姉 伏見ゆめのこと
葬式に出るのは、ぼくの人生において初めてのことだった。
それは身近な人間が死ぬことがなかったことを表していて、言い換えれば幸福なことだろうけど、初めての葬式が親友のものだとしたら、それは限りなく不幸なことだろう。
七色さんがどんな風に殺されてどんな風に解体されてどんな風に並ばされてどんな風に刻まされてどんな風に晒されてしまったのか分からない。
誰も何も教えてくれなかったのだ。
だからぼくは想像するしかない。七色さんがどんな風に殺されてどんな風に解体されてどんな風に並ばされてどんな風に刻まされてどんな風に晒されてしまったのかを。
分かりたくないけど、知らねばならない気がするのだ。
親友の最期をぼくは知る義務がある。
権利じゃないことがなんだか現実的だ。
現実でなければいいのにと何回も祈った。神様なんていないと思っていたけど、祈らずにはいられなかった。
でも現実は非情で無情だ。
今こうして七色さんの遺体の入った棺を目の前にしているこの現実は圧倒的にぼくの脳髄に響く――
「こころちゃん、大丈夫?」
名前を呼ばれてハッと気がつく。
あれ? どうしてゆめ姉が隣にいるんだ?
「こころちゃん、しっかりしなさい。ななみちゃんとのお別れをきちんとしなさい」
ゆめ姉は毅然とした――少なくともぼくはそう聞こえた――声でぼくを注意した。
「…………」
「こころちゃん……さくらちゃんも、気持ちは分かるけど、お別れをしないと後悔することになるわ。しっかりしなさい」
さくら? ああ、モモか。そういえばモモも近くにいないとおかしいか。
そう思って周りを見渡すと、隣にモモが居た。あれ気づかなかったな。
というより、いつぼくはこの場にいたんだろう? 記憶が飛んでしまっている。どうしたことだろう。
どうしてぼくはここにいる?
もう一度周りを見渡す。七色さんのお母さん、あけみさんがハンカチで口元を押さえながら静かに泣いている。その肩を知らないおじさんが抱いている。どこか七色さんに似ている。多分、七色さんのお父さんかな? その人も涙をたくさん流している。
黒川先生も居た。涙こそ流していないけど沈痛な面持ちで棺を見ていた。
棺? 誰か死んだのか?
どうして周りの人は黒い服を着ているんだろう? 二十人くらいの人が囲んでいる。みんな悲しそうだ。
なんで悲しそうなんだろう?
棺を見てみる。白くて木製の棺、とても長い。百八十センチくらいある。
そうか。これの中に七色さんが居るんだ。
えっ? どういうことだ?
七色さんはぼくの親友で大切な親友で大事な親友でかいがえのない親友で言葉を尽くしても尽きないほど大好きで愛していてずっと一緒だって信じていてモモと同じで中学からつるんでいて進学も一緒でだから感謝していて恩返ししないといけなくて脚が治ったらお祝いしようと約束していて――
「こころちゃん! 何しているの!」
「ころくん! やめて!」
二人の声が遠くに聞こえた。ぼくは自分が何をしようとしているのか分からない。けれど周りの人が邪魔してくる。腕を捕まれ羽交い絞めされ、身動きができなくなる。
「こころちゃん! 棺から手を離しなさい!そんなことしてもななみちゃんは――」
えっ?
ぼくは――何をしようとした?
周りの人がぼくを棺から引き離す。ああ、そっか、ぼくは棺を開けようとしたのか。
「ころくん、しっかり、してよう。お願い、だから、いつもみたいにして……」
モモが涙を流しながら言う。
はあはあと音が聞こえた。何の音だろうと思っていたら、自分の呼吸だと気づいた。
「おい、この子を外に連れてくか?」
「いや、友達だろう? いくら何でも可哀想だ――」
大人たちの相談を聞いてぼくは「すいません、取り乱しました」とようやく言えた。
だって、外に出されたら、七色さんが寂しくてしょうがないだろう?
