第11話 竿の先の青
砕いた一つのあとへ、二つ目が歩いてきた。
硝子の粉が散った暗がりへ、縦長の青が膝の高さを保ったまま進み、床を掻く細い脚の音がいくつか続いて、空いた場所でぴたりと止まる。その後ろも、そのまた後ろも、同じ歩幅で同じだけ前へ出た。脚の音は奥の奥まで揃っていて、長い一つの身体が腹を引き寄せたようにしか聞こえない。
壊したのに、先頭は空かない。後ろの全部が、私のほうへ一つぶん近づいただけだ。
耳の奥には、線路を渡ってきた三文字がまだ残っていた。セキの平らな声が置いた名の重さと、肩の骨に残った一発ぶんの手応えが、同じ側の身体にある。当たったのだ。今朝は天井の配線を散らした銃が、さっきは狙った青をそのまま砕いた。
銃床を肩に当て直した。
先頭に出たレンズが、私の胸の高さへゆっくりと首を上げてくる。腕で受けるな、という言葉を思い出すまでもなく、肩が先に形を作っていた。
引いた。
乾いた音が暗がりを渡り、青が砕けて、硝子の粉が一つ目の粉の上に重なる。銃口は今度も上へ逃げず、肩の痺れだけが、当たった数のぶん深くなった。
列が、また歩いた。
三つ目が粉を踏んで先頭に立ち、後ろの全部が一つぶん詰める。揃った脚の音のいちばん遠くで、錆びたものが床から剥がれるような軋みが一つ、遅れて鳴った。
構え直した銃身を、横から掌が押し下げた。
「撃つな。……あれは、数を合わせてる」
リオの掌は銃身を床へ向けたまま離れない。私は引き金から指を外した。
「数、ですか」
「壊したぶんだけ、列ごと寄ってくる。きりがない」
「……当たったのに」
「当たるから、まずい。外してたほうがましだった」
息を吐く音が、その言葉の後ろに短く付いた。
「奥で、何か鳴りました」
「列の尻が動いた音だ。……向こうにも、聞かれたな」
先頭のレンズは、二つぶん近くなった場所から私の胸を見上げている。その後ろのレンズも、奥で点になっているレンズも傾きが全部同じで、青い線を引けば一本残らず、布の合わせ目の下へ集まるだろう。リオが私の前を横切って壁際へ寄っても、首を振るものは一つもいない。
「俺が来たときは、灯りもしなかった」
右目を列の奥に留めたまま、低い声が言う。この人が一人で歩いた日にも、列はここに並んでいたのだろう。ただ、この人を探してはいない。
「戻りますか」
「戻ってどうする。切れ目の向こうは、輪の下だ」
背中の黒は、もう跳べる幅だった。けれど跳んで戻った私がホームの灯りを踏めば、あの部屋で安いと言って引き受けられた輪が、引き受けたぶんごと無駄になる。布の上から胸を押さえると、糸は掌の下で、列の奥へ向かって張ったままだった。
「奥に、入口がある。……前は、ここまでだった」
「入口。何の、ですか」
「行けば分かる。行けりゃな」
リオはそれ以上を足さずに、顎で壁際を示した。
「横を、抜けられませんか」
「やってみろ。……ゆっくりだ」
列と壁のあいだには、肩を斜めにすれば人が一人通れるだけの幅が空いている。枕木を外れてそちらへ一歩寄ると、先頭のレンズが首ごと付いてきて、後ろのレンズも順に同じ角度へ回った。二歩目で、先頭の脚が横へ出る。揃った音がして、空いていた幅が機体半分ぶん狭くなった。
三歩目を出しかけた爪先のすぐ前に、細い脚の先が音もなく下りる。
「足を引け。……次は踏むぞ、そいつは」
「……付いてきます」
「見りゃ分かる。下がれ」
下がれば、レンズも戻る。撃てば寄り、抜けようとすれば塞がれ、戻れば輪の下だった。跳べるようになったばかりの足が、枕木の上で行き先を失くしている。
奥の暗がりに、青が一つ増えた。
列のレンズより、ずっと高い。人の頭より上で灯り、右へ左へ小さく揺れながら、少しずつ大きくなってくる。脚の音はしない。あの揺れ方は、人が歩く速さだった。
手が、腰の灰色の柄へ行っていた。歯を見せた赤い笑いを掴んだばかりの目には、人の形で近づいてくるものが、まず刃の届く距離かどうかで見える。
「……人、ですか」
「人だ。柄から手を離せ」
列のレンズが、一斉に回った。
先頭も、その後ろも、奥の点も、私の胸から外れて高い青のほうへ首を上げる。見上げられていた重さが布の上から退いて、そこで初めて、自分が息を浅くしていたことに気づいた。
長い竿だった。管を何本も継いだ竿の先に針金の籠が吊るされ、その中で青が灯っている。担いでいるのは女で、列と壁のあいだの、さっき私が塞がれた幅を、歩幅も変えずに歩いてくる。レンズは竿の先だけを追い、その下の女を一度も見ない。
