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Ep1. 嘘を見抜く男、死にかける

人間は、思っているよりずっと正直だ。


「私は何も知りません」


男はそう言った。


声は平坦。

視線はまっすぐ。

背筋は椅子の背もたれから離れ、両手は机の上に置かれている。


模範的な姿勢だった。


嘘をつく人間が、嘘を隠すために作る、模範的な姿勢だ。


俺は机を挟んで男を見つめた。


「何も、ですか」


「ええ。私はただの会計担当です。組織の上層部については何も」


「なるほど」


俺は手元の書類に視線を落とした。


男の名前は、ヴィクター・ラングレー。

国際犯罪組織《蛇の庭》の資金洗浄を担当していたとされる人物だ。


表向きは投資会社の役員。

裏では武器密輸、違法薬物、政治家への賄賂、暗殺資金の流れまで握っている。


政府機関が三年かけて追い詰め、ようやく身柄を確保した大物だった。


そして俺は、その尋問を任されている。


「ラングレーさん」


俺は書類を閉じた。


「あなたは今、三つ嘘をつきました」


男の目尻が、ほんの一ミリだけ動いた。


普通なら見逃す。

だが俺には見えた。


驚きではない。

恐怖でもない。


苛立ちだ。


「面白い冗談ですね、教授」


「冗談ではありません。まず一つ目。あなたは自分を“ただの会計担当”と言った。ですが、その言葉を口にする直前、右手の人差し指が机を二回叩いた。これはあなたが事前に用意した説明を呼び出すときの癖です」


「癖で嘘だと?」


「癖だけではありません。二つ目。あなたは“上層部については何も”と言ったとき、視線を左上に逃がした。記憶を探ったのではなく、言葉を組み立てた。つまり、何も知らないのではなく、何を言わないかを選んだ」


男の口元がわずかに引きつった。


笑おうとしたのだろう。

だが頬が動いていない。


作り笑い。


「三つ目」


俺は椅子の背にもたれた。


「あなたは、ボスの居場所を知っている」


その瞬間、男の呼吸が止まった。


わずか半秒。


けれど半秒あれば十分だ。


人間は、本当に知らないことを指摘されたとき、困惑する。

知っていることを指摘されたとき、防御する。


ラングレーは防御した。


「……馬鹿馬鹿しい」


「その反応も答えです」


俺がそう言うと、取調室の隅に立っていた捜査官が小さく息を呑んだ。


この部屋には、俺とラングレーのほかに二人の捜査官がいる。

壁の向こうには監視班。

さらに施設全体には武装警備。


普通なら安全だ。


普通なら。


「九条教授」


ラングレーが、初めて俺の名を呼んだ。


「あなたは優秀だ。だが、優秀すぎる人間は長生きできない」


「よく言われます」


「本気でそう思っているのですか?」


「ええ。主に学生から」


俺が答えると、ラングレーは笑った。


今度の笑みは本物だった。


口角だけではない。

目尻にしわが寄り、頬が持ち上がっている。


何がそんなにおかしい?


その答えは、次の瞬間にやってきた。


轟音。


床が揺れた。


天井の照明が一瞬落ち、赤い非常灯が点滅する。


捜査官の一人が無線に手を伸ばした。


「何が起きた!」


返答はなかった。


代わりに、廊下の向こうから銃声が聞こえた。


乾いた破裂音。

悲鳴。

さらに銃声。


ラングレーがゆっくりと立ち上がった。


手錠をかけられているはずの両手が、自由になっていた。


「やはり来ましたか」


俺はラングレーの手元を見た。


手首に薄い金属片。

ピッキングツール、隠し持っていたか。


いや、違う。


捜査前の身体検査は厳重だった。

ならば、内部の協力者。


「この施設の誰かを買収していたんですね」


「誰か、ではありませんよ」


ラングレーは微笑んだ。


「必要な人数を、です」


その瞬間、ドアが外側から吹き飛んだ。


黒い装備に身を包んだ男たちが突入してくる。

特殊部隊ではない。


動きが違う。


殺すことに慣れすぎている。


捜査官二人の内一人が即座に撃たれた。


胸と頭に一発ずつ。

その内の一発は、もう一人の捜査官によるもの。


仕事柄、銃の扱いは訓練で多少習ったが、実戦でプロに勝てるほど世の中は甘くない。


「教授を殺すな」


ラングレーの声がした。


「連れて行くのですか?」


襲撃者の一人が尋ねる。


「いいえ」


ラングレーは楽しそうに言った。


「私の目の前で、話せなくしてください」


なるほど。


拷問か。


俺は自分の鼓動を聞いていた。


早い。

手のひらに汗。

呼吸は浅い。


恐怖している。


当然だ。

俺は人間だ。死にたくない。


だが、不思議と頭は冷えていた。


状況を観察する。


襲撃者は六人。

全員が短機関銃を所持。

うち一人は左肩を少し下げている。過去に怪我。

一人は突入後、部屋の右奥を確認する前にラングレーの方を見た。指示待ちの癖が強い。

リーダーは中央の男。呼吸が一定。緊張していない。


逃げ道は?


