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こころ  作者: 橋本洋一
15/17

通り魔 ???のこと その2

 ――ぼくは、右肩のナイフを引き抜き。

 通り魔の太ももに突き刺した。


「ぐああああああああああ!」


 聞き苦しい悲鳴があがる。ぼくはもう既に治っている右腕を合わせた両手を使って通り魔を突き飛ばした。


「いつまで上に乗っかってんだこの野郎! 性欲の強い雄豚か、くそったれ!」


 自分でも口汚いと思う言葉を、吐いてしまう。立ち上がると左脚の太ももを押さえて止血しようとしている通り魔の傍に置いてあった二本目のナイフを蹴っ飛ばして届かないようにした。そして太もものナイフを引き抜いて右脚のふくらはぎに突き刺し、すぐに抜いた。


「ぐぁあああぁぁぁあああ!」

「うるさいな。死ぬような傷じゃあないから安心しなよ」


 脚を刺されたくらいでそんなに叫ばないでほしい。お前に殺された九人はそれ以上に痛かったんだから。

 転げ回る通り魔をよそに、ぼくはナイフを持ったままスマホを取り出し電話をかけた。


「漆原さん? 通り魔を見つけました。すぐ来て――」

「もう、来てますよ」


 声が二重に聞こえて、もう一方が後ろから聞こえたので振り向くと、黒衣に身を包んだ漆原さんが闇に溶けるように立っていた。


 気を張っていたのに、気がつかなかったなあ。

  ていうかびっくりするからやめて。


「ずっと近くに居ましたよ。こころさん、打ち合わせしたじゃあないですか。二重尾行で通り魔を追い詰める作戦ですよ」


 しかし――と漆原さんはため息を吐く。


「まさか通り魔と闘おうとしたり、ナイフを脚に突き刺したりと、結構こころさんは過激ですね。わたくしが銃で動きを止める役目なのに出番がなくなっちゃいましたね」


 そしていつも通りくふふと笑った。


「それにしても、こころさん、その伊吹女子高の制服似合ってますよ。ウィッグも相まって女子高生みたいですね」

「ていうか女子ですからぼくは」


 ロングヘアーのウィッグを取りつつぼくは訂正を求める。

 ふう、やっとすっきりした。


「そうでしたね。見た目が中性的で、ぱっと見たら男子に見えますしね」


 さりげなく失礼なことを言う漆原さん。

 まあ、自分でも男の子のように見られるのを自覚しているけど――


「それでいじめに遭ったこともありますからやめてください」

「ああ、資料にそう記載していましたね。だから友達も少ないんですね」

「ええ、モモと七色さんぐらいですよ、仲良くしてくれたのは」

「陸上部の仲間とかはどうですか? 部活の友達も――」

「ぼくが脚を怪我したときに離れてしまいましたよ。そんなことはどうでもいいんです」


 ぼくは倒れている通り魔を見下ろす。声をあげることはないが、痛みを必死に抑えている様子で蹲っている。


「こころさん、通り魔の正体を知る機会ですよ。サングラスとマスクを取りましょう」

「それもそうですね。一応、銃を構えていてくださいね」

「了解しました」


 漆原さんの用意を待ってから、倒れこんでいる通り魔に近づく。


 このときぼくは、覚悟をしていなかった。通り魔が逃げられない状況を作りだしたし、漆原さんが居る。その安心感がぼくの神経を鈍らせた。弛緩させたのだ。


 だからぼくは――絶望することになる。

 通り魔の頭を上下逆に見ながら、サングラスとマスクを無理矢理剥ぎ取ると――

 そこに居たのは、黒川先生だった。



「えっ? ……えっ?」


 一瞬訳が分からず、理解しても現実を肯定できなかった。


「く、黒川――先生……?」

「どうかしましたか? もしかして知り合いですか?」


 漆原さんも通り魔――黒川先生の顔を覗き込んでくる。


 黒川先生は苦痛に顔を歪めながら、こっちを睨んでくる。普段の朴訥とした黒川先生から想像のできない憎悪に満ちた表情だった。


「黒川先生、なんで――」

「伏見……お前が、なぜ、こんなことを――その女は誰だ?」

「くふふ。わたくしは漆原凛。貴方を抹殺するために派遣された始末屋ですよ」


 漆原さんは愉快そうに答えると、黒川先生は不快な顔をした。


「し、質問に答えてください! どうして先生が通り魔なんかに――」

「……俺の人生を無茶苦茶にされたからだ」


 黒川先生は苦々しく吐き出した。

 悪意を込めた呪詛だった。


「きっかけは単純なものさ。俺は葉桜なんて偏差値の低いクソみたいな学校に来る前は伊吹女子高の教師をしていたのさ。その頃は楽しかったなあ。聞き分けの良くて、良い意味で馴れ馴れしくて、それでいて敬意を払われていて。本当にやりがいのある職場だった」

