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幕間 アルフェン高等技能院と、ある推薦試験

お読みいただきありがとうございます。


今回は幕間です。視点はリオではなく、学園のとある教師になります。

 アルフェン高等技能院について、少し説明しておきたい。

 王都の北の丘に建つこの学園は、大陸でも指折りの名門である。剣術、魔法、契約術、魔導具、神聖・医療をはじめとする八つの学科を擁し、卒業生は騎士団、宮廷魔導師、ギルドの上層、大商会と、国の背骨に散っていく。

 建学の理念は「身分ではなく、才能を拾う」。

 理念は、半分だけ本当だ。実際の生徒の多数は貴族と富裕層の子弟である。それでも毎年、平民から幾人かの才能が拾われる。各家が子を入れたがるのは教育のためだけではない。ここで結ばれた同窓の縁は、生涯の財産になるからだ。つまるところ学園とは、国の未来の人脈が最初に編まれる場所なのである。

 入学の門は三つ。一般試験、家格推薦、そして一芸推薦。

 最後のものが、一番狭い。学力も家柄も問わない代わり、たった一つの技能で試験官全員を黙らせる必要がある。他が全滅でも、その一芸が本物なら通る。逆に言えば、疑問符が一つでも付けば落ちる。

 テイム術の一芸推薦なら、通例の目安ははっきりしている。

 大型一体。契約量にして十。

 大型のうち、飛行種や特異な力を持つ希少種は特殊大型と呼ばれ、換算はさらに上、慣例では十五と見る。いずれにせよ、要は「連れている獣を見れば分かる」世界だ。獣が名刺であり、履歴書である。

 私、契約術科のドレンが、この話を書き残しておこうと思ったのは――一年前の推薦試験で、名刺も履歴書も持たない受験生を見たからだ。


     ◇


 その年のテイマー推薦の控えは、近年まれに見る顔ぶれだった。

 まず、中庭に嵐鷲がいた。

 翼を畳んでなお馬より大きい、灰青の猛禽。特殊大型である。傍らに立つ受験生――ヴァンスと名乗る少年は、騒ぎもせず、鷲の羽繕いを黙って手伝っていた。獣が落ち着いているのは、主が落ち着いているからだ。良い手だと、ひと目で分かった。

「特殊大型の嵐鷲。飛行種を十五で御してみせるか。末は騎士団の空だな」

 同僚の試験官が上機嫌で言った。

 実技でも、ヴァンスは見事だった。

 少年は嵐鷲の背に飛び乗ると、中庭から一直線に空へ上がった。狙うのは演習場の吊り標的である。急降下、切り返し、また急降下。鷲が翼を絞って旋回するたび、その背から魔法の光弾が放たれ、標的を次々に打ち抜いていく。並の乗り手なら最初の切り返しで振り落とされる機動だ。だがヴァンスは鞍も掴まず、まるで自分の背中で飛んでいるかのように、ただそこにいた。

 人と獣の呼吸が、完全に揃っていた。ああいうものは、試験前の付け焼き刃では作れない。毎日餌をやり、羽を繕い、同じ空を飛んできた時間だけが作る動きだ。

 降りてきた鷲は羽一枚乱しておらず、着地するなり、大きな嘴でヴァンスの髪を一度だけ梳いた。

「従魔を増やす気は?」

 審査席の問いに、少年は少し考えてから答えた。

「ありません。こいつ以上に手をかけたい相手が、いないので」

 一体を深く、という古い流儀である。審査席から、拍手さえ出た。

 その次が、栗色の髪の少女だった。

 小型の魔物を十匹、寸分の乱れなく整列させている。鼬が二匹、亀、丸い鳥――実技では、目隠しをした試験官の懐から鍵を抜き取る鼬、床下に隠した鈴を振動だけで探り当てる亀、と一匹ずつ役目を披露させた。一匹ずつの説明が早口になりすぎるきらいはあったが、十匹が十匹とも、仕事を持っていた。

