福徳小学校の秘密
…死者達の学校?
谷口先生の姿をした男が、愉快そうに笑いながら、そう言っていた。
意味がわからない。
死者達の学校?
ここが?
篠宮少年も黒田先生も沢田先生も、この谷口先生すらも死者だと言うのか?
いや、そんな事じゃない。考えなければいけないのは、そんな事じゃないのだ。
もし仮に、そう、万が一、そうだったとして、この自分はなんなのだ?
私自身も死者なのか?
では、死んだと思っている真琴は、実は生きているのか?
本当は、死んだのが私で、生き残ったのが真琴の方なのだろうか?
では、過去を変えようと、妖を探そうとしているこの行為は、無意味な事なのか?
いや、あり得ない。
ここが、死者達の学校だと言う事自体がまやかしなのだ。思い出せ。邪は、誘惑が得意なのだ。これもその一環なのだ。
だから、惑わされてはいけない。
…本当に?
では、この男が言う父兄と会うイベントがない理由はなんだ?
山校長とは、どうやって知り合った?
空が青い。
蝉の声がうるさい。
いや、今考えなくてはいけないのは、そんな事じゃない。
すぐにでも、昔の知り合いと連絡を取るべきか?
知らないのは私だけ?
なんで?
なんで、私だけが知らないんだ?
他の人は、自分が死んだ事を自覚しているのか?
蝉の声がうるさい。
空が青い。
暑い。
…夏なんだから、暑くて当たり前だ。
…空がうるさい。
…蝉の声が青い。
あれ?なんだっけ?
考えが、上手く整理できない。
『あぁ、わりいわりぃ。
いきなり、そんなん言われたら混乱するよな?』
目の前の男が、愉快そうに笑いながら続ける。
『安心しな。お前はまだ生きてるよ』
生きてる?
私は、まだ生きている?
『時々いるのさ。生きたまま、ここに迷い込む奴が。
この間も、女が一人迷い込んできたばっかだしな』
迷い込む…。
『まぁ、大抵、意識不明の重体ってパターンが多いがな』
「…真琴は?
…真琴は生きているのか?」
『真琴?そんなん知る訳ねぇだろ!
お前が、実際どんな状況かなんて、俺には関係ねぇし』
「意識不明の重体って…、じゃあ、私は何ヶ月も意識不明って事なのか?」
『あ〜、勘違いしてるみたいだから、教えてやるけど、ここと生者の世界とでは、時間の流れが全然違ぇんだよ。
だから、実際のお前がどんだけ転がってるかは、わかんねぇ。
それに、意識不明の重体ってパターンが多いってだけで、実際、お前がそうなのかは、俺にはわかんねぇし、正直、どうでもいい。
ただ、一つ言えるのは、試練を越えれば、そんな状況すらなかった事にできる可能性があるって事だ』
…試練。
そうだ、試練だ。
試練をクリアできれば、過去が変えられるのだ。
もし、真琴が生きているのなら、私が生者の世界とやらに戻ればいいのだ。
仮に、真琴が死んでいるのなら、その死をなかった事にできれば…。
いや、違う。
これも邪の誘惑かもしれないじゃないか?
…
「さっきから、やたら試練を勧めてくるじゃないか?
猿の手の回答にあったよ。
お前は、あらゆる手を使って誘惑してくるって。
ここが、死者の学校ってのも嘘で、私を何かに誘惑しているって可能性もあるよな?
…何が狙いだ?」
不意に邪のニヤニヤ笑いが消える。
無表情で、こちらの様子を見つめてくる。
『…別に。
狙いなんてねぇよ。
ただの暇つぶしさ。
お前が、試練を受ければ、それだけで変化が起きる。
俺は、それを楽しみたいだけさ』
「…なんのために?」
『この学校は、善悪がまだわからない状態で、魂が成熟する前の状態で、死んだ奴に教育を施すための学校だ。
教育を施した上で、生前の罪を自覚させるための学校だ。
そんな学校に縛られて、何が楽しいと思う?
わかるか?永遠とも言える時間を無意味に彷徨うって事がどういうことか!』
邪の声が段々と強くなる。
『猿の手が書いてた?
誘惑する?
そうさ、俺はあらゆる奴にどんどん試練を受けるように誘惑するのさ!
試練に成功して去っていくのも、失敗して妖になるのも、どっちに転んでも、俺にとっては最高の娯楽なんだよ!