「ふむふむ。つまり異動させられたから殺人を行っていたのですか? 意味が分かりませんね」

「…………」


 漆原さんが茶々を入れても黒川先生は無反応だった。というより無視して話を続けた。


「ある日、とある生徒に告白されたんだ。綺麗な娘だった。思わずOKしそうだったよ。でも俺は教員という名の聖職者だ。当然断った。心苦しいがな。今思えば大失敗だった。告白を受け入れていれば良かったよ。職業倫理とか道徳とか考えていた俺が馬鹿だった」


 この人は――何を言っているんだ?


「その生徒――花蓮という綺麗な名前の、その女は俺の悪評を広めやがった。事実無根の根も葉もない噂だ。女子にセクハラしただのモラルを疑うようなデマを言いふらしたんだよ。しかも最悪なことに花蓮の親は県の教育委員会に勤めているお偉いさんだ。何の後ろ盾のない、吹けば飛ぶような頼りないのが俺の立場だった――ぐう!」


 黒川先生は脚の痛みに顔をしかめて話すのを止めた。しかし怒りが勝っているのか、さらに言葉を紡ぐ。


「結局、俺は伊吹女子高を退職することになった。当たり前だ、生徒だけじゃあなく同僚の教師や上司の教頭や校長にまで噂を信じられてしまったんだからな。いや、デマだと分かっていても、噂を立てられたということだけで教師失格の烙印を押されたに等しい。とにかく俺の理想とする教育ができない。できなくなった。一生底辺の能力しか持ち得ない馬鹿共相手に教育していかなければならなくなった。絶望するのは必至だった」


 おかしくないか? その程度で自分の人生が滅茶苦茶になっただなんて――


「おかしいだろ! あんたまだ教師やれてるじゃん! そりゃあ理想の教育とやらができなくなっても、まだ人並みに生きていけるだろう!」

「お前みたいな馬鹿に! 何が分かるんだ! いいか、良く聞け!」


 額に脂汗をかきながら、黒川先生は吼えるように怒鳴りあげる。


「俺は今まで道を踏み外したことがなかったんだ! ずっとエリートでいたんだ! いられたんだよ! 小学校中学校高校大学まで成績は上位だったし人に好かれたし尊敬もされた! いずれは教頭校長になって! 老後を悠々自適に暮らせるほどの財産を築く予定だったんだ! そのプランが全て崩れた! 何も知らない小娘のせいで! 俺は――」


 黒川先生は振り絞る声で、叫ぶ。


「俺は人生を転落されるようなことはしていないんだ!」

「だからって人を殺していいはずがないだろうが!」


 ぼくは怒りに任せて黒川先生――いや、黒川の胸ぐらを掴み、喚き散らす。


「ふざけるなよ! 少しも同情できねえことをぺらぺら喋りやがって! お前が始めた殺人でどれだけの人間が不幸になってしまったんだ! 殺された九人! その家族! 親戚友人恋人が決して癒されることのない痛みを味わされたんだ! そんな不幸に比べたら、てめえの不幸なんてくっだらねえ! だって――お前は生きているじゃねえかよ! そんなに辛かったら一人で、一人っきりで死ねば良かったんだ! お前なんか! 生まれてこなければ良かったんだ!」

「なんだと――ぐぁああああ!」


 黒川は悲鳴をあげた。その悲鳴に驚いて服を離すと後ろから「くふふ」と笑いが聞こえた。


「こころさん、落ち着いてください。他に訊きたいことがありますので」


 振り向くと漆原さんが黒川の脚の傷を踏んでいた。えげつねえ。


「貴方の身の上話なんてどうでもいいんですよ。わたくしが訊きたいのは、『シック』が『発症』したのがいつなのか、『症状』はどのようなものなのか、きっかけがいつなのかなどですよ」


 正直に答えてくださいと漆原さんは脚を踏みつけながら冷たく言った。


「ぐぅあああ! 『シック』? なんだ、それは? ひょっとして、俺の能力のことか? 『シック』っていうのか?」

「そうです。早く言ってください」

「……誰が言うか、クズが」

「……くふふ」


 漆原さんは服のポケットから注射器を取り出した――


「なんだそれは! ま、まさか――」

「自白剤です。安心してください、副作用は一切ない優れものです。流石我がACA。我が軍の科学技術は世界一ですね」


 気軽に言いながら、まるでベテランの看護師さながらに黒川の腕に自白剤を注射した。その際「やめろやめろやめろ!」と抗議した声は華麗にスルーされた。抵抗する暇さえ与えられなかった。


