〇 第1話 彼女の胸は羽毛よりも柔らかかった ―6
「? どうかした?」
「い、いや。なんでもない……です……」
ルィイの不思議そうな顔に、慌てて言葉を返す。助けてくれた恩人が差し出してきたものに、まずいと難癖をつけるようなことは私にはとてもできない。
ルィイの視線が私の顔に向けられていることに耐えられなくて、もう一度、勇気を出して齧ってみる。
うん、おいしくはないが、食べられないほどではない。極限まで甘さを抜いた林檎のような味だ。
要するにこれは、私の世界の品種改良という農家さんの努力に、私の感謝が足りていなかったということなのだろう。自殺してから気が付いたあの世界の素敵なところというわけだ。
まあ、フルーツのおいしさにありがたみを感じたところで、あの世界に戻りたいとは、みじんも思わないわけだが。
「どう。落ち着いた?」
いつの間にか果物を食べ終えていたルィイが、私にそう問いかける。彼女の問いかけが「落ち着いた?」でよかった。もしも「おいしかった?」だったら、私は答えに窮していただろう。
実は私は嘘を吐くのも苦手なのだ。まずいものはまずいと言ってしまう。
「う、うん。ありがとう」
「そう。よかった」
素直に頷いて礼を言った私に、また彼女は笑顔になった。
「でも、あなた本当に異世界人なのよね。私、はじめて会うからびっくりしちゃった」
「わ、私もエルフと会うのは初めてだよ……」
当たり前だ。私の世界では、エルフは紙の上か画面の中くらいにしか生息していない。
「そうなんだ。まあ、人里に出てくるエルフは珍しいからね」
ルィイは私の言葉を自分なりに解釈して、うんうんと頷いた。
私はもう一口、赤い果実を食べた。相変わらず美味しくはないし、衛生的に大丈夫かという問題はあるが、私はお腹が空いていた。
まあ、もうここまで食べてしまったら一緒だろう。味のほうも、噛んですぐに飲み込めば、我慢できないということはない。
「私は外の世界を見たかったから、エルフの里から出てこんなところに住んでいるけれど、それってけっこうエルフの中では異端だし」
ああ、この世界の基準でも、この家はこんなところ扱いしていいくらいのものらしい。まあ、明らかに辺鄙なところにぽつんと建っているし、丸太小屋だし。
そういえばこの小屋、一部屋しかないけれど、トイレとかどこにあるのだろう……。
「ユリコは異世界で、どんなことをしていたの?」
私が林檎もどきを無理やり食べ終えてきょろきょろと小屋を見渡していると、ルィイがまた私の答えにくいことを聞いてきた。いや、まあ彼女に悪意がないことはわかるのだが、しかしそれとこれとは話が別である。
「わたし、は……」
後から思うと、このときのわたしは、きっと疲れていたのだろう。混乱していたと言ってもいいかもしれない。
なにしろ自殺未遂からの異世界転移だ。疲れ果てて混乱しないほうが無理というものだろう。
「私、自殺したの。生きていたくなくなったから」
気が付くと私は、元の世界では誰にも相談しなかったことを、昨日会ったばかりの、名前だって今知ったばかりのエルフに話していたのだった。
遺書すら残さなかったのに、誰にも何も言わずに消えるつもりだったのに。
「学校では毎日頭のおかしい女にいじめられて、家では父親に暴力をふるわれて、もう何もかも嫌になって、自殺したんだ、私」
失敗してこんなところに来ちゃったけどね。と、そこまで言って、私はようやくルィイの顔を正面から見た。
彼女の顔は奇妙に歪んでいて、理解しがたい者を見るような、でも、必死で何かを考えているような、そんな顔をしていた。