16 帰郷
(十六)
この道は正しい道に続いているのか。
だが、正しい道ではなくてもおれは進んで行く。
それが自分の決めた事だから。
「何ですか、それは」
手を出すラドビアスにクロードは、羊皮紙に戻った使い魔を渡す。 黙読していたラドビアスがつと、目をあげた。
「どうなさいます」
「そうだな、レイモンドールに戻る」
何かを言いかけて、ラドビアスは頭を振る。 どうするか、聞いたのは自分で。 主人は答えを出した。――わたしに何が言える?
その手紙の内容は、レイモンドール国の国主であるクロードの双子の兄、クライブが叔父、コーラルにより殺されるかもしれない。 レイモンドールは魔導師の国に逆に舵を取るように見受けられるという内容だった。
「王の正当な鍵を受けておられるクロードさまにお助けを請い願う所存です」そう結ばれていた。 署名は、クロードの知らない名前だった。ダニアンと書かれている。
もう帰らないと思った二年前。
まだ、自分は何も成し遂げてないというのに。
だけど、クライブを見殺しにはできない。 自分が押し付けるように王座を彼に突きつけて国を出たのだから。 不穏な空気を感じ取っていたはずなのに。
おれは知らないふりで国を出てしまった。
ここで手を出して、また引っ掻き回していいものだろうか。 もうレイモンドールは魔術とは、自分とは関わりの無い国になったのに。 部外者たるおれが――。
部外者だと思った途端に自分が一人で何もない空間に放り出されたような思いが胸に迫る。
「おれが行ってもいいものだろうか」
「クロードさまは、レイモンドール国をどうなさるおつもりだったのですか」
「どうするつもりって……魔導師の支配しない国にしたいと思っておれは……」
そうだ、おれはやり残したものがあった。
「最後のけりをつけてなかった」
ラドビアスは、何も言わずに魔獣の鞍に付けた鞄の中から厚手のマントを取り出す。 それは、かれらがレイモンドールから出るときに身につけていたもの。
「あの国は寒いですからね」
肩からかけられたマントの重みに泣きそうになる。
「なあ、ラドビアス。おれはあの国が好きだ。だっておれが生まれた国だもの。俺の大事な人たちが住んでいる国なんだから。でも」
「でも?」先を促すように相槌を打ってラドビアスがマントの留め金をかける。
「酷い事をするよ。でも目を瞑っていてくれ、おれのやりたいようにやらせてくれ」
懇願するように顔を上げた主人の瞳には涙が溜まって今にも零れそうだった。
「はい、黙っております。目を瞑っておりますよ」
こんなにも脆く弱い心をさらけ出されて、どうして願いを聞き入れないわけがあるだろうか。
「わたしは、あなたの従者ですよ。好きにお使いください」
「うん」
クロードは涙を右手の甲で拭って笑った。
「泣き虫だよな。外見がガキだと、中身まで成長しないものなのかもしれないな」
それはラドビアスの返事を待っている言葉ではないのだと彼はただ黙ったまま、魔獣を手招く。
「行こう、レイモンドールへ」
「はい、クロードさま」
二人はこの二年の時を魔獣の背に乗って遡っていくようだった。 急ぐためにかなり上空を飛んでいるためにマントがありがたかった。
「何度か魔獣を休ませますので降りてよろしいですか」
「うん、任すよ」
砂漠近くのダルファンを過ぎれば、やっと入国したハオタイ国から出て行くことになる。 ラドビアスの故郷だった土地。
そしてだんだんと馴染んでいた西側の建物が姿を現す。 密に茂る森を見つけて降り立ったクロードは、羊皮紙に書いてあったダニアンという人物をラドビアスに尋ねる。
「なあ、ダニアンっていう魔導師を知ってるか?」
「ええ、モンド州のお隣、クロードさまもご存知のボルチモア州の州宰代理だった男かと」
「ボルチモアの?」
じゃあ、一回くらいは会っていたのかもしれないが、クロードは全然記憶に無かった。
「上級魔導師だった?」
