイマーが鳴ったら、すぐにパンをお皿にうつさなきゃ。でないとパンが焦げてしまいますから。
けれどあたしはうごけません。
「おとうさん……」
おとうさんをおこすのがおしごとですから。
あれ……でもなんで、目を開けて……?
「おとうさん……」
なんどもこえをかけます。
なんども。
な
んど
も。
なんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんども。
「おとうさん……」
「くく、今日は凄いサービスしてくれるじゃないか。ほら、もっとお父さんって呼んでいいよ? いいねぇ、そのまま上目遣いで舐めてごらん」
言われた通りに、あたしは今日のお父さんの相手をする。
──あたしはおしごと上手なので、失敗はしないのだ。
▼▼▼
起業を失敗し、借金を背負って、家族を巻き込んで、この世界から逃げた父さん。……正直、もう何も感じていない。言いたいことも憎しみも、そりゃ折りたためないくらい積み重なっているけれど、死人に何を言っても仕方がない。時間の無駄だ。
赦せないのは……母さんだ。あたしが中学に入った頃から、夜に家を空けるようになり、やがて昼にも朝にも家を空けるようになった。働いているのかと思えば、
『母さん……? ここで、なにしてるの……?』
『ちょっと。この人だあれ?』
『知らないわよ。ほら、高校生が夜の街を歩いていると、危ないですよ。ふふ』
高校1年生の時。どっかのおじ様と楽しそうに笑って歩いている母さんを見た。
あたしや弟のことをほっぽり投げて、たまに思い出したように家にお金を振り込んで、この人は……こいつは……どこまでも、クズだ。
『お父さんはね、でっかい会社を作って、……そーだな。海に別荘でも作ろうか。屋上があって……うん、赤い屋根がいい。見栄えが良いからね。ははっ、楽しみだなぁ!』
嘘つき。
『大丈夫。お父さんの分まで、私が働くから。どんな手を使っても、お母さんがね、あなた達を大きくしてみせるから』
嘘つき。
『お家のことで大変なんだね。大丈夫。先生はキミの味方だ。キミを必ず、助けてみせるからね』
嘘つき、ばっかり。
小泉サブロウ。
ある日のあたしのパパ活相手は、あたしの学校の担任教師だった。
見た目も声も学校とは違う雰囲気で、ヤツの正体に気づいたのは事後だった。
隠し持っていたカメラで盗撮されて、脅された。
もし、ヤツのことを学校側に話せば、ヤツはあたしの動画を学校にばら撒く。
アイツの人生を台無しにすれば、あたしの人生も台無しになる。
『悪い話じゃないだろう。他の〝パパ〟よりも多額のお金を渡すというんだからねぇ』
……本当に、どうしようもないのは、あたしなんだ。
家族のためと言って、体を売ってるのは、母さんと一緒。
あたしは汚れてしまったけど、ナルは……弟だけは少しでもまともな人生を送ってほしい。
だから。
どんな手を使ってでも、お金を稼ぐ。稼いで稼いで、もっと広い家を買って、ナルに綺麗な服を買ってあげたりして、いい食材でご飯を作ってあげて、ナルに沢山食べさせるんだ。
「はい、今日のお金」
「…………ありがとう、ございます」
「今日はずっと浮かない顔だったね。それもたまらないんだが。くくく」
「いえ、すみません」
「次は……明後日か。火曜日だね。よろしく頼むよ?」
「はい」
「言わなくても分かっているだろうが、キミは俺に逆らえない。キミの金も、名誉も……いや、弟も、俺の手のなかに…………」
「ッ…………」
「おいおいそう睨むなよ。それもたまらないが。キミの手に持つ茶封筒の中身は、誰の懐から出ているか、よくよく考えてみろ」
「……そんなの、わかってます」
「ならいい。俺はタバコを吸ってから行くから、キミは着替えて、顔を隠して、先に受付をして帰るんだ。失敗したら……」
「何度も言わなくてもいいです。やりますから」
▼▼▼
……ホテルを出て、人気の無い路地裏を歩いていく。まだ……アイツに犯された部分が、ひりひりと痛い。最低な男。
……人のことが言えるのか?
