第76話 十三番窓口の十一番
お読みいただきありがとうございます。
最終話です。
それからの半年は、静かに過ぎた。
冬の帳場は繁盛して、詰所には新入りが二人増えた。ノアは獣舎の主任代理になって、一年に決まりを教える声が年々誰かに似てきた。セナの獣医師会入りが決まり、十二匹は王都に残ることになった。カイルは騎士団の誘いを三つ並べて、一番強いやつがいる所へ行くと宣言した。ホムラの返事は「飯が出るなら、どこでもいい」だった。
エルムの商会はルヴィナとの定期航路を開き、テッサの工房には弟子が二人入った。瓦版は相変わらず窓口を書き立てたが、書かれるのはもう良いことばかりだった。
そして、春が来た。
◇
卒業式は、晴れた。
講堂で名簿を読み上げる臨時司書の声は、いつも通り眠たげだった。読み終えた白紙先生は、証書の束を几帳面に揃えながら小さく言った。
「……静かに、卒業していきますね。あの学年が」
「静か、ですか」
隣の教官が聞き返した。瓦版と審問と、あれだけ王都を騒がせた学年だ。
「ええ。学園の中では、最後まで」
それは、そうだった。契約量の欄が三年間ゼロのまま卒業していく生徒は、最後の最後まで居眠りの名人でしかなかった。
「あれは結局、何だったんですかな」
「さあ。……獣に好かれる体質、だそうですよ」
首席の答辞は、セナだった。壇上のセナは一度だけ、下から三番目の席の方を見た。見られた方は、起きていた。三年で一番大事な日くらいは、起きていると決めていたらしい。
教官たちの会話を、窓の外の春風が運んでいった。
◇
その夜、帳場に全員が揃った。
ガルドとネムとバルカ。リッツにミラ、シェラに翁とハインツ。白紙先生が司書の顔のまま隅に座り、ラウルは黒い楽器箱を壁に立てかけた。受付の事務員も算盤方も詰所の連中も、階段まで溢れている。
卒業祝いだと聞かされていた。
酒と大皿が並ぶ前に、グラントが手を上げて場を鎮めた。
「先に、仕事の話をする」
帳場の主は、戸棚から古い台帳を出した。
窓口の、番号の台帳だった。
「ナンバーズの席の話だ。……リオ。お前には今いるのは一番から十番までの十人、と教えてきた。嘘じゃねえ。だが、全部でもねえ」
台帳が、開かれた。
「席は、本当は十二ある。十一番と十二番は、十年前のあの夜から空いたままだ。この二つだけは、誰にも回さねえと決めていた。……誰も座れねえ席だったからだ」
帳場は、静まり返っていた。
古参たちは、全員知っている顔だった。知っていて、十年黙っていた顔だった。
「十一番、エマ・アルクス。十二番、ヨナス・アルクス」
グラントは、空白の二行を指でなぞった。
「で、だ」
顔が、上がった。
「十一番。……お前のお袋の席だ。継ぐ気は、あるか」
リオは、台帳を見た。
母の名前の載っていた行と、その下の空白を見た。
一拍だけ、置いた。
「一つ、確認が」
「なんだ」
「番号をもらっても、まかないは出ますか」
帳場が、爆発した。
バルカが腹を抱えた。ネムが歌うように笑って、ガルドが膝を叩いた。グラントは天井を仰いで、それから笑いの残った声で答えた。
「出る。倍にしてやる」
「なら、受けます」
笑いが、拍手に変わった。
壁際で、ラウルが黒い箱を開けた。
「……祝いの楽は、初めて弾く」
葬送の楽師が祝いの席で弾くのを、この帳場の誰も聞いたことがなかった。流れた一節は送りの曲と同じ弦から出て、まるで違う色をしていた。
グラントは筆を取って、台帳の空白に書き込んだ。
――十一番、リオ・アルクス。
名前を書く欄のある帳面に、名前が載った。それをリオは、奇妙に長いこと眺めていた。
◇
「それと、もう一つ」
宴が始まる前に、グラントは懐から薄い帳面を出して卓の上を滑らせた。
商業ギルドの、預け帳だった。表紙にリオの名前がある。
「お前の給金だ。……学生バイトの手当の、残り全部」
「残り?」
「依頼料だ。覆面の仕事の分は、学生の相場を超える。超えた分は、全額ここに積んできた。十五の春からの、全部だ」
リオは預け帳を開いた。
開いて、最後の頁の数字を見て止まった。
覗き込んだ詰所の連中が、順に凍っていった。
「……おい、桁」
「待て待て待て、俺の店が三軒買える」
「三軒どころじゃないわよ。王都の一等地に家が建つわ。庭付きの」
「一生遊んで暮らせるぞ、これ」
騒ぎの真ん中でリオは預け帳を閉じ、しばらく考えて、言った。
「……飯には、困らないですね」
帳場が、二度目の爆発をした。
「家が買えるんだよ!」
「一等地がな!」
「感想がまかないの延長なのよ、この子は!」
ひとしきり笑われたあとで、グラントが言った。
「家でも土地でも、好きに買えばいい。……だがまあ、どうせお前のことだ」
「はい。飯は、ここで食います」
「知ってるよ」
乾杯の声が上がって、宴が始まった。
燭台の上で、あかりが宴の間じゅう一番明るく灯っていた。
◇
後日、リオは一人で南へ行った。
夏の初めの村の跡は、緑が濃かった。石碑の周りの草は刈られたばかりで、供えられた花が新しかった。広場の井戸の跡のそばでは、鹿が脚を畳んで眠っている。
石碑の脇では留守番の灯りがまだ小さく灯っていて、ポケットから出たあかりと音のない挨拶を交わしていた。
リオは石碑の前に膝をついて、手を合わせた。
「……十一番、もらいました」
風が、葉を鳴らした。
「母さんの席、借りてます。……親父の席は、空けてあります。いつか、座るやつが来るまで」
池の面で、水音が一つ跳ねた。機嫌のいい水音だった。
報告は、それで全部だった。
帰りの坂で、リオは一度だけ振り返った。足に残った癖の通りに。夕日はまだ高くて、石碑と池と緑の村が明るい光の中にあった。
――王都の十三番窓口には、新しい十一番がいる。
依頼があれば夜を走って、糸を結び、誰も死なせない。依頼がなければ、帳場の隅の定位置で。
今日も、良く眠る。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
「一体契約のテイマーと十三番窓口」、これにて完結です。
リオと十三番窓口の物語に、長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました。
ブックマーク、評価、感想のひとつひとつが、この物語をここまで運んでくれました。心からお礼申し上げます。
それでは、また別の物語でお会いできますように。




