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擬態   作者: さとちぃ
3/3

 トントントン……


 リズム良く階段を下る足音に耳を澄ませながら、僕はそっと目を閉じた。

 脳裏に浮かぶのは、まだ小学五年生の、初めて会った時の北斗。


 今日北斗に向かって「四年も前の事なんて、よく覚えてマスネ」なんて言った僕だが、実は僕の方こそ今でも鮮明に覚えていた。あの時は寝起きの北斗があまりにも幸せそうに笑ったから、照れた僕は格好付けて、さも呆れたような素振りをしてみせただけだ。


 小学五年生の一学期初日。突然声を掛けられて驚き、振り返った先の、一つ後ろの席に座っていた、北斗。

 桜色の頬。きらきらと輝く大きな瞳。顎の下で切り揃えられた艶やかな短めの髪は、北斗が顔を傾けると、同じ方向にさらさらと流れる。

 話し方も、髪型も、服装も、一見男の子と間違えてしまいそうなほど、さっぱりとしていたが。顔立ちを良く見れば、その子は間違いなく女の子だった。声は鈴を転がすように涼やかだし、机の上に置かれたランドセルは、赤い。


「あのさ、なんか、つまんないの?」


 北斗の話し方や容姿にも多少面食らった僕だが、何よりも驚いたのは、掛けられた言葉の内容だった。そんな事を言われたのは、初めてだったのだ。


 僕は、どうやら同じ年代の子供達と比べると、随分大人びた精神の持ち主であるようだった。

 他の子供達が面白いと思ってやっていることが、僕にはあまり面白いと思えない。


 砂場を水でドロドロにして、団子を作る。服も靴も泥だらけではないか。洗濯が大変である。

 新聞紙を丸めて剣を作り、チャンバラごっこ。武器を持って争うとか、何事だ。あとそんな叩かれたら、痛い。

 椅子に座って、先生の話を、聞く。このような簡単な事を、なぜあの子もその子も出来ないのか? なぜずっと喋る。なぜずっと走る。意味がわからない。


 ……まあ、幼い頃からそんな事を頭の中で常に考えているような子供だった。しかしそれを口に出しては言わない方が良い、という事はなんとなく本能的に悟っていた。もしそんな事を言ってしまえば、おそらく大人からは「可愛くない」と言われ、友達からは「むかつく」と思われ、異端児扱いされてしまうであろう。


 だから僕は常によそおっていた。笑顔が「可愛い」子。聞き分けが「良い」子。友達に「優しい」子。

 僕は僕がどのように振る舞えば周りが喜ぶのかを心得ており、それを実践できる要領の良さは持ち合わせていた。それを先程北斗が「擬態しているみたい」と例えてみせたが、全くその通りだ。

 僕は自分の存在が「異端」として弾かれないように身を守る為、「良い子」に擬態して社会や集団に溶け込んでいた。


 つまり初めて会ったあの瞬間北斗は、誰も気付かなかった僕の完璧な擬態を、一瞬で看破したのだ。

 北斗は、合理的に物事を捉える僕と違い、感性が豊かで、直感で本質を捉えるところがある。

 僕は、北斗の目を通した感性豊かな世界の話を、北斗の口から聞くのが、今でも好きだ。


「なんか、つまんないの?」

「ホントに笑ってないなぁ、と思った」


 ……全部、その通りだったから。それを言い当てたその子が何者なのかを知りたくて。気が付いたら名前を尋ねていた。その子はとても嬉しそうに名前を教えてくれた。


「俺は、ほくと。五十嵐 北斗だ! よろしくな、洋海」


 僕は北斗の一人称が「俺」だった事に衝撃を受けてしまい、ポカンと口を開けた。


「洋海、俺の話し方はちょっと変わっているがな。まあ、細かい事は気にすんな。これからクラスメートとして、仲良くやっていくんだからなっ。慣れろ慣れろ」


 北斗の言動はことごとく、僕の予想を超えていて。北斗の全てが新鮮で。思わず吹き出した。笑いを堪えるのに必死、という経験をしたのは、生まれて初めてだった気がする。そんな僕に、北斗は更に凄い事を言った。


「ホントに笑ったな、洋海」

「俺、ホントに笑った洋海の顔、好き」


 北斗はそう言って、ニカッと満面の笑みを浮かべた。


 僕は、なんだか泣きそうになった。

 僕が、ホントに、笑えていた?

 心から笑う、という事が、まだ僕にも出来たのか。

 僕自身でさえ知らなかった。


 北斗と出会って、僕はホントに笑う、という事を思い出せた。そしてそんな僕を、北斗は好きだと言う。

 嬉しかった。僕も、北斗の屈託の無い笑顔が、好きだと思った。そして差し出された右手を握り返して、僕は密かに誓いをたてた。


 握り返した北斗の、柔らかくて温かい、小さな手。

 僕は、この手を、離さない。

 これから先、ずっと。

 たとえこの手の感触が、変化していく事になるとしても……


 そして、変化は訪れる。望むと望まざるとに関わらず。



 ***



 あれは中学一年生の冬。

 その日僕は不特定多数の女子から貰ったチョコなるものを、せっせとゴミ袋に詰めていた。単なるお菓子メーカーの商戦に毎年日本中が踊らされているようだが、僕にとってはひたすら鬱陶しいイベントだ。