今もこうして、ナルを家において、男に体を差し出して金をもらってる、あたしが、母さんやアイツに指差しできるか?
……やめよう。何度考えても、辛くなるだけだ。
はぁ。
やめたい。
ぜんぶぜんぶやめたい。
放り投げて、死んでしまいたい。
はは……っ。
おとうさんは、こんな気持ちだったんだね……。
『うぅ……おねえ、ちゃん』
数日前。包丁で自殺しようとしていたところを、ナルに見られていた。すぐに包丁をしまって、ごまかした。ナルは寝ぼけていたみたいで、翌朝にはそのことを忘れていた。
父さんが自殺したあの日──あの時のあたしの役を、ナルに被せるのか──?
それはいけない。いけない、けど。あたしだって……あたしだって……辛いんだ。ナルだけは幸せになってほしいけど、そう願うあたしだって、これっぽっちの人間で、辛いものは辛いし、痛いものは痛い。もう嫌だ。あの子の前では弱音は吐かないけど、もう嫌だ。ほんとは嫌なんだ。
「いや、だぁ……」
誰に向いて泣いている。ナルか? 過去の自分か? どちらでもいい。泣くな。早くナルの元に帰って、あの子を安心させるんだ。夜遅くにこんなところでボサッとしていては、警察に見つかってしまうだろ。
はやくしろ。
はやく進め。
お前は誰にも甘えてはいけない。
お前の使命を全うしろ──!
「ハンカチ、貸すよ。あっ、これはその、ゲロとかついてないし、結構いい匂いのする柔軟剤使ってるから、色々大丈夫だよ?」
「あんたは……あんたは、人を苛つかせる天才なの? それとも引っ付き虫の類?」
「あなた達が付けたんでしょ。奴隷ちゃんってあだ名。他の二人がいなくなったなら、あなたに引っ付くのが当然だと思うの」
ネオンサインの滲む薄汚い路地裏の道。あたしの行く手を阻むように立っているのは、あたしがいじめていた同級生だった──。
⬜⬜⬜
時刻は零時を回っている。
薄いカーテンの奥には、主張の激しいお月様が、現世を嘲笑うように光っている。
マキさんに連れられて、またもや篠原家にやって来た。
ナルくんはもう寝ている。私とマキさんは、リビングの小さな丸机を挟んで、向かい合って座っている。
マキさんの表情は……爆発寸前……とも言えるし、呆れきった無表情……とも言える。
一方私は、自前の水筒を取り出して、一口呷る。ぷはっと一息ついたところで、沈黙を破るのだった。
「どこから話せばいいですか?」
「全部……だけど、まずはどうしてあのラブホを知っていたのか、教えて。あの場所も、パパ活のことも……メーコにもマヒロにも教えてないのに、なんで、あんたが……ッ」
「すごく正直に答えるね」
「あぁ」
「私ね、占い師なの」
「ぶん殴られたいの?」
「っていうのはジョークで、実はさ、私も夜更かしをしに町を出歩いていたら、見つけちゃったんだよ。ホテルに入っていくマキさんと小泉先生を」
「あたしも先生も、誰にも見つからないように細心の注意を払ったのに?」
「忍者じゃあるまいし、見つかってもおかしくないでしょ。……それは別に、想像していたでしょ。いつかは破滅が来るかもしれないって」
「…………もう、いい。次に、なんであんたはあたしのことを付け回すの」
「うーんとね……。実を言うと、さっきの占い師の話は結構マジなやつなの。占いによれば、あなたにはこれからとんでもない不幸が訪れる。だから、それを回避するために、付け回していたの」
「それ本当に信じると思ってる?」
「思ってないよ。でも、そんなあり得ないような理由付けが無い限り、あなたのバイト先、グレーな居酒屋の厨房も、昔馴染みの舞台照明の手伝いも、メイド喫茶も、ラブホも、全部ぜんぶ知ってることの説明がつかないでしょ?」
「どうしてそれを……っ」
彼女が掛け持ちしているアルバイトは全て把握している。他ならぬ彼女の過去から視たものだ。マキさんの反応からして、的中間違い無し。まったく、学生で家事をしながら、どこに働く時間や体力があるんだ。