「小型十で契約量十。数え方の変わり種だが、あの世話の質と統率は本物だ」

「特殊大型に、小型十の秀才。今年のテイマー科は豊作だな。安泰、安泰」

 試験官たちの間に、そういう緩んだ空気が流れていた。

 最後の受験者が呼ばれるまでは。


「次。リオ・アルクス」

 入ってきたのは、眠そうな目をした痩せた少年だった。

 従魔は、いない。

 一匹も、いない。

 書類をめくった試験官の一人が、眉をひそめた。

「……契約量、ゼロ?」

「記載の通りです」

「従魔は。まさか外に待たせているのか」

「いません」

「ではどうやって実技を受けるつもりだ」

「規定に、代替課題があると聞きました」

「……調べてはいるのだな」

 試験官は書類を先へめくり、手を止めた。

「経歴が、ほぼ白紙だが」

「人には色々あります」

「色々、では審査できん」

「孤児です。田舎の出で、今は王都で働きながら住み込みをしています」

 淀みのない答えだった。淀みがなさすぎて、それ以上、誰も踏み込めなかった。

「後見人は――グラント・ヴェイル。王都の、人材派遣業?」

 誰も知らない名前だった。少なくとも、試験官の席では。

 ただ一人、上座の学園長だけが、その名を目にして手を止めた。老眼鏡の奥の目が、書類と少年とを一度ずつ見て、それきり何も言わなかった。

「学園長。これは書類の段階で――」

「実技は、受けさせなさい」

 それだけだった。

 推薦状にも同じ署名があった。私も後で読んだが、文面は簡素で、大仰な売り込みは一行もなかった。ただ最後に、こうあった。

『本人は眠そうにしていますが、起きています』

 推薦状に書くことか、それは。


     ◇


 問題は、実技だった。

 従魔がいない以上、通常の披露はできない。規定では、学園所有の試験用魔物を一体、制御してみせる代替課題がある。

 そのはずだった。

「規定の一体では、判じようがありますまい」

 そう言い出したのは、フェルモ教諭である。貴族派の重鎮で、一芸推薦そのものを快く思っていない男だ。

「契約量ゼロの受験生など、前例がない。前例がないなら、試験の方を合わせるまで。――厩舎へ」

 フェルモ教諭が受験生を連れて行ったのは、学園厩舎の大型区画だった。

 私は正直、耳を疑った。

 あの区画は、ここひと月、荒れていた。五頭いる大型が揃って気を立て、餌の食いは落ち、房の柵は蹴られて三度直した。厩務員ですら奥に入れず、原因も分からない。一番ひどいのは灰嵐狼だ。ただでさえ学園厩舎きっての暴れ者が、輪をかけて手が付けられなくなっていた。

 試験に使っていい場所ではない。誰が見ても、落とすための――いや、辞退させるための課題だった。

「一刻後に見に来る。それまでに一頭でも静かにできていたら、審議の席には載せてやろう」

 真っ先に声を上げたのは、試験官ではなく、厩舎の職員だった。

「そんな馬鹿な! 無理ですよ、あの区画は! ここひと月、私らでも奥に入れないんだ。怪我じゃ済まないですよ!」

「だから試験になる」

 フェルモ教諭は取り合わなかった。マリウス教官も顔色を変えて抗議したが、規定の隙を突かれた形で、その場は流れた。

 職員は食い下がるのを諦めると、今度は受験生の方へ向き直った。

「……なあ、坊主。無理なら辞めときな。怪我するよ。試験なんかより、体の方が大事だ」

「大丈夫です」

 受験生は、眠そうな目のまま頷いた。

「戸だけ、静かに閉めてもらえますか」

 それが、戸が閉まる前に聞いた、最後の言葉だった。

 待つ間のことも、書いておく。

 私たちは厩舎の脇にある職員の詰所を借りて待った。職員は持ち場だと言って、一人、厩舎の戸口に残った。フェルモ教諭は落ち着き払って書式の話をし、マリウス教官は詰所の窓辺で腕を組んだまま、厩舎から目を離さなかった。

 建物からは、大型の唸りが折り重なって響いていた。時折、柵を蹴る鈍い音。あの中に、丸腰の受験生が一人。私は正直、審査より先に、事故の報告書の書き方を考え始めていた。

 四半刻ほど過ぎた頃だったと思う。

 唸り声が、一つ、消えた。

 誰も何も言わなかった。ただ、フェルモ教諭の書式の話が、止まった。

 しばらくして、もう一つ消えた。それから、また一つ。

 静けさというものは、増えるほどに大きくなる。最後の一つ――ひときわ低い、灰嵐狼のものだろう唸りが途切れたとき、詰所にいた全員が、音のなくなった厩舎を見ていた。

「……逃げ出して、静かになっただけかもしれませんな」

 フェルモ教諭がそう言ったのは、たぶん、そう言うしかなかったからだ。

 一刻が、過ぎた。

 私たちは連れ立って厩舎へ向かった。フェルモ教諭は既に、審議の書式から当該受験者の欄を外す算段を口にしていた。

 厩舎の戸口で、厩務員が待っていた。

 男は私たちを見ると、何も言わず、唇に指を立てた。

「――お静かに」

「なんだと?」

「お静かに、お願いします。……ひと月ぶりに、眠れたんです」

 戸が、細く開けられた。

 大型区画の房の戸は――全部、開いていた。

 五頭の大型が、思い思いの場所で眠っていた。壁際に二頭、寄り添って一頭、風の通る戸口の近くに一頭。どの寝息も深く、長い。ひと月、この建物に満ちていた唸り声は、どこにもなかった。