ない。


死ぬな。


そう判断した。


笑える。


嘘を見抜けても、弾丸は止められない。


「九条教授」


ラングレーが机の向こうから俺を見下ろした。


「最後に一つ、教えてください。私は今、あなたを恐れていると思いますか?」


俺は彼の顔を見た。


眉の位置。

瞳孔。

口角。

喉の動き。

手首。

足の向き。


そして答えた。


「恐れている」


ラングレーの笑みが止まった。


「あなたは俺が怖い。俺が何を知ったのか分からないからだ。俺が誰に何を伝えたか分からないからだ。だから俺を殺すだけでは足りない。話せなくしたい。確認したい。安心したい」


俺は息を吸った。


「情けないですね、ラングレーさん。あなたは自由になった瞬間でさえ、まだ怯えている」


沈黙。


ラングレーの頬が震えた。


怒り。


図星だ。


「殺せ」


短い命令だった。


銃口が俺に向いた。


その瞬間、妙に時間が伸びた。


銃口の奥が暗い。

引き金にかかった指が動く。

俺はそれを見ている。


死ぬ。


そう思った。


次の瞬間、世界が白く弾けた。


目を開けると、空があった。


青い空。


いや、青すぎる。


ビルの隙間から見える灰色がかった都会の空ではない。

絵の具を水に溶かしたような、澄みきった青。


風が草を撫でる音がした。


俺は仰向けに倒れていた。


背中に土の感触。

鼻に草の匂い。

耳に鳥の声。


病院ではない。


取調室でもない。


「……生きている?」


俺は上体を起こした。


周囲には森が広がっていた。

見たことのない植物。

太い幹に、銀色の葉。

木漏れ日が揺れている。


身体を確認する。


傷はない。

血もない。

服は取調室にいたときのスーツのまま。


胸ポケットにはペン。

内ポケットには身分証。

スマートフォンは圏外。

財布もある。


銃弾を受けた感覚はなかった。


だが、あの距離で外すはずがない。


ならばこれは何だ?


夢。

幻覚。

死後の世界。


候補はいくつかあるが、どれも検証不能。


俺は立ち上がった。


「まずは水と人里だな」


そう呟いた直後、草むらの向こうから声がした。


「動くな!」


知らない言語。


のはずだった。


しかし、意味が分かる。


動くな。


そう聞こえた。


続いて、金属の擦れる音。


先ほどの尋問室で起きた出来事を思い出しとっさに身構える。


森の奥から三人の男が現れた。


革鎧。

腰に剣。

一人は弓を持っている。


映画の撮影?


いや、違う。


男たちの装備は汚れ、革には汗が染み込み、剣の柄には使い込まれた跡がある。

作り物ではない。


「妙な格好の男だ」


「貴族か?」


「貴族がこんな森を一人で歩くかよ」


男たちは俺を見て笑った。


友好的ではない。


目線が俺の顔ではなく、服と手元を巡っている。

持ち物を見ている。

値踏みだ。


盗賊。


少なくとも善良な村人ではない。


「おい、お前。金目のものを出せ」


先頭の男が言った。


俺は両手を軽く上げた。


「争うつもりはありません」


「なら出せ」


「その前に確認したい。ここはどこですか?」


男たちは顔を見合わせた。


一人が笑う。


「頭がおかしいのか?」


その笑いは本物。

だが、弓を持った男だけは笑っていなかった。


彼は俺ではなく、背後の茂みを気にしている。


追われている?


