♯10 エピローグ 家族の肖像
次にエミッタが目覚めた時、外は既に真っ暗で、少女はふかふかの寝藁の上に横たえられていた。藁の上には白いシーツが敷かれてあり、壁の区切りもやっぱり白いシーツだった。
月明かりはまるでなく、あるのはぼやけた魔法の明かりのみ。
エミッタが上体を起こすと、少女の脇に鼻を寄せて眠っていたルシェンが、眠そうな声で寝言を言った。エミッタも万全とは言い難かったが、疑問や不安の方が大きかった。
ここはどこで、父親達は大丈夫だったのだろうか?
眠ったままのルシェンを抱え、エミッタは寝床を出た。いつの間にか少女は寝間着で、うなじの焦げ付きもかなり和らいでいた。少し身体を動かして、調子を確認してみる。
その後部屋を見渡すが、小さな部屋には他に人陰はなかった。
「ここはどこかしらね。どこに行けば、みんなと会えると思う?」
眠ったままのルシェンに語り掛けながら、エミッタは扉のついていない戸口から外の廊下を伺う。廊下はそれこそ真っ暗で、どこに続いているのかすら分からなかった。あきらめて、部屋で大人しくしていようと思い始めた頃、暗い廊下を光が近付いて来た。
でもその光、ヨタヨタと危なかしく揺らめいているのは何故だろう?
「何だ、もう起きてたの? レ・グリンが呼んでるわ……これ持って」
「コルフィ……みんなは……お父さんはどこ?」
コルフィは面倒臭そうに、光のともった短いワンドをエミッタに押し付けると、そのまま少女の頭に着陸した。何故、そんな所に……?
エミッタは戸惑うが、強く文句を言えるほど元気は回復していない。
「コルフィ……教えて! 怪我をした人だっているんでしょ? 大丈夫だったの?」
視界にいない者と話すのは、どうもいつもと勝手が違う。つい大声になったエミッタは、深夜である事を思い出し、慌てて声量を落とした。
「魔物に襲われて倒れてた人達は、そのまんま倒れてるわ。治癒の魔法を使うのに、みんな大忙しだったわ……私を含めてね。ユーシューって辛い……」
なるほど……彼女が疲労しているのは、そのためなのだろうか。少しだけ感謝しながら、エミッタはチビの妖精に行く先を尋ねた。
真直ぐと答えが返って来たので、取りあえず直進。
「お父さんは……レ・グリンと一緒にいるの?」
「そうよ……リーファメラ様が大事なお話をするから、アンタも起きてたら連れて来いって」
母親……! そう言えば、復活の魔法は成功したのだろうか? エミッタは途端に早足になり、その結果、薄暗く不馴れな廊下で転びそうになった。
コルフィが頭の上から転げ落ちそうになって、少女に文句を怒鳴り散らした。いい迷惑なのはエミッタの方で、妖精が落ちまいとして髪の毛を思いっきり引っ張り、エミッタは悲鳴をあげる。
それから先は言い争いに発展し、お互いに悪口を言い放題の状況に。賑やかな一行は、いつの間にかレ・グリンの部屋に辿り着いていた。
ルシェンも、さすがの騒々しさに目を覚ましてエミッタに加勢している。
「エミッタ……少し静かにしなさい」
「お、お父さん……!」
エミッタは思わず赤くなって黙り込むと、少女につられて妖精に吠え立てていた仔ドラゴンの口もついでに塞いだ。コルフィはもちろん、無責任に仲間の元へと飛び去って行く。
レ・グリンの部屋も薄暗く、父親の他にはこの塔の主人であるレ・グリンと、妖精達しか姿が見えなかった。話があると言っていた、母親はどこだろう……?
幼い妖精のコットンが、元気にエミッタの元へ飛んで来た。エミッタは、この妖精だけは素直で大人しくて好きだった。命の恩人でもある事だし……。
後で、ビーズの首飾りを忘れずにプレゼントしよう! エミッタは心の中で誓いを立てた。
コットンが少女の肩に腰掛け、花の咲いた魔方陣を指差した。ルシェンは、自分より遥かに大きなドラゴンを目の当たりにして驚いてるふうだ。エミッタは微笑みながら父親に近付いて行き、皆が注目している魔方陣を見つめた。
今から一体、何があると言うのだろう……?