背は私より低い。頭に巻いた布の下から灰の混じった髪が一房こぼれ、肩には太い縄の束を斜めに掛けている。竿を握る右手は素手で、指の節が太かった。添えた左手だけが厚い手袋に包まれていて、握り直すたびに、布の下で硬いものが管に当たる音がする。
女は先頭の機体の横で足を止め、私の肩の銃を見た。
「一基、減らしたのはお前か。おかげで、うちの入口が一基ぶん近くなった」
それから竿を立て、尻の金具で先頭の脚のあいだを探った。硝子の粉が鳴り、金具が少し横へずれて、もう一度鳴る。
「……二基か。歩いてくるあいだに、もう一基やったな」
「入口が近くなる、というのは」
「灯は、列の尻のすぐ後ろに吊るしておく。尻が前へ出れば、灯も前へ出す。灯のあるところが、うちの戸口だ。お前の二発で、戸口が二基ぶん外へ出た」
竿の先で、籠が小さく揺れた。この人は、動いた尻を追って、戸口の灯を担いで歩いてきたのだ。
当たった、と肩が覚えている二つの手応えが、別の勘定で数え直されていく。跳べるようになった身体で最初にしたのは、知らない誰かの戸口を、二基ぶん外へ引きずり出すことだった。
謝る言葉を、私はまだどこからも拾っていない。
「知りませんでした」
「知らないやつが、いちばん撃つ」
怒った声ではない。雨漏りの数を言うような、数え慣れた声だった。
目は私の銃に置いたまま、声だけが横へ向いた。
「お前が連れてきたのか、これを」
「ほかに出口がない」
「うちは出口じゃない。入口だ」
女は竿をわずかに列の側へ傾け、籠の青を先頭のレンズの真上へ持っていった。レンズが首を反らし、後ろの全部が同じだけ反る。
「あれは探してるだけだ。探しものより明るい灯を見せておけば、百年でも並んでる」
失くしものを探しているだけだ、と今朝スミスが言い、さっきリオが言った。同じことを、この人たちは壊さずに並ばせるほうへ使っている。
「壊せば寄る。寄れば灯を出す。出した灯は、もう戻せない。……うちは、それで一基も減らさずに来た」
「壊さずに、並ばせておくんですか。この先も、ずっと」
「並んでるあいだは、うちの戸を叩かない。それで足りる」
女の目が、初めて私の横へ移った。
「二度目だな、リオ。前は、ここで引き返した」
「……カガリ」
「前は一基も鳴らさずに帰ったのにな。今度は、撃つのを連れてきた」
リオは名を呼んだきり、あとを続けない。右目はカガリの顔に留まり、背後の黒へは、やはり一度も戻らずにいる。引き返した、という言葉の中身を訊ける間ではなくて、私は竿の先を見上げた。
籠の青は、灯りつづけてはいない。明るくなり、わずかに沈み、また明るくなる。掌の下で、私の胸が同じところで打っていた。三つ数えても、四つ数えても、ずれない。
糸が指していたのは、列の奥ではなかった。竿が傾けば傾いたほうへ、掌の下で向きを変えている。
「そっちの白いのは。名は」
口を開いた。三文字の一つ目の形を、舌はもう迷わずに作れる。
その前に、腕が出た。
リオの腕が私の胸の前を横切り、外套の袖から覗いた金属が、顎のすぐ下で冷たい。
「白いやつだ」
「名を訊いた」
「そう呼んでる。足りるだろ」
カガリは鼻で短く息をして、それ以上は訊かなかった。リオの腕は、それでも私の前から下りずにいる。
昨日、この人はホームの端で、私が渡した名を同じ音の高さで返してくれた。さっきは線路の向こうから、セキがそれを私に向けて置いた。その三文字を、最初に受け取った人が、自分の口で隠している。
理由は分かる。上では塔が、その名で私を呼んでいるのだ。名は渡すものでも、取られるものでもあって、知らない戸口の前で配っていいものではない。
分かるのに、作りかけた口の形がほどけず、三文字は舌の上に残った。隠されると、言いたくなる。
「来い。撃つやつを、列の前に置いて帰るわけにいかない」
カガリは竿を肩に担ぎ直して、背を向けた。
「入口は詰めた分だけ近い」
籠が大きく揺れ、私の頭の上を過ぎた。
掌の下で、脈が跳ねた。竿の先の青が速くなり、同じだけ胸が速くなって、布の合わせ目を押さえた指のあいだから淡い青が漏れる。押さえ直しても、指の縁が透けて光った。
脚の音がした。
先頭のレンズが、竿の先から下りてくる。その後ろも、奥の点も、高い青を捨てて、順にではなく一度に私の胸へ回った。全部だった。
カガリが振り返る。竿の先と私の指のあいだを、目が一往復した。手袋の左手が、管の上で硬い音を立てる。
「……お前、何を持ってる」