違う。


警戒している方向が一定ではない。

左、右、後ろ。

全周囲。


この三人は、何かから逃げている。


「急いでいるんでしょう」


俺が言うと、弓の男の肩が跳ねた。


「何?」


「だから、早く奪って逃げたい。あなたたちは追われている」


先頭の男が剣に手をかけた。


「黙れ」


怒鳴った。


しかし、怒りにしては呼吸が浅い。

恐怖を怒りで覆っている。


「誰に追われているんですか?」


「黙れと言った!」


男が剣を抜いた。


俺は一歩下がる。


勝てない。


剣を持った相手に素手で勝てるほど、俺は物語の主人公ではない。


だが、勝つ必要はない。


「あなたたちが逃げている相手は、もう近くにいる」


三人の表情が凍った。


この反応。


正解。


俺は続ける。


「ここで俺を襲っている時間はない。逃げるなら、今すぐあちらへ」


そう言って盗賊から見て右方向へ指をさす


「なぜあっちだと?」


「靴の泥が湿っている。あなたたちは水場から来た。追手がいるなら、足跡を追ってくる。あちらは森が深い。追手を撒くのであればあちらがいい」


嘘ではない。


ただし、確信でもない。


観察からの推測だ。


先頭の男は迷った。


目が泳いだ。

下唇を噛む。

剣の柄を握る手に力が入り、すぐ抜ける。


逃げたい。

でも、手ぶらでは帰れない。


そういう顔だ。


そのとき、森の奥から馬のいななきが聞こえた。


三人の男が同時に振り返る。


「くそっ、もう来た!」


弓の男が叫んだ。


先頭の男は俺を睨みつけた。


「運がよかったな!」


指した方向へ三人は走り去った。


俺はその背中を見送る。


助かった。


だが、問題は何も解決していない。


今度は馬に乗った追手が来る。


盗賊を追っているのなら、法の側の人間かもしれない。

だが、ここが俺の知る世界でない以上、法が俺を守る保証はない。


逃げるべきか。


そう考えた瞬間、森の向こうから一頭の白馬が現れた。


乗っていたのは、少女だった。


いや、少女というには凛としている。

十七、八歳ほど。

銀に近い金髪が陽を受けて淡く輝き、深い青の瞳がこちらを捉えていた。


白を基調とした乗馬服。

胸元には紋章。

護衛らしき騎士たちが後ろに続いている。


貴族。


それも高位。


少女は俺の前で馬を止めた。


「あなた、怪我はありませんか?」


最初にそれを聞いた。


俺は彼女の顔を見た。


眉は中央に寄っている。

目線は俺の傷の有無を確認している。

口元に作りはない。

声の高さは安定しているが、わずかに呼吸が乱れている。


心配している。


本当に。


「ありません。助かりました」


俺はそう答えた。


少女は小さく息を吐いた。


安堵。


これも本物。


不思議な人間だ。


身分の高い者は、たいてい最初に状況を聞く。

誰だ、何者だ、なぜここにいる。


しかし彼女は、怪我の有無を聞いた。


「あなたは?」


俺が尋ねると、後ろの騎士が声を荒げた。


「無礼者! こちらをどなたと心得る!」


少女が片手を上げると、騎士は口を閉じた。


「構いません。彼は混乱しているようですから」


そして少女は、馬上から静かに名乗った。


「私はエレオノーラ・リュミエール。この国の第三王女です」


王女。


なるほど。


異世界転移の次は王女か。


俺の人生は、死にかけてから急に雑になったらしい。


「九条真白です」


俺は軽く頭を下げた。


「遠い国から来ました」


これは嘘ではない。


たぶん。


王女――エレオノーラは俺をじっと見た。


疑っている。


当然だ。


だが、敵意はない。


「遠い国、ですか」


「ええ。少なくとも、この森の名前も、この国の常識も知りません」


「記憶喪失ではなく?」


「記憶はあります。ただ、この場所についての知識がない」


エレオノーラは黙った。


護衛の騎士たちは警戒している。

特に右側の若い騎士は、今にも剣を抜きそうだ。


俺を見る目が鋭い。


忠誠心。


いや、違う。


騎士は王女を見ていない。

俺を見て、次に王女の背後の森を見る。

さらに、左手の親指が鞘の金具を撫でている。


緊張。

焦り。

隠し事。


俺はその騎士を見た。


「あなたは、盗賊が逃げた方向を知っていたんですね」


場の空気が変わった。


若い騎士の顔が固まる。


エレオノーラが振り返った。


「カイル?」


カイルと呼ばれた騎士は一瞬だけ視線を逸らした。


「い、いえ。私は何も」


嘘だ。


明確に。


俺は思わずため息をついた。


この世界に来て初めてのまともな会話が、もう尋問になりそうだった。


「王女殿下」


俺はエレオノーラに向き直った。


「この場を離れた方がいい」


「なぜです?」