 そして、区画の一番奥。

 灰嵐狼が――あの暴れ者が、床に長々と伸びて眠っており。

 その灰色の脇腹を枕に、受験生が、眠っていた。

 誰かの喉が、ひゅっと鳴った。フェルモ教諭だったと思う。

「て……テイムも、していない魔物を、枕に……」

 正気ではない。

 私も、そう思った。契約もない大型の、それも最悪の暴れ者の腹の上で眠るなど、正気の沙汰ではない。獣がひと呼吸で首を落とせる距離だ。

 だが灰嵐狼は、少年の重みなど元からそこにあったもののように、静かに寝息を立てていた。

 厩務員が、小声で語ったところによると――こういうことらしい。

 少年は区画に入ると、まず端から端まで、ゆっくり一往復しただけだった。それから戸口に控えていた厩務員を呼び、ひと月前に何か変えたかと聞いた。新入りの大型を一頭、空いていた風上の房に入れた、と厩務員は答えた。

「なら、それです」と少年は言ったそうだ。

 知らない獣の匂いが、ひと月、寝ている間も全頭の鼻に流れ込み続けていた。眠りが浅くなる。浅い眠りがひと月続けば、人でも獣でも気が立つ。五頭は凶暴になったのではなく、ただの、寝不足だった。

 少年は房替えと風窓の開け方を指示し、最後に房の戸を開けさせた。厩務員が危険だと止めると、少年はこう言ったという。

「眠る場所くらい、自分で選ばせてやってください」

 戸を開けられた五頭は、争いもせず、それぞれ勝手に居場所を選んで、順に沈むように眠った。少年は一番寝付きの悪かった灰嵐狼のそばに残り――そのまま、自分も寝てしまったらしい。

「起こしますか」

 と厩務員が聞いた。

 誰も、答えられなかった。


     ◇


 合否の審議は、荒れた。

「契約できぬ者はテイマーに非ず。契約術科の看板に関わる」

 口火を切ったのは、やはりフェルモ教諭だった。筋は通っている。契約量ゼロは、事実だからだ。

 それに答えたのは、マリウス教官だった。

「ひと月、誰にも鎮められなかった厩舎だ。それを、素手の受験生が一刻で寝かしつけた。――フェルモ教諭。現場で隣に欲しいのは、どっちです」

「騎士団流の、乱暴な問いですな。教官殿」

「乱暴な試験を課した方に言われたくはありませんが」

 場が、ざわついた。

 面白いもので、口を開く者ほど慎重論に回り、黙っている者ほど、あの厩舎の静けさを思い出している顔をしていた。私はと言えば、後者だった。契約術の教師として、契約量ゼロの合格に筋を通す理屈を、私はまだ持っていなかった。ただ、唸り声が一つずつ消えていった、あの四半刻のことを考えていた。

 票が割れかけた、そのときだった。

「――待たれよ。順番が違う」

 フェルモ教諭が、手を挙げて場を制した。

「あの課題を出したのは私だ。ならば、結果を判じる資格もまず私にある」

 静まった席を見回して、老教諭は続けた。

「一頭でも静かにできれば審議に載せる。私はそう言った。結果は、五頭だ。……私は、自分の出した試験の結果を曲げるほど落ちぶれてはおらん」

「では、フェルモ教諭」

「賛成に入れる。一芸推薦とは本来、ああいう規格外のためにある制度なのだろう。制度は今でも気に食わんが、規格外は本物だった。それだけのことだ」

 言い終えると、老教諭は忌々しそうに付け加えた。

「ただし、あの試験のやり方は二度と使わせん。代替課題の規定は、私が書き直す」

 議論は、そこで終わった。残っていたのは、上座の承認だけだった。

 学園長は、例の簡素な推薦状をもう一度だけ眺めて、言った。

「合格とします。……この推薦状を、無下にはできませんから」

 誰の、とは言わなかった。

 私も、聞かなかった。聞いてはいけない気が、なんとなく、したのだ。


     ◇


 ――以上が、一年前の記録である。

 あの日の受験生たちは、揃って本学の生徒になった。ヴァンスの嵐鷲は今も演習場の空を回っているし、栗色の髪の少女は、聞くところでは例の眠そうな生徒と同じ班で、毎朝その襟を直してやっているらしい。

 フェルモ教諭は、今でも一芸推薦の制度そのものには反対の論陣を張っている。ただ、翌年から代替課題の規定は隅々まで綺麗に書き改められた。起草者は、フェルモ教諭である。

 当の生徒は今日も、私の講義の三列目で船を漕いでいる。実技の契約実績は、いまだにゼロ件のままだ。

 ただ、一つだけ付け加えておく。

 あの日以来、厩舎の大型たちは、あの生徒が近くを通るたびに、柵に鼻先を寄せて機嫌よく鳴く。灰嵐狼に至っては、腹を見せて寝転がる。

 名刺も履歴書も持たない生徒の評判を、獣たちだけが、正しく知っているのである。

【後書き】

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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次回もよろしくお願いいたします。

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