第21話:8年前のパンデミック
8年前
竜二はこの時まだ男の子だった。そして、この時まで日本は平和だった。もちろん、他国では紛争や戦争はあったが、少なくとも今よりもっとましな時代だったはずである。
しかし、そんな平和は長くは続かない。
「欧州にて原因不明の小児患者複数発生との報道がありました。新種の感染症と思われます。なんでも熱が下がらないとか…」
それは年が明けてすぐの1月下旬のことだった。冬季オリンピックが開催されるまであと数日というまさにその時、なぞの感染症が突如、欧州で確認されたという報告が飛んだ。
「子ども?…死者と大人は?」
「今のところ軽症で死者は1例も確認されていないようです。それから全員が子どもです。…ただ、情報の信ぴょう性はどうやら低いようです。どうします?渡航情報出すかもしれないので、念のため上に報告しますか?」
「ならなしだ!オリンピックの時にそんな不確かな情報、上に報告できるか」
発病者が子どもだけということもあり、最初はだれも動かなかった。オリンピックという多額のマネーが動くイベントに世界中が熱狂しており、各地で子どもが発熱しているというその報告は過度な不安を煽るということで軽視されたのだ。
もしも世界がパンデミック、そしてその後に続く性転換という「極めて深刻な後遺症」を避けられたとしたのであればこのタイミングだけだったともいえる。
それからも感染者は増加する。
しかし、日本を含めた各国政府の動きは鈍かった。
「このグローバル時代に、たかが子どもの風邪で国境封鎖などできるはずがない」
「オリンピックの経済効果を知っているのか?」
「そもそも報告書によるとみな『軽症』というのではないか?」
「念のため、特措法改正だけ検討し、今はパニックを煽らないことだ。マスコミにも『軽症』と伝えたまえ」
日本政府内ではそんな言葉が飛び交った。そして、この時から「軽症」という言葉が独り歩きしていた。
「原因の子供発熱多数確認されるが幸い全員『軽症』」
「欧州で謎の集団発熱、ただし『軽症』」
「欧州『軽症』で大パニック」
「感染拡大地域『すべて水道水飲めず。衛生面が原因か?』」
それからしばらくは、日本では報道すら滅多にされなかった。「軽症」ならオリンピック期間中に経済活動に水を差すようなことを言うなという意見が多かったのだ。そして、これはどの国でも同じで、発展途上国のなかには不安を煽っているとして、報道管制が敷かれた国もあった。
「この子が今朝から熱が下がらなくて…」
実はこの時、すでに日本には感染者がいた。最初に発病したのは欧州から帰国したばかりのある地方都市に住む10歳の女の子だった。
「身体つらい?」
「ちょっと…身体が痛い」
「まだ発病後時間が経っていないので検査は一応陰性ですが、ここのところインフルエンザが流行ってますので…おそらくそれで間違いないでしょう。ではお薬出しておきますね」
当初、医師からは季節性インフルエンザの可能性があると伝えられていた。季節インフルエンザは5類感染症である。感染者本人の子どもに対して自宅隔離が要請されたが、両親に隔離要請がされることはなかった。
それからしばらくして、この小児科や両親のまわりで小児発熱患者が急増した。発熱患者はみな子どもだったが、食欲はあり、医者からすれば熱もそれほど高くなかった。
「……38℃以上の発熱が継続しているが、ほぼ全員、食欲はあり胃腸障害は見られない。…んな馬鹿な…でも…食べられるなら重症化する可能性は低いのか?インフルエンザでないことはわかるが、いったいなんだこれは?」
奇妙な風邪が流行っているが、重症化リスクは低い。
それが最初に診察した医師の所見だった。
「先生!もう一週間ですが、まだ熱が下がらないんです!!」
親世代が明確に異変を感じたのは、多数の児童が次々と発熱し、各地で再開することのない学級閉鎖が多発してからだ。子どもがいつまでたっても熱がさがらないという不安の声が各地であがっていた。
「子どもの熱がもう何日も下がらない!!」
「子どもの看病で仕事にならない」
「オリンピックどころじゃない!」
そんな不満の声が親世代からあがった。
この異常事態は教師や親世代、医師、地方自治体や厚生労働省の間で共有されており、欧州で確認されている例の感染症ではないかとも言われていた。そんな親世代のパニックをどうにか解消しようと動いたのがある自治体だ。
子どもたちの発熱は続いており、収まる気配はなかったが、どういうわけか大半の子どもが意識も食欲もあるようで、全員軽症と診断されていた。ほとんどの子が通常の食事を三食食べられるうえ、発熱も37度代前半~38度代前半の範囲で、容態は安定している。
「市長は何やってやがる。全員軽症だ!急ぎ医師や看護師と施設を用意すればいいだろ」
多くの職員が医師と数人のスタッフを配置し、ベッドだけ用意すればなんとかなると考えていた。そこで、ある自治体が、発熱者用の保育施設や臨時の入院待機施設を仮設で用意し、働く世代の親の負担軽減に努めようとしたのである。
「やればできるじゃん」
「昼間、子ども見てもらえるなんて助かります」
「これで仕事に行ける!」
「市長の懸命な判断は素晴らしい!医師の少ない欧州ではこうはいかん。さすが医療大国日本だ」
そして、この自治体のアイデアが国も巻き込み全国的に採用されることになった。自治体にとっては完全な善意であり、マスコミからも画期的なアイデアと賞賛された。
しかし、皮肉なことにこれが感染爆発のきっかけとなった。
職場復帰した無症状の親や職員、発熱しているにもかかわらず自宅と施設の間を毎日公共交通機関で移動している子どもたちから一気に感染が拡大、短期間で収拾がつかないほどの感染者をだすことになった。
それでもまだまだ世間の関心は高いとは言えなかった。感染者は子どもだけで、多くの大人にとっては他人事だったからだ。世間や政治家の関心はオリンピックや経済にまだまだ向けられていた。
「オリンピックが終わるまでは国民に対し過度な不安を煽らないでいただきたい」
それはマスコミの前で一日二回、記者会見をしている田中官房長官の言葉だった。