「その騎士は嘘をついています。そして、おそらく盗賊と繋がっている」


剣が抜かれた。


カイルが怒鳴る。


「貴様!」


怒りの顔。


だが、本物の怒りではない。

追い詰められた者の威嚇。


エレオノーラは馬上で息を呑んだ。


「カイル、本当なのですか?」


「違います! この男が怪しいのです! 殿下、離れてください!」


正しい提案。

だが、タイミングが悪い。


俺はカイルの右足を見た。


つま先が王女ではなく、森の奥へ向いている。


逃げる準備。


「今、彼を拘束してください」


俺が言った瞬間、カイルが動いた。


王女に向かってではない。


懐から短剣を抜き、自分の喉元に当てた。


口封じ。


なるほど。


背後にもっと大きな存在がいる。


「止めろ!」


騎士たちが叫ぶ。


だが、間に合わない。


俺は反射的に言った。


「死ぬ覚悟なんてないくせに」


カイルの手が止まった。


刃が皮膚に触れる寸前で震える。


「あなたは死にたくない。だから刃の角度が浅い。本気で喉を裂くなら、もっと深く押し込む。あなたは誰かに命令されているだけだ。死ぬ気なんてない」


カイルの目が揺れた。


恐怖。

羞恥。

そして、助けてほしいという感情。


「誰に命令された?」


俺は一歩近づいた。


「言えば、少なくとも今ここでは死なずに済む」


カイルの唇が震えた。


「……ガ、ガルド宰相の――」


その名が出た瞬間、森の奥から矢が飛んだ。


カイルの胸に突き刺さる。


彼は目を見開き、その場に崩れ落ちた。


騎士たちが一斉に盾を構える。


「伏せて!」


エレオノーラが叫んだ。


俺は地面に身を投げた。


二本目の矢が頭上をかすめる。


なるほど。


この王女は、思ったより危険な場所にいる。


そして俺は、どうやらその危険の中心に足を踏み入れたらしい。


矢が止んだ。


襲撃者は逃げたのか、追撃を警戒しているのか。

騎士たちが森へ散る。


エレオノーラは馬から降り、倒れたカイルのそばに膝をついた。


「カイル……」


彼女の声は震えていた。


裏切られた相手に対しても、悲しみがある。


甘い。


だが、嫌いではない。


エレオノーラは俺を見上げた。


「あなたは……何者なのですか?」


俺は答えに迷った。


大学教授。

尋問人。

異世界人。

死に損ない。


どれも正しいが、どれもこの場には合わない。


だから、こう答えた。


「嘘を見抜くのが、少し得意なだけの男です」


エレオノーラは俺を見つめた。


その瞳に、警戒と期待が同時に浮かぶ。


「では、九条真白」


彼女は立ち上がった。


王女としてではなく、一人の人間として俺を見る。


「私の言葉も、嘘かどうか分かりますか?」


「ある程度は」


「なら、聞いてください」


風が吹いた。


銀金の髪が揺れる。


エレオノーラはまっすぐに言った。


「私は、この国を良くしたい。民が飢えず、貴族が好き勝手に奪わず、嘘で人が殺されない国にしたい」


俺は彼女の顔を見た。


瞳。

眉。

唇。

喉。

指先。

呼吸。


嘘の兆候はない。


未熟で、甘くて、危うい理想。


けれど本心。


俺は思わず笑った。


「王位継承権は?」


「第三王女ですので、かなり低いです」


「味方は?」


「少ないです」


「軍は?」


「第一王子側です」


「貴族は?」


「多くは第一王女か第一王子に」


「金は?」


「……あまり」


絶望的だ。


これほど勝ち目のない政治案件は、現世でもなかなか見なかった。


だが、俺にはこの世界で身分がない。

金もない。

知識も不十分。

一人で生きるには危険すぎる。


王女には理想がある。

俺には技術がある。


彼女には王位が必要で、俺には居場所が必要だ。


利害は、一致している。


「殿下」


俺は言った。


「あなたが本気で王を目指すなら、俺は役に立てる」


エレオノーラの目がわずかに見開かれた。


「本当ですか?」


「ええ。ただし、俺は聖人ではありません。俺が欲しいのは安全な生活と、この国での地位です」


「構いません」


即答だった。


「私が王になるために、あなたの力を貸してください。あなたがこの国で生きるための場所は、私が用意します」


その言葉にも、嘘はなかった。


俺は手を差し出した。


「契約成立ですね」


エレオノーラは一瞬だけ戸惑い、それから俺の手を握った。


細い手だった。


だが、その握り方は弱くない。


「九条真白。あなたを、私の相談役として迎えます」


こうして俺は、異世界で最も危険な職に就いた。


王位継承権の低い王女の、嘘を暴く参謀。


悪くない。


少なくとも、取調室で殺されるよりはずっと面白そうだ。

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