「エミッタ、体の具合はどうだ? レ・グリンによると、過剰な魔力の放出が原因だそうだが……」
「うん、もう平気。それより私、冥界ってとこでお母さんに会ったよ! それで……お父さんがピンチだったから、一緒に助け出そうって」
自分の都合の悪い所は勝手に省略しながら、エミッタはそう父親に告げた。願わくば、母親も父親には黙っていてくれますように……。
「さっき妖精の伝言が届いたが、どうやら今年中の転生は無理のようだ……。俺達を助け出すのに、予定外の魔力を使い過ぎたらしい。話だけはしたいから、こっちでゲートの調整をしてくれるように、レ・グリンに言付けていた」
「お話……お話だけしか出来ないの?」
エミッタはがっかりして、父親を見つめた。その思いは、恐らく父親の方が何倍も強いだろうが。しかし父親は、どことなく穏やかな顔立ちのようにエミッタには見受けられた。
少しそわそわしているのは、十年振りの母親との再会に緊張しているからだろうか。
「そろそろゲートを開いていいかなぁ……? 何が出て来るか分からないから、注意してね。失敗しても怒っちゃ嫌だよ、ルース?」
「怒らないから、早くしろ……」
念のためにと魔剣を抜き放った父親が、直立不動でそう返答する。エミッタは父親の後ろに避難しつつも、二人のやり取りを興味深く聞いていた。
レ・グリンが呪文を唱え始め、妖精達が彼のサポートにと、慌ただしく宙を飛び交う。妖精達の指揮はケーナと名乗った妖精が行っており、コルフィの姿は見えなかった。
コットンも、エミッタの肩の上で完全に見学に回っている。
やがて、レ・グリンの呪文と共に、魔法陣が淡い光を放ち始めた。可憐に咲き誇っていた紫色の花達も、次々に白い光を産み落として行く。その光は宙に留まり、やがて昇華して新しい光に変化していった。
その光景が何度か繰り返される内に、突然全く新しい光がどこからともなく割り込んで来た。質量を持つその光は、やがてエルフの女性の姿を形成し始める。
「お、お母さん……?」
一度その姿に騙された覚えのあるエミッタは、半信半疑でそう呼び掛けた。ルースは呆然とその姿に見とれており、レ・グリンは腰が引けたようにおどおどしていた。
妖精達は昇華して行く光を導いて、安定の魔法陣を母親の頭上に描き出しに掛かる。今度の魔法の指揮は、母親のリーフが直接とっていた。
それが終わった途端に、リーフは最初にレ・グリンに対して文句を並べ始めた。それは手際の悪さから始まって、エミッタを冥界に落としてしまった注意不足、塔の管理責任は言うに及ばず。とにかく辛辣な表現が、次々に威勢良く飛び出して来る。
その癇癪の凄まじさは、エミッタも既に経験済みである。この母親は本物だと、エミッタは即座に判断を下した。
エミッタは今後の参考にと、正しいドラゴンの叱り方を観察しに掛かる。レ・グリンはひたすら恐縮し、涙目になってうなだれていて、まるで子供のようだった。母親とこのドラゴンは、一体どういう関係なのだろうか……?