「いいえ、ですが彼の腕は確かだったと思いますよ」
クロードが知っていた魔導師はほんの一握りでしかも、魔導師の中では天井人のような位の高い者ばかりだった。 中級魔導師など覚えてもいない。 だが、ダニアンという魔導師は、自分の名前を追ってここまで使い魔を飛ばせるほどの魔術を使えるということだ。ユリウスこと、魔導師の祖であるイーヴァルアイが死んで上級魔導師はコーラル以外全て死んだのだから。
そのこともクロードに責任がある。 おれがイーヴァルアイを殺したのだから。
「いけませんよ」
ラドビアスが悪戯を見つけたようにクロードに顔を向ける。
「何?」
「イーヴァルアイさまは御自分で死を選ばれたのです。クロードさま、何もかも自分のせいにするのはいけません。それはひどく甘美な罠なんですよ」
彼の言葉にクロードはどきりとする。
――甘美な罠。
閉じこもってしまいたくなる。 甘えていたくなる。 どうせ、おれはと体を丸めて。 そうだ、何もかも自分のせいにして前に進まないでいるのは楽だ。
自分の殻の中でいじいじと考えて答えの無い世界に漂う快感。 おれは不幸だと大手を振るいたい自分が騒ぎ出している。
「そうだな、あれはイーヴァルアイの、ユリウスの決めたことだった」
主人の目に光が戻ってラドビアスは気づかれないようにほっと安堵のため息をつく。
仕方がないくらい、クロードの運命は過酷だった。 庶子扱いで孤独だった幼い頃。 無理やり永遠の命と引き換えに魔導師のしもべにされてた十四歳の少年が辿ったのは、そのまま歳を取らない体と、殺戮の日々。 そして、愛する者との別れ。 彼が兄として、魔術の師として慕っていた者を彼は本意では無いながら、その手で殺さなくてはならなかった。
そして、国の転覆を図った反逆の徒として国から追われる立場になった。
「それを、わたしは甘えるな」そう言うのだ。
それに彼は、分かったと。 そう応える。痛々しいほど前向きで悲しい人だとラドビアスは苦しく思う。 彼はまだ十七歳だというのに、彼を待つ運命はかれを歳相応な弱音を吐く事も許しはしない。
「少し、お休みください」
薄手の毛布を大きな木の根元に敷くと、クロードがそこにごろんと寝転ぶ。 直ぐに二頭の魔獣が傍らで丸くなってクロードは両側に手を回して目を閉じた。
このままレイモンドールに戻って暮らしてもいいのだとラドビアスは思う。 ベオーク自治国に向かうことの方が遥かに困難で険しい。
恐ろしいとも思う。 ベオークに行って自分はクロードの身を守り通すことが出来るのかが確信できないのだ。
失いたくないと強く思うほどに、また前のように主人を裏切ってしまうのではないかとラドビアスは畏れる。 信じられないのは、自分だった。
「クロードさま、良くお休みのところ申し訳ありませんが出発しましょう」
「ああ、悪い」
クロードも急がなくてはならないことは承知している。 使い魔がここまでどれくらいかかったのか分らない。
クライブの、自分の兄の命がかかっているのだ。
そして、クロードは決心していた。
おれは悪役になる。
魔導師が浮上できないほどの厄災となってレイモンドールの人々に刻み込むのだ。 権力を魔導師に渡さないように。
語り継がれるほどの悪魔になる。
何回かの休憩を挟んで進む彼らの前に海峡が現れる。青い群青。 波だっているが以前の濃い霧も激しい波も無い穏やかな青い境界。
「帰ってきたな」
「さようですね」
たったそれだけで、何も言わない。 言わなくても分っているのだ。 ここは、おれの、おれの一番好きな所なんだ。だから――。
「できることをする」
この道は正しい道に続いているのか。
だが、正しい道ではなくてもおれは進んで行く。
それが自分の決めた事だから。
了
これで番外編を終ります。
読んでくださってありがとうございました。
この続きは「レイモンドール転成の章」に続きます。
クロードの顛末は、今執筆中です。