第10話:元女子「あかね」
林田あかねの生物学上の性別が「女」から「男」に変わったのは8歳の時だった。
自分は女として生まれ、女として生きていくと信じていた。そんな当たり前が一瞬にして崩壊したのが、あの巷で「T-VID」と呼ばれる感染症だった。
長い発熱と激痛に何日も苦しめられた。
子どもながらに「死ぬ」と何度思ったことだろう。
体調不良のピーク、激しい倦怠感にうなされていたあの日の早朝、あかねは下腹部が突然、飛び出すような衝撃と激しい痛みを感じた。それはまさしく女性器が男性器に変化した瞬間だった。
T-VID研究で有名なエゲリカ王立研究所の論文によるとゆっくりと子宮が作られていった元男子に比べ、元女子のほうが性転換の苦痛を味わったのだという。
それでも当時の中学生のようにある程度、成熟した身体で性転換してしまった人たちの痛みに比べると、8歳のあかねが体験した痛みは、かなりましな部類だったらしいのではあるが、今でもあの何かが突然生える痛みは忘れられなかった。
こうして平熱に戻った時、あかねは「極めて深刻な後遺症」と呼ばれる性転換によって男になっていた。最初は性別の違いにとまどい泣いてしまったように思う。
8歳とはいえ、女が急に男になったのだ。戸惑わない方がおかしい。
それでも、今考えるとT-VIDはあかねにとって…それほど悪いことではなかったようにも思えている。一度はやってみたかった『立小便』もできるようになったし、上半身裸で過ごして親から注意されることもなくなった。女子だったら絶対できなかっただろうこともいろいろ体験してきた。体育会系のノリが強い男子社会に馴染めず、今でも嘆いている元女子は多いと聞くが、どうせ一度しかない人生なのだ。
こうなってしまった以上、今を楽しむほかないのである。
「だけど、ほんと理不尽だ―」
あかねは女子が楽しく談笑しているのを横目に、愚痴を親友の藤原芽衣にこぼした。
「なにが?」
「女子だよ。あいつらいまだに”おれ”とか”ぼく”とかいってるのに誰もとがめねぇんだぜ」
友達や両親から『あかねちゃん』と、『ちゃん付け』で呼ばれなくなって久しい。T-VIDでこの性別になって少しした頃、元女子は「性別適応特別講習」という名目で研修施設に集められ徹底的に口調を修正された。政府の方針とやらで「男らしく育てる」というのだ。
わたしやあたしといった女の子が一般的につかう一人称はダメだときつくしつけられ、結局、あかねはおれという一人称に自然と矯正された。
「性別適応特別講習。男女差あったみたいだしね。そもそも性別適応特別講習がはじまったきっかけって元女子の性犯罪の急増が理由だって聞いたし」
「当時、女子の身体を不必要に見たり触ったりしてはダメだって繰り返し言われて不思議だったけど、あれがそれだったんだな。全くうらやまけしからん話だ」
8歳だったあかねはそれが何を意味するのか全く理解していなかった。
これは後で知ったのだが…元男子の性別適応特別講習の内容は元女子のような研修施設に軟禁ではなく、自宅から通学方式で行われたのだという。内容も名作映画を見るとか、化粧の仕方を習うとか、みんなで着替えを楽しむとか……何かと走らされてばかりだった元女子からすると「遊んでるだけ?ふざけてるのか?」と言える内容だった。
「それに、女子は一人称が男っぽくても可愛いし」
多くの元男子は「可愛いくないから」とか、「男っぽくて変だから」と言って、自発的に口調を変えているらしいが、元女子のように口調を矯正するということは…どういうわけか最後まで行われなかったようだ。そんなわけで、吉田竜二のように頑なに口調を変えない元男子もわずかながら存在しているのが現実だった。
「そんな理由かよっ!」
「そんな理由らしいよ。ようは可愛いは正義ってやつ」
あかねは知らなかったが、芽衣の意見は的を得ていた。女子が男の口調を使うのは当時それほど問題視されていなかった。
もちろん、あまりに乱暴な言葉や暴力行為は非行にはしったり、性犯罪の被害に巻き込まれやすくなることから、矯正教育の対象となったが、矯正教育にかかるコストなどから一人称などは見過ごされたのだ。
これには大人が生理的に受け入れられるかどうかというだけの身勝手な理由ももちろんあったが、T-VID後元男子が犯罪を起こした件数は元女子に比べ著しく減っており、大人たちからみると元男子はもっぱら被害者である。いかつい元女子と違い、弱弱しく守ってあげたくなるような見た目をしていることが多かった元男子は、社会秩序や治安といった観点からは全く問題視されなかったことが最大の原因だった。
「ふざけるなっていってやりたいよ。いったい何度言い間違えて罰を受けたことか…」
「ぼくはすぐに適応してご飯いっぱい食べたけどね」
性別適応特別講習は飴と鞭だった。
望ましい行動をすると、大人から褒められたり、ご飯がもらえたりする一方、望ましくない行動をするとご飯の量が減るとか、グラウンド何周とかの罰がまっていた。多くの元女子は罰を受けたくない一心で性別適応していったのだ。
「でも、あれ…今じゃ罰をあたえるのは人権侵害だって抗議の声があがってるけどね」
「でもそれ言っているの『フリーダム』だろ?罰っていっても殴られたりするわけじゃねぇから合法だし、誰も相手にしねぇよあんな奴ら」
過激派団体『フリーダム』が今でも声をあげているのはあかねも聞いたことがある。フリーダムは『性別適応特別講習』や『少子化対策法』に当初より反対していた組織だ。
「T-VIDは生物兵器の疑いがある」だの、当時T-VID研究最先端だった「エゲリカ王立研究所は嘘をついている」だの、与太話をするようになったばかりか、国内では『少子化対策法案』成立を阻止しようと推進派の政治家を監禁、暴行するという強硬手段をとったことで警察が本格的に介入、事務所から多量の重火器が見つかり、国際テロ組織に認定された経緯があった。
フリーダムの不祥事の直後に『少子化対策法案』は成立。フリーダムの行動が法案を成立させたと考えることもでき、今でもフリーダムはネット上や水面下でほそぼそと活躍しているらしいが、民意を完全に失っているといってよかった。
「でも吉田さんが『おれ』っていうのすごくよくない?」
芽衣が吉田竜二の魅力を語った。
ずっと元男子の竜二視点でしたので、今度は元女子のあかね視点のお話です。