「小泉先生の前のあたしのパパは?」
「某大手玩具メーカーの営業マンだよね。ふくよかだけど顔はイケメン。キスはド下手のくせに舌を絡めてくる。違う?」
「気持ち悪いよ……あんた」
「ごめんだけど、聞き飽きたかな、それ。でも、これで理解してもらえた? 私、あなたのこと、結構知ってるの」
「理解はできても納得できるわけないでしょ。そんな冗談みたいな話…………」
「ならさ。冗談みたいな存在に、全部吐き出しちゃえば?」
「は?」
「溜め込むの。辛いよね。逃げたくなるよね。死にたくなるよね。それさぁ、あなたにいじめられていた、私が一番理解できるから。まさか、いじめていたあなたが、否定するわけないよね?」
「…………。
もう、疲れた」
「うん」
「独り言を、吐く」
「うん」
「あたしは──、」
それから小一時間くらいかけて、彼女のお父さんの話、お母さんの話、弟の話、バイトの話、パパ活の話……そして、夢の話を、聞いた。
私が過去視で覗いたものが補完されていくようだった。
「施設で暮らすっていう案もあった」
「うん」
「でも……迷った挙げ句、それを切った。ナルを施設に送るのは、なんだか母さんに負けた気がして……意地になって、あたしはあたしの力で生きていく方を選んだ」
「…………」
「全部、あたしのせいなんだよ。はじめっから施設に相談でもすればよかった。正しい方法で大人を頼ればよかった。意地になっても、結局は汚い大人に頼る、汚い女。最後には教師に騙されて、搾取されるだけ。……もう、どうでもいい」
「ナルくんは、いいの?」
「お前が……あの子の名前を呼ぶな」
「あなたが死んだら、ナルくんは一人になっちゃうんだよ」
「いい加減に……ッ」
「人をいじめていた人が、自分の人生語って泣きべそかくとか、随分と都合がいいよね」
「──しろッッッ!!」
机を蹴り飛ばし、私の肩に掴みかかるマキさん。
「お前に……なにが……っ」
「尊敬するよ」
「は……ぁ?」
「私は昔っから行動できない子だった。何事も〝怖い〟と決めつけて、一歩も歩き出せない子どもだった。いや、過去形じゃなく、今だってそうなの。脅されてから、どうしようもなくなってから、ようやく小さな一歩を踏むような、人間。それが私。だから、あなたみたいに、誰かのために、家族のために、弟のために、頑張れる人を心から尊敬する。私には到底、真似できないことだから」
「…………、慰めのつもり?」
「一個だけこっちからも聞かせてよ。そんなあなたが、どうして私をいじめてたの? やっぱり、メーコさんとマヒロさんに合わせてただけ?」
「…………。
それも、そうだよ。小学校からの馴染みだったあいつらは、高校に入ってちょっとイメチェンしたら、性格までフルモデルチェンジしやがった。それでも、昔からの友達だから、なんとなくつるんでた。あんたへのいじめも、あいつら二人につられてやってた。でも、途中からは違う」
「途中……?」
「うじうじして謝りちらかして前を見ないところがさ、死ぬ直前の、借金を抱えていた時の父さんと似てたんだよ。まるっきり」
「マキさんの、お父さん……」
「さっきも言ったけど、あたしは父さんのことなんかもうどうでもよかった。死人に何を言っても無駄だから。でも、父さんの悪いところとそっくりなあんたを見ていて、あんたに当たりたくなった。あたしの理由は、それ」
「……そっか」
「まっさか謹慎処分になるまでやらかすとは思わなかったけどなぁ、あの二人。彼氏も巻き込むなんて。ま、彼氏も成績もないあたしからすれば、謹慎処分とかぶっちゃけありがたいけどね。働けるし」
「先生からの電話には出たほうがいいと思うよ」
「仕事中に電話掛けてくる方が悪い」
「あなた一応高校生でしょ……」
◆──◆──◆