おとなしくなったぼくの様子を見て大人たちは手を離す。モモは逆にぼくに抱きついてきた。
「嫌だ……こんなの、嘘に決まってるのに」
モモの漏れた言葉を聞いて、ぼくは強くモモを抱きしめた。
「出棺です。皆様よろしいですか」
葬儀屋さんの声で棺が火葬場の中に運ばれていく。ぼくとモモ、そしてゆめ姉は黙って見送った。
何か声をかけておくべきだろうけど、ぼくたち三人は何も言えなかった。
扉が閉まり、火葬が始まる。
ぼくは、ここで七色さんが死んだのだと実感した。
二時間後。
ぼくたちは骨になってしまった七色さんと対面した。
骨壷に、七色さんの欠片が入っている。
「うう、うううううう」
モモが骨を見てまた泣き出した。ぼくはモモを再び抱きしめた。
強く、強く、抱きしめた。
「二人とも、順番だから、箸を持ちなさい」
ゆめ姉の促しでぼくたちは離れ、箸を持ち七色さんの骨を掴んだ。
とても軽くて儚くて。
人ってこんなになっちゃうんだなあ。
「ころくん、ななちゃんが――」
「うん。分かってる」
骨壷に骨を納めるとぼくたちは目を閉じて手を合わせた。
ひたすら無心で祈った。
何かを想えば、胸が張り裂けそうになるから。
全ての骨が納められて、参列していた人々が外に出て行く。
「こころちゃん、さくらちゃん、外に出ましょう」
ゆめ姉にそう言われてぼくは従おうとして外に出ようとしたけど、モモがその場から出ようとしなかった。
「モモ、行こう。七色さんは――」
「なんでこうなっちゃったのかな」
モモはぼそりと言った。別段ぼくに言ってる訳でも独り言を言っている訳でもなく、その中間ぐらいの声量だった。
「あたしたち幸せだったよね。ころくんの脚のことがあったけど、毎日一緒に喋って遊んで。楽しく愉快に過ごしてたよね。誰に迷惑かけたわけでもないのに、誰からも恨みを買うようなことしたわけでもないのに、なんでなんでなんで――」
「モモ……」
「なんでっ! ななちゃんが殺されなきゃいけなかったのっ!」
モモが唸るように怒鳴った。モモが怒ったことはたくさんあったけど、こんなに取り乱して怒ることは初めてだった。
「あたしたち何も悪いことしていないのに!なんでななちゃん死んじゃうの! 悪いのは全部通り魔なのに! 殺されていい理由なんて一つもないのに!」
「モモ!」
ぼくは強引に両肩を掴んで、無理矢理に向き合うように寄せた。いささか乱暴で繊細さに欠けていたけれど、そうでもしない限り、モモは反応してくれなかっただろう。
「こ、ころくん……」
泣き腫らした眼。もう涙が涸れてしまってもおかしくないのに、どんどん溢れてくる。
「モモ、確かに七色さんは悪くない。殺されるような酷いことはしてないし、死んでしまうような非道なこともしていない」
「だったら、なんで!」
「……それは分からないよ」
ぼくははっきりと言った。それを聞いて、モモはとうとう泣き崩れてしまった。
「あたし、ななちゃんに、何かして、あげられないのかな……」
「今、ぼくたちにできることは七色さんのことを忘れないことだ」
ぼくは、モモの頭を撫でながら、できる限り優しい声で言った。
七色さんが骨になるまでに、冷静になって考えていたこと、思っていたことをぼくはモモに言う。
「七色さんはぼくと友達になってくれた。ぼくが陸上で調子に乗っていたときも見捨てなかった。ぼくが脚を怪我したときも見放さなかった。ぼくが馬鹿で葉桜高校に入学するときも一緒に居てくれた」
「…………」
「ぼくは七色さんのことが好きだった。大好きでたまらなかった。心から愛していたんだ。この気持ちは嘘でもないし何物でも誤魔化されない。思い出は色褪せないし、むしろ鮮やかに彩られてる」
「ころくん……」
「楽しい思い出だけではなくて怒ったり泣いたりした思い出もあるけど、それでもぼくは憶えてる。絶対に忘れたりしない。忘れるもんか。だから七色さんは独りじゃない。独りっきりで死んだわけじゃない。ぼくはずっと永遠に七色さんを想い続ける」
そこでモモと眼を合わせた。
「モモもそうだろう? 七色さんのこと本当に大好きだったよね?」
「……うん」
「七色さんと遊んで楽しかったよね?」
「……うん」
「七色さんのおかげで嬉しいことだらけだったよね?」
「うん!」
モモはようやく――笑顔を見せた。
蔭りはあるけど、それでも笑ってくれた。
「さあ、行こう。七色さんに最後の別れをしよう」
「うん。ごめんね、ころくん」
「謝る必要ないよ。ゆめ姉、待たせたね」
「……全然平気よ。さあ行きましょう」
心なしかゆめ姉も涙声になっていた。ぼくはそれに気づかないフリをした。
ドアを開けて火葬場から出る。モモ、ゆめ姉、ぼくの順で出る。
最後に出るとき、ぼくは後ろを振り返って七色さんの骨壷を見た。
さようなら、七色さん。本当に大好きだったよ。
ドアがゆっくりと閉まった。それが七色さんとの別離を表しているようで、なんだか寂しかった。