退屈なんだよ!
この世界はぁ!』
邪の怒号が響く。
邪の誘惑とは、試練を受けさせようとするという事だったのか…。
…いや、何かおかしい気がする。
なんだ?この違和感は?
…そうだ。猿の手の回答では、魂を堕落させると書いてあったではないか?
試練が魂の堕落に繋がる?
「なるほど、誘惑ってのは試練を受けるように誘惑するって事か…。
ちなみに猿の手の回答には、誘惑して魂を堕落させると書いてあったが、それはどう説明するんだ?」
『…試練に失敗すると、妖化するってのは知ってるよな?』
「…ああ」
『…妖化ってのは、魂の堕落によって起こる現象だ。
さっき、成功して去っていくのも娯楽だと言ったが、ありゃ嘘だ…。
本当は、欲望に溺れて、試練に失敗した人間が妖化するのを見るのが好きなのさ。
あのクソ猿野郎は、その事を言ってんだろうよ』
「…欲望に…溺れる?」
『あぁ、そうさ。
過去を変えたいなんて、最大級の欲望だろうが?
…それにしても、人間ってのは本当、面白いぜ。
ただの欲望を内容によって、夢だの目標だの煩悩だの本能だの…、呼び方を変えて、はしゃいでやがる。
俺からしたら、ぜ〜んぶ同じ、ただの欲望だって言うのに…』
邪が、醜く細められた目で、下品に笑いながら話す。
なるほど。欲望云々は置いておいて、試練に失敗するのを望むのは、それだけ自分が解放される順番が早まるのだから、納得できる。
ならば、あとは猿の手に書いてあったように、上手く契約に持っていければ…。
「…じゃあ、ひとつ私と契約しませんか?」
『契約?』
「そう。
私は、あと我魔と遭遇するだけで、試練を受ける権利を獲得できるところまで来ています。
そこで、我魔と遭遇するために協力してほしいのです。
そうすれば、そちらが楽しみにしている試練を受ける様を見る事ができますよ」
『…だいぶ、落ち着いてきたみたいだな。
乱れていた口調が敬語に戻ってやがる…。
なるほど、俺を利用しようってのか?』
「…いえ、あくまで契約です」
『…』
「…」
『…わかった。
俺も、クソカエル野郎には、思うところがあったんだ。
その代わり、お前の身体を寄越せ』
「身体を?」
『そうさ。
この谷口って奴の代わりにお前の中に入って、カエル野郎のところへ案内して、無事に戻れるようにしてやるよ。
…それと、あのガキ。
ナメクジの奴が寄生している机を使っている、クソガキだ。
カエル野郎を誘き出すには、あのクソガキが必要だ。
だから、あのクソガキを呼びやがれ』
確か、猿の手によって書かれた攻略法では、篠宮少年を始業式の日に、北階段の踊り場に連れて行く事になっていたはず。
「なら、決行は始業式の日でどうでしょう?」
『…決まりだ』
取り憑かれるのは、正直、リスクを感じるが、試練を受けるためだ。
私は、ゆっくりと頷く。
それを見て、満足そうに笑った谷口先生が口を大きく開ける。
ドドドドドッ。
その口からヌメヌメした粘液を纏った黒い蛇の大群が勢い良く飛び出す。
その蛇は、そのまま地面に着地すると、一つにまとまり、一匹の巨大な大蛇へと姿を変えた。
大蛇は、舌をチロチロと出しながら、こちらを真っ赤な眼で見つめてくる。
その背には、蝙蝠の羽のようなものが一対付いており、まるで西洋の悪魔のような出で立ちだった。
そして、そのままこちらに飛びかかってくる。
喰われる!?
両手を顔の前に構えて、目を閉じる。
…が、何も起きない。
恐る恐る目を開けると、目の前に大蛇の姿はなく、谷口先生が倒れているだけだった。
『…確かに身体は頂いたぞ』
自分の口から、意図せぬ声が出る。
直感的に取り憑かれた事が理解できた。
もう、後戻りは出来ない。
鬼が出るか、蛇が出るか。
まぁ、蛇はすでに出てる訳なのだが…。
とりあえず、谷口先生に駆け寄る。
心音を確かめる。
よかった。生きてる。
谷口先生の頬を叩く。
「…溝…口先生?」
「谷口先生、大丈夫ですか?」
私は、憔悴しきっている谷口先生を担ぎ、職員室へと向かった。