 珍しく突然訪ねて来てその光景を目撃した北斗は、何やら心が折れたらしく。キョドキョドと不審な動きをし始めた、のを、僕は見逃さなかった。


「北斗。その、後ろに隠したの、何」


 僕がやんわりと尋ねると、北斗はぎくっと強張った後、しどろもどろになりながら、語り出した。


「 いや、あの、やっぱさ。せっかくのイベントだからさ。俺も、花の十代女子の端くれだし、例え義理でも、誰か男子にチョコを渡してみる、という、醍醐味を味わってみようかなー、とか思ってさ。ハハハ……。でも別に、どうしても渡したい、とかじゃねーから。俺、チョコ好きだし、自分で食べてもいいし……」

「欲しい。ちょうだい」


 僕は食い気味に言葉を返していた。そりゃそうだろう。あり得ないと思っていた事が、今ここで、起きたのだから!


 ……マジで? マジなの?

 あの、北斗が……?

 五年生、六年生と、女子よりも男子とつるみ、女子的イベントなんぞ全部スルーしていた、北斗が?

 初めて、僕に、チョコを、くれると……?


 僕は北斗が背中の後ろに回していた手の中からチョコの箱をスッと抜き取り。あわあわしている北斗を尻目に、綺麗に施されていた箱のラッピングを、解く。

 現れた六個入りチョコレートの一粒を摘んで、パクリと口に入れた。


「美味しい」

「甘いもの、苦手じゃなかったのか?」


 おや、そういえば、そうだった。でも……ホントに美味しい、というか、めっちゃ嬉しい。嬉しいから、美味しい。

 なんということだ。

 頭の中が薔薇色に染まってしまったのは、生まれて初めての経験かもしれない。今の僕なら毎年お菓子メーカーの商戦に踊らされている日本中の若者の気持ちが、激しくわかる。

 わかってしまう。

 なんだろう……自分にとって特別な人が、僕の為に品物を選んでくれたのだな、とか、例え恋愛感情では無いにしても僕に好意を示してくれたのだな、とか……考えると赤面する程嬉しい。そうか。こういうことだったのか。


 それまで無味無臭というか、モノクロでしかなかった世界が、北斗を通すと鮮やかに色を帯びる。いつだって北斗は僕の、生の感情を呼び覚ます。僕は隣で何度もそのような思いを味わい……救われるような心地を覚えてきた。


 六個入りのチョコレートは瞬く間に空になった。

 北斗はもぐもぐとチョコを咀嚼する僕を見て、少し複雑そうな顔をしていたが、やがて遠慮がちにへへへ……と微笑んだ。


「何?」

「うん。……なんかさ、ゴミ袋に突っ込まれたチョコ達や、渡してくれた女の子達には、何やら申し訳ない気もするんだけど、でも、」


 北斗は頬を桜色に染め、きらきらした瞳を僕に向けて、あでやかに笑った。



「洋海が俺のチョコだけを食べてくれた事が、嬉しい」



 ゾクリ、とした。



 北斗は、明らかに無自覚であろうが、おそらく出会って以来初めて、僕に女の顔を覗かせた。

 その顔を垣間見た僕に芽生えてしまったのは、歓喜と……情欲。


 北斗を愛しいと思っているのに、征服してしまいたいような。大切にしたいと思っているのに、組み敷いてしまいたいような。捕まえて、食べてしまいたい、捕食者の感情。


 ゾクリ。


 しかし僕は本能的に悟った。もしこの感情を北斗に気付かれたら、きっと、「危険」と認識され、北斗の隣から弾かれてしまう。北斗に拒絶されることを想像しただけで、僕は恐怖してしまうのだ。

 北斗を失う。それは僕にとって、世界が色を失うことと同義だった。僕に芽生えたこの感情は、まだ、絶対に気取られてはいけない。

 僕はあの日、それを肝に銘じた。



 ***



 トントントン……


 階段を上がってくる、リズム良い足音が聞こえ。

 僕は静かに、目を開けた。



 僕は今も、慎重に、擬態する。

 無害で優しい幼馴染に。

 擬態の中には攻撃擬態、というものもあるのだ。

 自然や生物に溶け込み、自分の身を守る為だけでは無く、獲物に接近する為の、擬態。

 捕食者が被食者を捕らえる為の、擬態。


 北斗はまだ、変化を望まない。

 幼馴染という殻を大切に守り、そこから先には踏み出さない、さなぎ。しかし望むと望まざるとに関わらず、僕たちは変化する。


 少年と、少女から。

 男と、女へ。

 僕は今はまだ、待っている。

 君が羽化する、その時を。



 静かに目を開けた僕は、自分の右手を持ち上げて、じっと見つめた。


 いつかまた、あでやかに笑う美しい蝶に出会えたなら。

 その時は、この手で捕らえるだろう。

 僕はその手を、離さない。

 それから先、ずっと……


「洋海、おっ待たせー!」


 ガチャっとドアが開き、トレーを抱えた愛しい幼馴染みが、ニカッと満面の笑みを浮かべたのを見て……


 僕も柔らかく、微笑んだ。



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