 二分後。


「…………」

「……大丈夫ですか? 喋らなくなりましたけど」

「即効性の薬品でしばらく頭が働かなくなるんです。しかし、もう質問しても大丈夫ですよ。さて、わたくしから訊きましょうか」


 漆原さんはしゃがんで目線を合わせて黒川に質問する。


「貴方の『シック』が『発症』したのがいつですか?」

「……一ヶ月前だ」


 自白剤なんて怪しい薬品だと思っていたけど、効果覿面だったなあ。


「ふむなるほど。『症状』はどのようなものですか? つまり、能力の詳細を教えてください」

「……簡単に言えば、透明人間になれる能力だ」


 透明人間? それが黒川の『シック』?


「物体を透り抜けるタイプの『シック』ではなく姿を見えなくさせるタイプの『シック』ですね。だから武装をしているわけですね。しかも自身の服やナイフをも見えなくさせる副作用もあるんですね」

「……そうだ。俺はこの能力を『誰もいない理想郷ユートピア』と名付けた」


 ユートピア。九人の女子高生を殺すための『シック』の名前にしては歪すぎる。


「その他の『シック』の力は? 透明になるくらいだったらわたくしが見逃すわけありません」

「……まず認識ができない。どんなに派手に殺そうとしてもバレる心配がない。それと殺人対象の居場所も分かる。これはなんとなくだが、漠然としてるが、どこにいるのか分かるのだ」

「まさに殺人のための、通り魔のための『シック』ですねえ」


 漆原さんは感心したように言うけれど、ぼくは感心なんてポジティブなことは考えられなかった。必死に怒りを抑えるのに全精力を注いでいた。


「きっかけは……まあいいでしょう。殺した人間は覚えていますか?」

「最初の殺人、花蓮以外はあまり覚えていない」


 花蓮はさっきも出てきた名前。黒川が落ちぶれるきっかけになった女子高生だ。


「能力に気づいて最初に思ったのは復讐だ。俺の人生を滅茶苦茶したあの女は許すことができなかった」


 自白剤のせいか、自身の告白のせいか、とろんとした陶酔するような顔をする黒川。


「あのときは最高だった。胸がすくような気分だ。散々いたぶって殺してやった。『やめて殺さないで』と言ってたのが『早く殺してください』とお願いするまで時間がかからなかった。俺は笑いながら殺してやった」


 胃がムカムカする。楽しそうに殺人行為をしているのが吐き気を催す。


「殺して解体しても俺の怒りは晴れなかったよ。それ以上に殺したいと思う気持ちが強かった。だから――たくさん殺すことを決めたんだ。伊吹女子高の生徒を」


 伊吹女子高? じゃあ――


「ど、どうして七色さんを殺したんだ! 伊吹女子高の生徒じゃあないだろう!」


 詰め寄って訊くと黒川は自虐的な笑みを浮かべた。


「森下のことか? あれは気の毒なことをしたよ。あれは森下の運が悪かった」

「えっ? なにそれ……」


 訳が分からない。訳が分かりたくもない。


「あの日、空が曇っていて、暗かった。今日みたく月明かりがなくて暗かったんだ。だから――間違えた」

「……間違えたって、どういう……」


 聞きたくない聞きたくない聞きたくない。

 だけど――

 ぼくは訊かざるを得なかった。


「ど、どういうことなんだ! 答えろ!」


 真実は、いつもぼくを、突き放す。


「あいつの服が伊吹女子高の制服に見えたんだ。つまり、間違えて殺してしまったんだ」


 あの日、モモは言った。


『それ、まるで学校の制服みたいだけど』


 青色の服。

 伊吹女子高の制服は『紺』。


 暗くて見分けがつかない。

 曇っていた。


 七色さんは運が悪い。

 お祖父さんが風水師。


 だからいつも色で統一。

 七色さんの由来。


 ルーツ。

 ルーティン。

 アンデンティティ。


 全てが繋がる。


 それはあまりに残酷で。

 残忍で罪悪で。

 伏線も暗示も。

 示唆すらなくて。

 推理小説や探偵小説でもない。

 現実の話だ。

 だから、ぼくは――


「あ、あああ、ああ」


 ぼくは、地獄すら生温い、絶望の淵に、背中を押されたように、堕ちていく。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 自分の口から出たとは思えないほどの苦痛を込めた叫び。

 ぼくの精神は――破壊された。

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