母親の視線が時折こちらに向いて、熱心に父親を見つめているのに少女は気付いた。その時だけは、叱る口調に勢いが感じられなくなる。
その内、父親を見つめる時間が遥かに長くなり、エミッタはおやっと思った。それから、母親のリーフは照れ隠しに小言をこぼしている事実を突き止める。
あまりに長い間離れ離れだったので、話し掛けるきっかけを掴めないでいるのだ……。
「お母さん……時間は大丈夫なの? 私の育て方について、お父さんに文句があるんじゃなかったっけ……?」
「えっ? わ、私、そんな事言ったっけ?」
父親が抜き身の剣を放り出して近付いて来るのを見て、リーフは慌てた様子で口をつぐんだ。頬を染めて俯いていると、リーフは穏やかな淑女にも見える。凄まじい癇癪の後だけに、エミッタは少し可笑しかった。
けれども、母親は依然半透明のままで、触れ得るべき肉体は未だに形成されていないのだ。
「リーフ……」
「ルース……あなた」
話の取っ掛かりを作ってしまえば、後は自分はお邪魔虫だ。噴水の反対側に腰掛けて、エミッタは二人の話が終わるのを待った。噴水の水面の反射光は、幻想的で揺らめいてはまた形を成し、何となく少女の心を落ち着かせる。
しばらくすると、自分の名を父親が呼んだ。エミッタは立ち上がって、二人の元へと向かう。
「ちゃんと話し合ったの……?」
両親が話をしていた時間はほんの数分で、少女は余計なお世話と思いながらもそう尋ねた。父親は穏やかな笑顔を見せたが、母親は照れ臭そうに話題を変える。
「そのチビ竜、ちゃんと世話してるみたいね? お母さんからあなたへ、十歳の誕生日プレゼント……気に入って貰えた?」
「えっ……ええっ! そうだったの……? お父さん、知ってた?」
知る訳が無かった。父親は肩を竦め、母親が気楽に説明を始める。リーフ自身も十歳の頃、部族からチビ竜をプレゼントされ喜んで育てたのだけど、余り立派には成長しなかったらしい。
そう言って母親はレ・グリンに視線を向けた。ああ……なるほど。
ルースが助け舟を出し、補足的に話を付け加える。レ・グリンはまだまだ子供で、実際は成竜ですらなかった。生まれてたかだか二十年程だから、人間の年齢で言えば二歳から三歳程度……落ち度があるのは仕方が無いと。
父親が何故、竜の事に詳しいのかエミッタは尋ねてみた。父親は言葉を濁したが、どうやらリーフにかけられた魔術のその後の可能性を追求する内に、竜言語や竜魔法、その生態について知識を得たようだった。
「それじゃあ、レ・グリンに魔法を教えたのは……お母さん?」
「まあね……私が苦手な土系統の魔術と、竜言語の上位魔法を教え込もうとしたんだけど、余り優秀な生徒じゃなかったわね。復活の呪文もその系統だから、まあ、全然無意味って訳でも無かったけれど」
「ふうん……ねえ、お母さん? その、こっちの世界に帰って来れたら……私にも魔術を教えてくれる?」
リーフは急に真面目な顔付きになって、娘と、それから隣の夫を見つめた。戸惑うような仕種で、彼女は言葉を発した。
「あと一年……待っててくれる? そしたら私……」
「何年でも……」
ルースが笑いながら答えた。帰る場所があるという事実が、待っている人がいるという支えが、どれだけ人を勇気づけるかエミッタは知っていた。
エミッタも笑いながら、早くお母さんに魔法を教えて貰いたいと口にする。その頃にはリーフは子供のように泣き出していた。たった一人で、冥界で魔物達相手に戦ってきた母親を思うと、エミッタも感情の高揚を抑え切れそうになかった。父親がなだめるように少女を抱き上げると、リーフが拗ねたようにこちらを見遣った。
……お母さんったら、妬いてる?
どのみち、もう術が持たないとレ・グリンが弱音を吐いた。母親の像が揺らいで行き、安定の魔方陣が少しずつ光を失って行く。エミッタは思わず手を差し出した。虚空に、優しく温かい光だけが留まっている。
やがて、それも静かに消えていった……。
妖精達が、いい仕事をしたと口々に自分達を誉めそやし、もうおネムの時間だからと勝手に寝床へと帰って行く。立場の無いレ・グリンはため息をつき、ルースももう寝るのと尋ねて来る。
父親は頷いて、娘を抱えたまま戸口へと向かった。
ルースは途中、抜き放ったままの魔剣をついでの様に拾い、腰の鞘に収めた。エミッタはそれを見て、昼間におきた魔物との戦闘を思い出した。
「お父さん……あの時どうして、私の言葉を信じたの? お父さんにも見えてた……?」
「ああ、あの時の事か……ただの本能さ。リーフの助言だって、俺は疑った事は無いぞ……? もちろん、エミッタの助言もな。あの時は本当に、昔のままの連係だったしな」
父親が、からかうような口調でそう言うので、エミッタは少しくすぐったく感じてしまう。自分も、母親のような素質が眠っているのだろうか?
本当にそうだったら嬉しいけど……。
「じゃあ……もしあれが外れてたら、お父さんどうしてた……?」
ルースはしばし逡巡して、自分の娘を見た。自分を覗き込む娘の瞳は、信頼に溢れていて、揺るぎない物を眺めるよう。そんな娘に、父親は笑いながら答える。
「そうだな……困ってたな」
エミッタも笑った。