丑三つ時間近。倒れた机諸々を元に戻し、話を再開する。
話の底が見えてきた。つまるところ、彼女の現在の最も巨大で、最も身近なストレスは、
「小泉サブロウ先生。もしもさ、今あなたを苦しめているこの先生に、やり返すことができたら、どうする」
「つまんないこと聞かないでよ。するに決まってるでしょ。ま、無理だけど。
ラブホに入るまでは変装してるし、それを解くヘマはしない。部屋の鍵は閉まっているし、ドアガードまでついてる。行為中はあたしのスマホとかは取り上げられてるし、最後にチェックもされるから、証拠品の類も削除されちゃうだろうね」
「なら行為中に私が乗り込んだら……?」
「はぁ!?」
また机を蹴飛ばそうとするので、必死に制止をする。
「ナルくん起きちゃうってばっ」
「……夢物語も、やめてよね」
「知り合いに《《腕のいいピッキング使い》》がいるんだよ。ドアガードさえもなんとかしちゃう、ホンモノがね。
ラブホにさえ入り込めちゃえばなんとかなる。ま、そこら辺はこっちでどうにかするよ」
「ちょ、ちょっと待って。あんた本気で言ってんの?」
「何度も言わせないでよ。私は、あなたを、助けたいの」
「……。…………。どうして、いじめてた相手を助けたいわけ?」
「さぁ……実を言うと、私もよく分かってないんだ。どうして自分のことをいじめていた人を助けたいのか。正直、あなたの過去とか、他人だし、どうでもいいのに。悲しい過去があったから、いじめをしていても仕方がない、なんてなるわけないし。これからも、いじめられたことについては、ずっとずっと、あなたを恨むと思うし」
「…………」
「多分だけど。私もあなたと同じ。つまりは自分のエゴ。あなたに自殺されると、ここまで話に付き合った私の良心が痛む。それは勘弁。眠れなくなってニキビが増えたらどうするのって話。
私は私のために、あなたを助ける。その手段に、話を聞いてるだけでも心底ムカつくあの教師を、めっためたにしちゃうの」
「エゴ……。ごちゃごちゃ言ってるけど、あんたってとんでもないお人好しなんじゃない?」
「お人好し……? どうだろう。ワガママな悪魔かもね」
「ぷっ」
マキさんがちょこっと吹き出した。つられて私も、くすっと笑う。
「もうあんたのこと、奴隷ちゃんなんて呼ばない。これまでのこと、全部、謝る。許してもらわなくて、構わないから」
「うん。多分許さないかな」
「だけど、あの教師に仕返しできるなら……あの教師から解放される術があるなら……協力、してください」
そう言って、マキさんは立ち上がり、私に向かって頭を下げた。
「協力して、とか。助けて、とか。ちょっと違うよ。これからマキさんは、勝手に助けられるんだよ。だから頭を上げて?」
ゆっくりと顔を上げるマキさん。その目には涙が一杯に溜まっている。あの教師から解放されるかもしれない、という安心感だろう。
「はい。
仲直りと、よろしく、の握手」
「…………うん」
私とマキさんは、固く握手をした。
篠原マキが死ぬことはとっくに確定している。私が選定できるのは、その方法のみ。
その事実を改めて飲み込んだうえで、私は、彼女の手を強く握り、その温かさを噛み締めた。
これではまるで、死神の契約みたいだと、お月様が笑っているようだった。
⬜⬜⬜
団地のベランダは狭く、人一人入れるほどのスペースしかない。
篠原家のベランダには、そのスペースを埋める一つの人影。
ゴシック・ロリィタを着こなす悪魔が一人。
「テミャア、どうして自分の首を絞めるのがそんなに好きなのかな。本当に……、バカ」
⬜⬜⬜
──そうして、翌週の火曜日。篠原マキの死亡想定日。また、音沙汰ユイの地獄送りが決定される日。
「今日は機嫌がいいなぁ? マキ」
「ええ。今日はちょっと、甘えたい気分なんです。だから化粧とかマスクとか、全部外してくださいよ」




